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    気をスムーズに進める方法:四柱推命

    東洋医学は、「経験の医学」です。 これを食べたら、喉が痛いのが軽くなった気がするよ 足の裏を押して凄く痛い時は、お腹の調子も悪いみたいだね 春風が吹く頃は、なんだか気持ちがイライラするよね そんな風に、長い年月をかけ、たくさんの人の、たくさんの「こんな事あったよ」が集まって、進化して、体系化されたのが「東洋医学」です。 そして、たくさんの「経験」は、森羅万象全てのものは、「気」が集まって構成されていて、「気」が激し過ぎたり、動き過ぎた時には、「調子が悪く」なり、「気」がゆったり緩やかな時には、「なんだかいい感じ」で、物事が進んでいく事を教えてくれたのです。 「気」をいかに調整していくのか それが、「東洋思想」の根っこです。 「気」は物事が動くエネルギーの源ですが、目に見えるものではありません。目に見えないものは、「感じる」ものです。目に見えないものは、感じて、そして、想像して、理解するしかありません。 森を感じて木を理解する でも、やっぱり、見えないと想像ができません。 そこで、陰陽論・五行論と結びつけ、気の景色と巡りが「体系化」されました。その中でも、五つの気「木・火・土・金・水」は、進む過程を示します。五つの気は、お互いに影響を与えながら、発生し成長し収蔵する巡りを繰り返していきます。 その巡りを利用することで、その場の気や個人の運をスムーズに進化させていく方法を体系化したのが「占術」です。それが、四柱推命や九星気学、風水などです。 なので、これらの「占術」には、科学的根拠やデーターはありません。でも、膨大な「思い」が詰まった、とても素敵な「言い伝え」です。 「占術」には、「みんな幸せになってほしいな」という、たくさんの「思い」が詰まっています。 その「思い」に応援してもらうことが、「占い」を利用すること。 だからこそ、不安を煽ったり、「これは絶対だめ」とか「こうしなきゃ危ない」とか、そんな感じで受け取るのは、とても残念なことだと思っています。 東洋医学では、体の調整を行う方法として、二つのアプローチをしていきます。 補う方法として、「補法(ほほう)」 抜く方法として、「瀉法(しゃほう)」 どちらを使うかは、読んで字の如し、「補法」は補いたい時。つまり、気が少なくなって、弱っている時です。「瀉法」は多過ぎるから減らしたい時。 つまり、気が多くてパンパンになっている時。 気が少なくなっている時は、押されると心地よさを感じます。 そして、柔らかく、「開いている」感じです。 そんな時、マッサージなどの施術では、体の気の通り道である「経絡」に沿って、ゆっくりと、時間をかけて、少しずつ無理せず、優しく触れていきます。 「もう十分頑張ったよね」と寄り添うように、話かけながら。 息を吐いた時には、しっかりと吐ききれるようにグッと押します。息を吸う時には、抵抗にならないように、手を離します。 ぬるま湯で、ふんわりと、包みこむ感じです。 これが「補法」です。 一方、気が多すぎる時には、押されると嫌な気持ちになります。 そして、固く緊張しています。「閉じている」感じです。 そんな時、施術では、「経絡」に逆らって攻撃を仕掛けます。 短時間に集中的に。閉じてしまった扉を、エイっと開ける感じです。 「もう十分頑張ったよね」と、抱え込んだたくさんの荷物をその手から奪うように、力強く。 息を吸った時、それ以上吸わないようにグイッと押す。 息を吐く時には、自分の力で全てを吐ききれるように手を離す。 熱い蒸しタオルと冷たいタオルを使って、メリハリをつける感じです。 これが「瀉法」です。 「運気」を調整する時にも、「補法」と「瀉法」をイメージすると、わかりやすいと思います。 まず、「運気が下がっている」と感じる時または、「今より運気を上げたい」と思っている時。 これは「今の気」が「目指す気」よりも、少ない時です。 こんな時には、人の言葉が身に染みます。外からの「刺激」に対しての、抵抗力が下がっているので、「感染」しやすい状態です。 だから、「刺激」があまりに強すぎると、グサグサ突き刺さってしまい、「傷だらけ」になってしまいます。 下がっているからといって、焦ってあれこれ手を出すと、グサグサだらけになって、ますます「落ち込んで」しまいます。 気持ちがほっこりじんわりと温かくなるものを、自分の感覚で選ぶ。 温かい視線を送ってくれて、「ゆっくりで良いよ」「無理しなくて良いよ」と穏やかに言ってくれる人の言葉を信じてみる。 人の呼吸ではなく、自分の呼吸を意識して、思いっきり深呼吸をしてみる。 自然に触れて、光を浴びて、風を感じて、地面にしっかりと両足をつけ立ってみる。 そうしていると、「全ての気」が、自分に向かってベクトルを向けてくれていて、たくさんのボールを投げてくれていることに気がつきます。 そして、「これ、これ!」と思ったボールをキャッチします。 ポイントは コントロールしない、されない。 待つことです。 「運気が上がり過ぎている」と感じる時。 上がるというのは、勢いが増す感じです。なので、上がり過ぎると、気が偏ってきて、「視野が狭くなる」「許せないことばかりと感じる」「気持ちばかり焦って、動かずにはいられない」こんな感じになってしまいます。 これは「今の気」が「目指す気」よりも多過ぎてパンパンに膨れ上がった状態です。 こんな時には、人の言葉が、いちいち癇に障ります。いちいち反抗したくなります。そして反抗するので「摩擦」が生じます。 外の「刺激」と戦いたくなるので、ガードがどんどん固くなり、ついには「重たい扉」が目の前に現れます。そして、戦えば戦うほど、扉が重たく大きくなっていきます。 扉の実態をよく観察してみる。 何が許せなくて、どこまでだったら許せるのか考えてみる。 反対意見も聞いて、参考にしてみる。 集中して、一気に行動を起こす。 押してばかりいて開かない扉は、もしかしたら、引いたら開くかもしれません。ただし、エネルギーは、押しても引いても「一方」に集中すること。 両手いっぱいに荷物を持っていては、ノブをしっかりと握りしめることはできません。 だから、まずは「いらないもの」は手放さなくてはいけないのです。 持っていたたくさんのボールを、放り投げます。 そうすると、「全ての気」がバシッと受け取ってくれます。 ポイントは 一点集中 ひるまないことです。 「補法」は、常に使える方法です。 「瀉法」は、転換期に効果を発揮してくれます。 どちらもバシッと決まると、「私って、すごい!」って思えます。 だから、今が「元気」になりますよ。

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    「占い」と向き合うために必要な4つの「心」:四柱推命・タロットカード:「解釈」についての考察

      「占い」関係の書籍や文献を読めば読むほど、解らなくなります。 結局、どういうこと? そんな感じになって、理論と思考がぐるぐると回って、絡まって、こんがらがってしまいす。 それは、書籍や占者によって「解釈」が異なるからです。 四柱推命に関しても、それは同じです。 四柱推命にも流派があります。日本でメジャーな流派は5つあります。 実は、流派によって「命式」に対する「気」の捉え方には若干の違いがあり、なので「解釈」が異なります。 では、どれが「正しい」流派なのかというと、「どれも正しい」というのが正解だと思います。 四柱推命は、長い年月、時間、推命家が暦と正面切って向き合って作り上げた「理論」です。人生をかけて研究をし、たくさんの人々の「幸せ」のため、後世に伝えている自然哲学です。 哲学は「科学」ではありません。 なので、暦に何を求め、暦をどのように受け止め、暦をどういう方法で活用していくのかは、「個人」に委ねられています。 どの流派を学ぶのかは、やはり「個人」の好みによると思います。 書籍を読んで納得できるものや、信頼できる鑑定士さんが学ばれている流派など、判断基準はその人次第。 だから、お好きな「解釈」に触れていただきたいと思います。 何故ならば、暦は「万能」ではなく、解釈のための「道具」だからです。 なので、占者は、常にそのことを忘れずに、暦と向き合って行かなくてはいけないと思っています。それには、上手く使いこなせるように、自分の技を磨き続けていき、常に「新しい」気持ちで向き合っていかなくてはいけません。 時は巡り、時代は進化し、解釈もそれに合わせて「成長」させなければ、時代から取り残されてしまいます。 「理念」を大切に守りながら、時代に合わせて「最新の解釈」をする。 そのためには、占者も、常に、様々な方向にアンテナを張り巡らせて、「情報取集」が必要です。 「答えはお客様に出していただく。その為に先入観や、自分の偏見を持たないように気を付けています。」 先日、講座を受講後、「街の占い師」として活動を始めて、「もう何人鑑定したか覚えていない」ほどの人気占い師として活躍されている方が、私にこんな話してくださいました。 歯に衣着せぬ物言いで、とても温かいというよりは、熱い心で鑑定をする彼女。話すだけで、私もとても前向きになることができ、思わず「私が凹んだら、相談に行くからお願いね」と、真剣にオファーをしました。これはかなり真剣なオファー!頼りにしてます! 四柱推命は、八文字の「景色」です。 八つの文字の世界は、とても奥深く、そして、とてもシンプルです。 八つの文字と向き合い、対話をすると、「そういうことだったんだ」と、ストンと腑に落ちるのです。 それは、頭で理解したのではなく、心が理解した瞬間。 言葉で、「それはこうです」と言えないけど、心が「これで間違いないよ」と感じる瞬間。 「命式」に触れて、その感覚を感じていただけたらいいな。 いつもそんなことを思いながら、鑑定や講義をしています。 タロットカードについても、書籍や文献に触れるほどに、「ぐるぐる」回って絡まって、「結局、どういうこと?」になりがちです。 タロットカードにも種類があります。最近では、とても可愛らしい絵柄のカードや、まるで絵画を見ているような美しいカードがあり、どれも心踊ります。 どのカードを選べば良いのか質問を受けることもありますが、これもまた、手に取った時に「これ好き」と感じたものが一番です。 私は、ウエイト版を使っています。 「これが好き」と思ったからです。 とにかく「絵」が好きなのです。 ウエイト版のカードの絵は、挿絵画家として活動をしていたパメラ・コールマン・スミスが全てのカードの絵を描きました。 彼女は、いたずら好きな妖精「ピクシー」とあだ名で呼ばれるほど、浮世離れしたところがあったそうです。 「心の中をそのまま一気に描き切る」、そんな描き方をしていました。 どうしてそんなことが出来たのかは、彼女は「共感覚」の持ち主だったからだと言われています。 「共感覚」とは、五感のうちの一つが他の感覚として感知することです。例えば、音を「観る」、色彩に「触れる」など。 ウエイト版の絵は、彼女が「五感で感じた世界」、見えないものの中の世界、聞こえないものの中の音の世界など、全ての感覚を一枚の絵に描いていったのです。それは、「精霊の世界」を描いているとも言われています。 これは「審判」のカードです。 22枚で構成されている大アルカナのカードの21番目に位置するカードです。大アルカナの世界は、0番の「愚者」から始まって、22番目の「世界」で完結します。 「審判」のカードは、完結の前の「覚醒」を意味しています。それはまるで「十四番目の月」。 明日の可能性を信じて、魂が蘇った瞬間の絵です。 このカードのモチーフは、キリスト教の「最後の審判」であるとも言われています。 天使のラッパの「音」で、全てが覚醒しました。 「初めに言(ことば)があった」     新約聖書・ヨハネによる福音書より パメラは、この瞬間を切り取ったのかもしれません。 とてもシンプルに解釈をすると、「蘇る」となります。 何が蘇るのか もう蘇ったのか、それとも今なのか、今後なのか 果たして蘇ることを望んでいたのか 蘇ることは良いことなのか 蘇ったことで失うことは何か 蘇ることで始まる「試練」は何か この一枚のカードだけでも、ざっとこれだけの「解釈」のパターンがあります。 タロットカードを学んでも、リーディングに繋がらない リーディングが難しい そんなご質問を受けますが、それは当然のこと。 カードの世界も、奥深く、とてもシンプルだから。 それは、頭で考えるのと、心で感じること、その両方が必要だからです。 「八文字の世界」も「一枚のカードの世界」も、心の目で見て、心の耳で聞いて、心の手で触れて、心の鼻で嗅いで、心の口で味わう世界。 だから「解釈」が異なります。 でも、どれもきっと「正解」です。 ユングは、「心には4つの機能がある」と述べています。 4つの機能とは ・感覚(五感で感じるもの) ・直感(第六感を経由して派生する情報) ・思考 ・感情 そのうち、感覚と直感を「非合理機能」としました。それは、それらの機能は論理性とは全く関係のない情報だからです。 一方で、思考と感情を「合理的機能」としました。それは、それらは、感覚と直感によってもたらされてた情報を、合理的に処理して起こる機能だからです。 「非合理的機能」と「合理的機能」とは、相反する機能です。 どちらかが、発動している時には、もう一方が停止または鎮静します。 例えば、「なんだかワクワクする」と感じている時には、果たして何が自分をワクワクさせているのかとか、どの適度ワクワクしているのかとか、そんなことは頭に浮かんできません。 逆に、「この課題はしっかりと取り組まなくてはいけない」と考えている時には、そのことに集中していて、お日様の光が心地よくても、爽やかな風が吹いてきても、全く気が付きません。 それぞれ「役目」があるので、どちらを発動するのが良いのかは、場合によって違います。 適材適所であり、適切なバランスをとる。 それにつきます。 「占い」に関しては、「非合理的機能」と「合理的機能」、つまり、感覚・直感・思考・感情の4つ全てが必要だと感じています。 パメラ流に、心の絵を描いてみたら、4つの心が仲良く一緒に手を繋いでいて、お互いに顔を突き合わせて笑っているような、そんな「世界」かなと思います。 「見えないもの」を見て 「見えるもの」を感じる そのためには、両方をしっかりと受け止める自分の「核」を磨き続けていきたいと思っています。 決して、決して、がっかりさせる解釈で、リーディングを終わらせてはいけません。 もしカードが悪いなら、いかに質問者がその問題を乗り越える事ができるかを示しなさい。   イーデン・グレイ(タロットリーディングの母・アメリカ)    「A Complete Guide to Tarot] 「タロット占い完全マニュアル」 浅野太志著 総話社 より

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    大いなる「周期」を意識してみる:「大運」・「サターンリターン」・「ルネーションサイクル」・四柱推命と占星術

    「暦」は規則的に巡ります。 60パターンの「駒」が、順番に一つづつ巡っています。 なので、今まで流れも振り返って確認することもできるし、これからどんな流れがやってくるのかも予測可能なのです。 巡る運気は4種類あります。 一年ごとに巡る「年運」 1ヶ月ごとに巡る「月運」 一日ごとに巡る「日運」 それから、10年ごとに巡る「大運」です。 四柱推命が「当たる」と言われるのは、「大運」がとても明確に、その人の「10年のテーマ」を示しているからだと言われています。 推命家によっては、その人の運気を100%とするならば、大運は60%を占めていると解釈する人もいるほどです。 私も、そのくらい影響力があると感じていますが、60%の影響力というよりも、「今回の旅のテーマ」みたいな感じで捉えていて、旅行ツアーのパンフレットの題名「〇〇を見に行こう」的な、そんな感じかなと思っています。 例えば、「オーロラを見に行こう」となっていたら、寒いところに行くので、それだけ防寒対策を講じるかが旅の快適さを左右します。 間違えて、夏服しか持って行かなかったとしたら、寒くて仕方がなくて、旅どころではないし、冬服をすぐに購入して暖かく過ごす対策を講じること。そして、どんなにお気に入りの夏服だったとしても、今回の旅では活躍の場はありません。 そんな感じで「大運」と向き合って、10年のテーマを決めると、運気が味方をしてくれます。 この10年は、自分のやりたい事を見つけるために種を撒いてみよう この10年は、自分の夢を叶えるために挑戦を繰り返そう この10年は、自分の主張をしっかりと宣言してそれを形にしよう それぞれのテーマに合った「行動」を、年の運気の流れや、月の運気の流れを利用して、「行動」していくと、効率よく暦を活用することができるのです。 そして、それは10年過ぎても「同じ自分」でいられるわけではなく、10年過ぎれば、「自分のテーマ」が変わるのです。 自分のテーマが変わってしまうように、「世の中」のテーマもまた、10年経つ頃には、すっかり変わってしまい、「いつまでも同じ状態でいる」ことは、ありえないということ。 物事は5年目あたりでピークとなって、6年目からは少しずつ、ベクトルの方向を修正し始めていき、8年目は「次」を意識した本格的な軌道修正が始まって、9年目は、いつ「次」に行っても大丈夫なように準備万端で過ごすと、スムーズに、滞りなく、流れに乗ることができます。 「大運」の節目に、「接木運」が30年ごとに巡ります。 これは「季節」が変わるイメージです。 「接木運」に関しては、「前後は大変なことがある」とか、「体の不調が出る」とか、様々な説はありますが、「不幸な出来事」が起こるというよりは、「自分の考え方、または生き方を、自ら変えたくなるような気持ちになる」、そんな感じで解釈をしています。 なので、脱皮ができる可能性を秘めた時。 それは「試練」と受け止めるのか、「チャンス」と取るのかは、その人次第ではあります。 「大運」や「接木運」に関しては、占いアプリなどでも簡単に調べることができるので、調べてみると、とても参考になると思います。 ホロスコープに関しても、これと同じような、大きなサイクルの変わり目があります。 まず一つ目は、「土星のサイクル」です。 サターンリターンと呼ばれているサイクルで、30年で一回りします。 生まれた年の「土星」の位置が、29〜31年くらいで一周回って、再び生まれた年の場所に「土星」が戻ってくる時に、次の「成長」のために、土星が新たな「宿題」を持ってくる感じです。 30歳前後は、「これからどうやって生きていこう」と、自分と向き合う時。 そして、60歳前後で、また、「これからどうやって生きていこう」と、再び向きあいます。 人生100年時代の今、90歳で、また再び、「これからどうやって生きていこう」と感じます。 そして、30年サイクルの中間地点の15年目に、「プチ・リターン」がきます。 15歳の頃、45歳の頃、75歳の頃にあたります。 なので、若干前後することはありますが、30歳、60歳、90歳あたりで、自分の人生をより良くするために、「軌道修正」をしてみる、その間の15歳、45歳、75歳あたりでも、少し人生について考えてみる。そうすると、土星がきっと応援をしてくれるはずです。 もう一つは、月の満ち欠けのサイクルです。 「ルネーションサイクル」と呼ばれていて、これも30年サイクルです。 これは、出生時の「月の形」を基準にして、そこから出発し、31年目に出発地点に戻ります。 月が満ちて時には、「発展」 月が欠けて行く時には「まとめる」 このサイクルは、お誕生日によって違います。 こちらも占いアプリで調べられます。 「鏡リュウジの占い入門4 鏡リュウジのルネーション占星術」 鏡リュウジ著 説話社 こちらの本は、分かりやすくルネーションサイクルについて書かれているので、ご興味がある方は、是非、読んでみてくださいね。 これらの周期がいつなのか、具体的に調べてみると、面白いことに気がつきます。 それは、「周期には色々あって、少しずつ、節目が違う」こと。 そして、「景色のイメージが違う」こと。 「接木運」の変わり目と、「サターンリターン」の変わり目と、「ルネーションサイクル」の変わり目の年齢は、少しづづ異なっています。そして、「テーマ」にも違いがあります。 どれが「本当」なのかと言うと、どれも「本当」であり、でもどれも「全て」ではありません。 ただ、大いなる「周期」を感じると、細かい「良し悪し」に縛られることなく、視野を少し広げてくれるので、私は、このサイクルが、どれも好きで、参考にもしています。 すぐに結果が出なくても、10年くらいやり続けてみたら、なんか潮目が変わるかも 大いなる周期は、そんな気持ちにさせてくれるのです。 天からの「気」と、地からの「気」が、いつも応援してくれている、そんな「景色」の中心に「わたし」が立っているような感覚になるのです。

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    「学ぶ」ことと「鑑定」することは全く逆の「視点」から向き合うこと:四柱推命と向き合う

    遠い昔、古代中国は、農耕を中心として、人は生きる糧を得ていました。気が遠くなるくらいの長い年月、人は自然の恵みからのみ、「恩恵」を受けて生きてきました。 自然と寄り添い、自然の声を聞き、自然を感じることで、生き延びて来られました。 そのうち、自然現象の中から、予測して、それに備える術を、体験を通して知っていきました。 そして、それが「整体観念」「天人合一」の理論に繋がっていったのです。 この理論は、古代中国哲学の「核」となり、「四柱推命」の理論の元となる、「陰陽論」「五行思想」へと発展していきました。 四柱推命を「学ぶ」ことは、「古代中国哲学」の理論を学ぶことでもあります。 哲学的思想を学ぶことは、「人生」を学ぶことでもあり、とても深い学びとなります。 深い学びは、「人生」について考えることではありますが、「答え」を求めるものではありません。 それは、あくまでも「思想」であり、考え方の幅を広げてくれるものです。 「学ぶ」とは、自分の内側にベクトルを向けることです。 一方で、「鑑定」することは、お客様に、ご自身で、納得した上で、自分で決断を下すための情報と、きっかけを提供することです。情報は、具体的に、端的に、そして理解していただけるものでなくてはいけません。知り得た知識の全てを提示するのではなく、必要な情報のみ、選択して提示しなくてはいけません。 多すぎる情報は、時には「迷い」の原因になってしまうからです。 お客様が必要としておられることは、「思想」ではなく「対策」です。 「鑑定」とは、お客様にベクトルを向けることです。 「学ぶ」ことと「鑑定」のベクトルは、真逆です。 四柱推命を深く学べば学ぶほど、「鑑定」できなくなります。 それは、「暦」の中には「対策」に関する明確で限定した「答え」(正答)がないからです。 逆に、「学ぶ」事をおろそかにして「鑑定」だけ行っていると、「結果」が出せなくなっていきます。 それは、「独りよがり」の鑑定になってしまうからです。 「鑑定」は、あくまでも「お客様」が主体です。 「お客様」の立場に立って考えるためには、「お客様の軸」が必要です。 「占い手軸」ではありません。 陰陽はバランスをとってこそ、「安定」して存在できます。 「学び」あっての「鑑定」 「鑑定」あっての「学び」 それは他のことでも言えることです。 準備をしながら行動する 謙虚な気持ちを持ちながら勝負する 走りながら考える 相反するものが「両極端」であるほど、大きな「一つ」になります。 相反する「両極端」を兼ね備えてものは、人を「魅了」する大きなエネルギーを持っているのです。 そのような状態は、大きな揺らぎを生むので、バランスを、取るのは大変です。 でも、揺るがないしっかりとした軸があれば大丈夫ですね。 学べば学ぶほど、鑑定に自信が持てなくなるし、鑑定をこなせばこなすほど、自分の知識の浅さを痛感します。 でも、それは、揺らぎが大きくなっている証拠。 大丈夫、大丈夫と唱えながら 「鑑定」と「学び」に取り組んでいきたいと、いつも考えています。

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    「自分らしく」あるために必要な3つのステップ:四柱推命・命式は教えてくれる

    「頑張っている人を見ると、私も自分らしく輝きたい」 そんな風に思っている時、実は「自分」が見えていない時です。 人は社会的動物です。 なので、他人との比較で「自分」を確認しているのです。 情報が溢れている今、比較対象が多すぎます。 誰と比較するのか、何を比較するのかで、「基準」が違ってきます。 ただ、対象となる他人は「外側」の部分でしか判断できません。 外側の他人を見て、他人との比較で判断し、落ち込んでしまうのは、プレゼントのラッピングだけで中身を判断しているのと同じです。 中身の確認ができないものは、参考にして、真似できる技を盗む。そんな感じで「活用」すると良いと思います。 自分らしく輝くには、3つのステップを経て、やっと達成できます。 まず第1ステップは、「好き」を認める事。 それは、子供の頃からの「夢」かもしれないし、憧れの対象のイメージかもしれないし、時間があったらやってみたいと思っている事かもしれません。 「好き」に気づくのは、割と簡単です。 「こんな風になりたいな」「あんな感じだったら良いかも」と、ウキウキ話す事ができます。 ただ、それは移ろいやすいふわふわした「好き」です。だから、手に入れるための「努力」はできればしたくない。 認めるためには、まずは自分を説得しなくてはいけません。 「好き」を手放したとき、何を思い、何を感じるか。 失ってしまったら、辛くて悲しくて、そして、心の底にズシっと重い「シコリ」がはびこるような感じがしたら、それは手放してはいけない大切な「好き」です。 「好き」を手放さない「覚悟」ができたら、第一ステップはクリアです。 第2ステップは、「好き」を掴む事です。 それにはまず、「宣言」することから始まります。 「これが好き。だから欲しい。」 言ってしまったら、後には引けません。 「宣言」は、どんどん「進化」させないと、「退化の圧力」に押しつぶされます。 なので、いつまでに欲しいとか、どんな風にしたいとか、具体的に披露していきます。 外に出せば出すほど、「反対勢力」がやってくるので、弱気にはなりますが、第1ステップで覚悟がしっかり決まっているから、気持ちは揺らぎません。 手に入れるためには、手放さなくてはいけないこともありますが、それでも覚悟ができているので、気持ちは揺らぐことはありません。 そして、どんどん「宣言」を進化させると、気がつくと、両手には、キラキラ輝く「好き」でいっぱいになっています。 第3ステップは、「好き」を育む事です。 手に入れてしまって安心しきっていると、それは「釣った魚に餌をあげない」状態になってしまいます。 いつもあると思うと、安心して手を抜くので、油断してしまいます。 よりキラキラするためには、磨き続けなくてはいけません。 時々、めんどくさいなあと感じる時もあるかもしれないけど、「覚悟」を決めた瞬間の思いや、反対勢力と戦ってきた思い出がいっぱいあるから、大切に、愛おしく、磨き続ける事ができます。 そして、磨き続けていると、ふと気がつくのです。 人の視線なんか、全く気にならない。 自分の「好き」を手に入れることに夢中になっている時は、人の視線を見る暇がありません。 自分の「好き」を手に入れることに夢中になっている時の視線の先にあるものは、二つです。 一つは「好き」そのものに。そしてもう一つは、夢中になっている自分に向けられる、あたたかくて、厳しくて、そして、必ず手に入れられると信じてくれる「人」の「思い」です。 3つのステップを、しっかりとクリアして、最後に感じるのは「自信」と「感謝」の気持ちです。 内側から「自信」と「感謝」の気持ちが、清らかな湧き水のように、こんこんと溢れ出るから、「好き」なものを守り続ける人は、光り輝くオーラをまとっているように、他人の目に映るのだと思います。 鑑定の時、やりたい事があるけど、できない理由を探している人には 「今は、まだ、無理だと思います」 と、伝えています。 そうすると、ちょっと不服そうな表情をされるので、申し訳ないなあとも思うんですが。 でも、やっぱり、難しいと思うのです。 なぜならそれは、できない理由を探すのは、第1ステップすら達成していないから。 もしも、そんな状態で、やれるチャンスが降ってきたとしても、握力のない手では、何ひとつ掴むことはできません。 仮に、たまたま掴めたとしても、第2ステップの「反体勢力」がやってきたら、「責任転嫁」して放り投げてしまいます。 そして、そんな時には、エネルギー(時間)は有限であること。だから、出来ないことにエネルギー(時間)を使うことはもったいないこと。 また、「気」は意識したことろに集まる特徴があり、だから、出来ないことに気を集中すると、出来ない「気」が集まってくること。 逆に、出来る方法を探すためのエネルギー(時間)はたっぷりあること。だから、効率よく、自分で調整できること。 また、「気」は意識しところに集まる特徴があるから、「出来る」に意識を向けると、あちらこちらから「出来る」がいっぱい集まってくること。 そんな風に、エネルギーと気の特徴を、一つ一つ、説明をするのです。 焦らずに、腐らずに。説明をします。 第1ステップに到達しているお客様の姿を想像し、そうなるはずを「気」を集中します。 だって、「気」は意識したところに集まって、みんなで「応援」してくれるから。 私が、焦ったり、腐ったりする理由はどこにもないのです。 実は、側から見て、「自分らしく」輝いていると見える人は、本人はそれを全く自覚していません。 それは、「自分らしく」と思う余裕なんてなく、ステップをクリアするのに忙しいからです。 やっていない事を始めるには、まず、扉を開けないと始まりません。 扉を開けた先の「景色」は、どんな「景色」が待っているのか、全く想像すらできません。 それでも勇気を振り絞って、「えいっ」と開ける「覚悟」ができたら、やっと第1ステップがクリアできます。 お誕生日から導き出される「命式」は、その人の「特徴」を教えてくれています。 そして、「巡る気」と合わせて観ていくと、「こんな感じで進むのがお得」とか、「下準備をしっかりしてから行くと良いよ」とか、動き方の流れが見えてきます。 それはあくまでも「流れ」なので、逆らうこともできます。 人は決定権のあるところに、責任の所在を求めます。 だから、自分で決めたことは、自分でしっかりと責任を取ろうとして、困難にも向き合う覚悟を持つ事ができます。 「占い」は、魔法のように何でも願いを叶えるものではありません。辛いときには依存したくなるかもしれません。 でも、掴むのは自分の「手」。 掴むための便利な「道具」として、「占い」を活用してください。 第1ステップがクリアできたら、ほぼ7割はクリアしています。 第2ステップは、目も前の「課題」に一つ一つ向き合って、「対応」するだけです。正面切って戦うも良し、一目散に逃げるも良し。 自分で決めた「対応」には、間違いはありません。 一つ一つ、焦らずに、腐らずに。 気づいた時には、第3ステップに到達しています。

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    「天」に向かって「夢」を投げる。それはいつか「地」に戻ってくるから:「占い」を利用して「運」を動かす・手相と四柱推命の使い方

    子供は「陽」の塊です。 子供がそこにいるだけで、空間には「陽」が満ち溢れてきます。 「陽」がいっぱいの空間に一日いると、私も「陽」が伝染して、やる気が出てくるようです。 子供たちの手相は、本当に「綺麗」です。 「線」には「弾力」があり、しなやかな「張り」があります。 「丘」もしっかりと盛り上がっていて、中身がしっかりと詰まった「密度」があります。 とてもスッキリしていて、シンプルで、分かりやすい「線」が、堂々と並んでいて、「僕、すごいでしょ!」と話しかけてくれます。 晴れ晴れとした手相を見ていると、子供達の未来は、無限大に広がって行く可能性に満ちていて、それをしっかりと、負けずに、伸ばして行って欲しいと感じます。 「占い」は予言ではありません。 手相は、「今」の生き様を示しています。 そして、お誕生日から割り出される「命式」は、自分の「特徴」を示しています。「特徴」は、「売り」」にもなるし、「長所」でもある。でも、加減が適切でないと「欠点」にもなるし、「短所」でもある。 なので、「売り」となるように解釈し、今後の流れと掛け合わせていく。そうすることで、「自分らしい」流れの利用の仕方がわかります。 そして、できるだけ良いものとしての「確率」をあげるための「やり方」を導き出すために使う便利な「ツール」が占いです。 なので、子供たちを観せてもらう時には、私は、思いっきりその子が「嬉しく」なってくれるような言い方をしています。 例えば、頭脳線が2本ある子は、「頭が良い子」です。 「頭が良い子ね」と言うだけでは、その子は「そうなんだ」と思うだけで、きっとそのうち忘れてしまうでしょう。 なので、「あなたは、人の2倍の脳みそがあるから、テストで100点じゃなくて200点が取れるのよ!」と言います。 「テストは100点満点だから、200点なんて無理だよ!」と、子供らしく切り返してきたら、「私が先生だったら、200点あげたいくらい、あなたはきっと頑張って勉強すると思うよ」と返しています。 そして、一緒に話しを聞いている親御さんには、「しっかりと、深く知識を学べるような環境を与えてあげると良いですね」と伝えます。 頭脳線が2本ある子は、「飲み込みが早い子」です。 なので、すぐに出来るようになります。そうすると、すぐに解ってしまうので、詰めが甘くなったり飽きてしまったりするのです。 なので、100点ではなく200点を取るつもりで、「深く」学ぶと、能力を「効率よく」開花することができますね。 また、頭脳線が下に向かって、長く伸びている子には、「あなたは、すごくたくさん、色んなことを考える子ね。先生やお母さんの言うことも、よく聞くし、お友達も大事にしているのね」と言います。そう言うと、照れ臭そうに笑って話しを聞いてくれます。 そして、一緒に話しを聞いている親御さんには、「自信を持って過ごせるように、出来たことを具体的に、しっかりと褒めてあげてくださいね」と伝えます。 頭脳線が下に向かって長く伸びている子は「人の気持ちがわかる、優しい子」です。ネガティブに考える事ができるので、考えすぎると優柔不断にはなってしまいますが、それは「リスク回避」のための準備ができるタイプとなります。 なので、「どうせ・・・」となってしまわないように、出来た事を褒めてもらった「成功体験」が「武器」となって、社会に出ても、謙虚に物事と向き合える事ができます。 「短所」は、実は「長所」です。 出し方次第で、「短所」にもなり「長所」にもなります。 親御さんが「短所」だと思っているところは、「他の子と違う」とところです。違うところは「特徴」なので、それは矯正してしまったらもったいないです。特徴は「売り」です。 子供たちの可能性は、無限大に広がっているのです。だから、「売り」をしっかりと磨いて、上手く活用して欲しいなと思っています。 「夢」を叶えるために、一番最初にすることは、夢を空高く放り投げるように「決意」することだと思います。 それは、天に向かって「宣言」する感じです。 自分の「核」の中の「夢」を、天高く放り投げます。 「天」に放り投げた「夢」が、世のため人のためになる「夢」だと「天」が認定してくれたら、「天」は「地」に向かって、「夢」を降ろします。 それは「地」の許可がいるからです。 「地」に降りた「夢」は、「地」の「試験」を受けます。それは俗に言う「試練」。「地(土)」は「火の情熱」が大好きです。「熱い思い」があるかどうか試してきます。諦めずに、心に炎を燃やし続ける事ができて、「地(土)」が喜んでくれたら、晴れて合格する事ができて、「夢」が自分のもとにに戻ってきます。 夢はこのようにして、現実になるのだと思っています。 「夢」を叶えるためには、「天」と「地」の二つの認定が必要です。 子供たちを鑑定する時は、いつも、天高く自分の「夢」を放り投げる事が出来るように、思いっきり「風」を起こすため、テンションをあげて話します。 いつか、その「夢」が、「天」の認定を受けて、「地」に降りてきたときに、テストで200点取れるよと言われて楽しかった思い出や、みんながあなたを大事に思ってくれてると言われて安心した思い出があれば、きっと、ちょっとでも支えになれるかもと思うのです。 とっても「綺麗」な手相は、みんなを元気にしてくれる「パワー」で溢れています。 だから、全力で応援したいと思っています。

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    気持ちが散らばってコントロールできなくなったら:四柱推命・木気

    「このままで良いのかな」とか 「今やっていることって、果たして大丈夫かな」とか ふと、不安に感じてしまう時があります。 まだ、この程度だったら、他に気が散る様な楽しいこと、例えば、テレビで面白いドラマ見たり、お風呂にゆっくり入ってみたり、ほっこりする別の事があると、いつの間にか忘れてしまっていて、まあ良いか、と不安な気持ちも、いつの間にか流れて消えています。 「気」は絶えず動いているので、同じ状態で、同じレベルで、留まることはありません。 だから、「なんとなく」浮かんだ気持ちは、「なんとなく」流れていくのです。 でも、すごく「重い」心配だったり、頭がいっぱいになってしまうほどのネガティブな気持ちは、どんどん大きくなっていきます。 そして、そのパワーは、「今」の自分を「支配」してしまうほど大きくなる。 実は、それには「理由」があるんです。「気」は意識したところに「集まる」特徴があります。 なので、心配やネガティブに集中してしまうと、それが集まって、どんどん大きくなってしまいます。 それから、もう一つ。 忘れてはいけない「気」の特徴があります。 それは、全ての「気」は「進化」ということ。 良し悪しに関係なく、とにかく進化していきます。 もしも、ネガティブばかりに気持ちを集中していると・・・・ 気が付いたら、ネガティブが進化して、ネガティブだらけに。 それは、とても勿体無いし、残念なことです。 それでは、どのように「進化」していくのでしょうか。 気が「進化」するというのは、どんな「景色」が繰り広げられていくのでしょうか。 始まりは、小さな、とても小さな「点」です。 その「点」は、あまりにも小さくて、誰も気がつかないくらい。とても儚くて、脆いので、大切にしないと、外からの「圧力」にクシュっと潰されてしまいます。 「点」を守り、育てていきます。 やがて、「点」はだんだんと、横に広がっていきます。 横に広がると「障害物」があるので、それを避けたり、交わしたり。 でも、「障害物」だとばかり思っていたものの中には、「同化」できるものもあるので、仲間になって、「点」が「面」になります。 目の前の「障害物」を、しっかりと観察し、向き合って、一つ一つ「対応」する時期です。 「面」は、ある時突然、「立体」になります。 四方八方に、ふわっと大きくなっていき、「拡散」していく状態になります。何も遮るものはないので、どんどん拡散していく。 「点」が進化して、「全て」となります。 たった一人で始めたことが、やがて賛同してくれる人たちの間で広がっていき、突然「常識」となる。 このように、物事は「進化」していきます。 最初の段階は、目の前の「点」に集中する時期です。 なので、先のことはわかりません。 「点」から「面」になる時が、実はとても面白い時です。ドラマティックに進んでいきます。 映画のストーリーで例えるならば、とても無理そうな状況から、なんとか試行錯誤を繰り返し、傷を負い、それでも諦めずに戦っている。そのストーリーを見る人が、「一番の見せ場だったね」と、心の奥深く刻まれる「シーン」の連続、そんな感じの時期です。 敵が不意に出てきたり、足元をすくわれたり、でも、とても素敵な出会いがあって、仲間もできて、役割分担をしながら、問題を一つ一つ「解決」していきます。 たくさんの「失敗」が、解決のための「指針」を教えてくれます。だから「失敗」に対して、感情的に向き合うのではなく、冷静に対策を講じる態度が試されます。 この時期は、とかく「テンション」が不安定になり、上がったり下がったりします。 「テンション」は、蓋を開けたままのお鍋を、最大火力で加熱している感じです。「水」がたっぷり入っていないと、たちまちカラカラになってしまって、お鍋ごと焦げ付いてしまいます。 常に「水(智慧)」が入っているかどうかチェックして、あまりにグラグラ煮えたぎっていたら、冷たい「水(智慧)」を差す。できれば、「火(情熱)」の炎の調整を、上手にした方が、簡単です。 なぜならば、あまりに強い「火」は、大切なお鍋の底を溶かしてしまうかもしれないからです。 「火」が強すぎて、「水」が吹きこぼれてしまったら、元となる「火」が消えてしまうこともあります。 この段階は、「火」と「水」をコントロールする時期です。 「面」から「立体」になるのは、ある時突然ふわっと広がっていくので、予想することはできません。 勝手に、四方八方広がっていきます。 「常識」になる時。 当たり前のこととして、なんの疑問も抱かずに、意識すらされなくなります。 なので、「気」は分散していき、広がっていき、収拾がつかなくなります。 「それは、そういうものでしょ」と言われ 「はい、そうですね」と答える。 コントロールしようにも、広がりすぎて、どこから手をつけるのか、手を付けたとしても、良いのか悪いのか、どっちなのか、わからない。そんな時期です。 広がりすぎて、収取不可能なものには「進化」はありません。 なぜなら、目指す方向が定まらないからです。 「進化」とは、目指す方向があって、その方向に向かって進むものだから。 霧雨のような「水」が、全てを覆い尽くす。 それは、五行の巡りの最後にやってくる「癸」の景色ですね。 「点」から「面」へ向かう段階は、ある程度コントロール可能です。 嫌な感じがするものとは、繋がらなければ良いので。間違って繋がっても、切れば良いので。 ここでは、「金」の気が活躍してくれます。 厄介なのは、いったん「面」になってしまった段階。 突然「立体」になる可能性があるから。 「立体」となったら、もはやコントロール不可能。 掴みどころのない霧雨を、掴もうとするような感じだからです。 では、どうすれば良いのか。 それは、霧雨に意識を向けず、「木」を意識する。 目の前の、小さな芽を見つける。 「点」は「芽」です。「芽」を発見すると、再び「進化」が始まります。 「木」が溢れる時間帯は、早朝の日の出の頃。 昇る太陽の日差しを浴びるのも、「芽」を発見するのに役に立ってくれます。 あれこれ迷って決められなくなったら、とりあえず朝陽。 そこから何かが始まるかもしれませんね。

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    「命式」と出会う:四柱推命・欠けた「気」が教えてくれること

    四柱推命は、生まれた年を「年柱」、生まれた月を「月柱」、生まれた日を「日柱」、そして、生まれた時間を「時柱」と捉えて、四つの「柱」の「気」の宿り方で、その人の「気の特徴」を読み取っていきます。 この、四つの柱の事を、「命式」と呼びます。 「命式」は、個人の「取り扱い説明書」です。 推命家は、その「取り扱い説明書」を読み解き、鑑定をしていきます。 「気」の配置は、全部で5つあります。5つはそれぞれ「テーマ」があります。 命式に宿っている「気」」が、どの部分にたくさんあるのか、どの部分にないのか、偏っているのか、満遍なく散らばっているのか。 「全体」を観て、それぞれの「部分」を読み解き、「個人」の「景色」をイメージしていくのです。 5つのパーツの中で、たくさんの「気」があるところが、「得意なテーマ」です。少ないところが、「苦手だけど、場合によってはできるテーマ」、そして、「気」が入っていないところは、「やる気がない」「出来ない」「すごく頑張ったら何とかできるかもしれない」、そんな感じで捉えます。 「無い」から「悪い」のではなく、「無い」のが「個性」、すなわちその人の「売り」です。無いからこそ、人からもらえたり、出来ないから「隙」となって、人を魅了します。 人は「安定」が好きです。 実は、大抵の人は、「無い」パーツを、一生懸命に自分で生み出そうとして、補おうとして、頑張って、努力して、そして、疲れてしまいます。 人は、自分の不足部分を、認めたくないし、受け入れたくもないのです。 自分の「命式」と向き合った時の事を、今でもはっきりと覚えています。 それは「ショック」な出来事でした。 私の「命式」は、「無い」部分があります。 それは「プレッシャーに負けずに、ノルマをしっかりとこなす」パーツです。 それまでの私は、「きちんとしなくては」とか、「皆んなに迷惑をかけ無いように、自分で全部しなくては」とか、「言いたいことよりも、期待されている事を言わなくては」、そんな風にいつも考えていて、そんな風に、物事を決めて、決めた事を一生懸命やり遂げようと努力をしていました。 でも、上手くいかないし、疲れてしまうし 「なんか違う」 そんな事を感じていたのです。 自分の命式を、万年暦を使って作成し、じっと眺めて見ると、「命式」が、私に言ってくれたのです。 「それは、出来ないよ。だって、(気が)無いから。」 肩の力がスーッ抜けて、ずっと感じていた「違和感」の理由がわかりました。そして、自分らしいやり方と受け止め方がわかりました。 自分の「不足部分」も含めて、受け入れると、自分が見る「景色」がとても優しく変わります。 自分の見る「景色」が優しくなると、人の「景色」までもが、全て優しく見えてきました。 自分の「命式」と出会った時、それは、「外側の自分」と「内側の自分」が出会った時です。 それは、「最高のパートナー」と出会った瞬間となりました。 映画「アラジン」で、最高のパートナーと出会った時のイメージにぴったりのシーンがありました。 それは、魔法の絨毯に乗ったアラジンが、お城のバルコニーに立っているジャスミン姫の前に、突然現れて、ジャスミン姫を、魔法の絨毯に乗せて、一緒に大空を、気持ちよく飛ぶシーンです。 アラジンは、絨毯に乗ろうかどうか迷うジャスミンに対して 「僕を信じて」 と、しっかりと目を見つめて言い、手を差し出します。 その目をしっかりと見つめ、手をしっかりと握って、ジャスミンは、勇気を振り絞って絨毯に飛び乗るのです。 魔法の絨毯は、とても不安定だけど、二人一緒だから怖くありません。大空を、一緒に飛びました。 時間は「過去」から「未来」に向かって流れていると、通常は、考えられています。 でも、実は、とても面白い「逆説」があります。 それは、「未来から今に向かって流れている」という「説」です。 未来に「目標」や「希望」を設定できるのは、「未来」がすでに存在しているからで、だから、達成できる「目標」を立てることができたり、将来に「希望」をもてるのだそうです。 魔法の絨毯で、迎えに来てくれたのは、「未来の自分」 「未来の自分」を信じることができたら、絨毯に乗って、一緒に二人で、飛んでいける。 何故なら、「未来の自分」と「今の自分」が、目指している「方向」が同じだから。二人で、しっかり、目指す「方向」に向かっていけば、一人では心細くて出来ないことも、二人だったら大丈夫。きっとできる。 「命式」を観て、私の肩の力がスーッと抜けたのは、「内側の自分」が「大丈夫。何とかなるよ。(内側の自分を)信じることができたらね」と迎えに来てくれて、手を取り合った瞬間だったような気がしています。 「最高のパートナー」に出会うと、とても弱くなります。 それは、いつでも守ってくれるから。 絨毯から落ちそうになったら、「大丈夫?」と言って、手をグッと握りしめてくれます。 絨毯が、突然、急降下して怖くて不安になったら、「大丈夫!」と力強く元気付けてくれます。 だから、肩肘張って頑張らなくても、弱い自分のままでいられます。 「最高のパートナー」に出会うと、とても強くなります。 それは、全力で守りたいから。守れる自分でいたいから。 何があっても「大丈夫」と、力強く言える自分でいたいのです。 強くなりたいと、肩肘張って頑張れます。 そして、二人一緒だから、同じ方向を目指して、何があっても、諦めなければ、辿り着くことができるのです。 自分の「命式」を感じると、自分を客観的に知ることができます。 自分の「命式」が好きになると、自分を信じる気持ちが芽生えます。 なので、自分を信じて、自信を持って、運気の流れに身を委ねることができるのです。 そして、自分で、「決断」ができます。 自分で決めたことは、諦めなければ叶います。 なぜなら、自分で決めたこと以外は、結果が出ないからです。

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    どれだけの「涙」を流したか。「涙」の数は「成長」の数:木気・五液:四柱推命

    世界中で、最も多くの読者を持つと言われている、アメリカの作家 オグ・マンディーノの作品の中で、「とにかく泣ける!」のは「十二番目の天使」です。 何度読んでも、あらすじを知っていても、展開がわかっていても「泣ける」のです。 挙げ句の果てには、「表紙を見ただけで」涙がこぼれそうになる。 この作品は、「泣いてスッキリしたい」時にも、オススメの一冊です。 ただし、寝る前に読むと、次の朝、目が腫れぼったくなってしまい、翌朝の「お化粧のノリ」に影響が出るので、できれば読む時間帯を選んだ方だ無難かもしれません。 この物語の主人公は、「何もかも手に入れた」一人の男性です。 ある日、突然のとても理不尽な出来事で、一番大切なものを失います。 男性は生きる気力を失い、生きることを辞めようと決意したところから、物語が始まります。 そんな時、「思ってもいなかった些細な誘い」に渋々ながら乗ることにしました。 そこで「十二番目の天使」と出会います。 「十二番目の天使」は、とても純粋で、とても前向きで、直向きに「生きる」ことにこだわります。 最初は、「無理なんじゃないの」と言っていた「周囲」も、「天使」の直向きさに影響をされ、徐々に、「天使ワールド」が広がっていきます。それは、とても大きくて、とても深く、「周囲」を暖かく包み込みます。 そして、「奇跡」が起きるのです。 彼もまた、「奇跡」を起こすために、生きる決断をします。 なぜ生きるのか。 それは「死」を受け入れるため。 あがなえない「死」に対して、どう向き合い、その瞬間まで、何にこだわり、貫くのか。 生きるのは死ぬため。 それは、誰にも邪魔されず、誰の影響も受けず、「自分」で決断するものです。 そして、それを「大切」に支えて守ってくれる人が、「最高のパートナー」だと思います。 それを貫いて、滑ったり転んだりしながら進むことが、「自分らしく」あること。 「最後のゴール」の方向が同じ人が、「価値観」があう人だと思います。 「十二番目の天使」は、爽やかな心地いい「涙」をくれて、清々しい気持ちにさせてくれます。 人はなぜ、「涙」を流すとスッキリするのか。 「涙」には3種類あります。 一つ目は、「基礎分泌の涙」 これは、目の表面を乾燥から守るための涙です。 乾燥から守ることで、「外敵」からの攻撃を和らげてくれます。 二番目は「反射の涙」 これは、「外敵」がやってきた時に、「戦う」涙です。 「外敵」を洗い流すことで戦います。 そして三番目は「情動の涙」です。 「心」が動くことで、動きすぎて過剰にならないために「涙」が外に出ることで「調整」をしてくれます。 それは、ポジティブな感情、ネガティブな感情、どちらに対しても「調整」をします。 あまりにも「偏る」と、「心」が固まったり折れてしまうので、「緩める」とことでバランスを取ろうとするのです。 「心」が動くのは「交感神経」がパワーアップすること。「涙」が流れるのは「副交感神経」のスイッチを入れること。 「地の底」に叩き落されるほどの「悲しみ」は、「涙」すら出ないほど偏っています。 そんな時は、まず「休む(睡眠)」をとることで「力」の復活を待つのです。 本を読んだり、映画を見たり、感動したり、それらは「情動の涙」です。 涙もろい人は、感情の「振り幅」が大きいので、「調整」するために涙がポロポロこぼれてくれるます。 「情動の涙」は心を守ってくれる、とても「優しい涙」なのです。 なぜ「涙」を流すとスッキリするのか。 それは、その「涙」の優しさに触れることで、守られている安心感が芽生えるからです。 「涙」がバランスを整えてくれることで、「自分」の立ち位置を再確認させてくれます。 スピリチュアル的な「涙」の捉えかたもあります。 訳もなく「涙」が溢れでる時は、「魂」が震えて出る「涙」だそうです。 それは、「本来の自分の姿」に気づいた時、そして、今の自分との「ギャップ」を感じて涙が溢れでるそうです。 「喜び」「歓喜」「幸せ」「後悔」「懺悔」「悲しみ」「辛さ」 その「ギャップ」を埋めるために、「転機」を乗り越えて、「自分」を取り戻す作業が始まると言われています。 「浄化」の「涙」 「涙」が今世の「汚れ」を洗い流し、「魂」の掃除をする。 そして、綺麗になって、自分の「旅」が始まります。 では、五行的「涙」の解釈ではどうでしょうか。 「涙」は「木気」の「五液」 「木」は、五つの気の中で、唯一「生命」を宿しています。 生命が成長していくために「木」が応援をしてくれます。 「木」は命を「情」で包み込み、優しく寄り添ってくれるのです。 「涙」を流すのは、「木」の気を刺激することです。 「涙」が流れる時には、たとえどんな感情がベースになっていたとしても、「生きる」気持ちを高めてくれます。 それは、「自分」の成長だけでなく、「周囲」の成長に触れた時にも「涙」が溢れます。 また、自分の「成長」する姿を見て、応援してくれる人の「涙」は、自分の「気」と合わさって、相乗効果で「木」が増えます。 自分に寄り添って、一緒に「涙」を流してくれる人と過ごす「時」は、一人では力不足で成し遂げられないことも、「木」をプレゼントしてもらえるので、スケールが大きくなって、きっと出来てしまうことでしょう。 「人」は「進化・成長」します。 成長のための「涙」をたくさん流すのは、「進化」に貪欲であるからこそ。 自分のためだけでなく、「人」のためにも「涙」を流したい。 魂が震えるような「涙」をたくさん流す。 それはきっと「彩り豊か」な日々になると思います。 ただし、何事もほどほどに。 あまりにも泣いてばかりいると、さすが「木」の気も疲れます。 「木」の臓器は「肝臓」です。 泣きすぎは「肝臓」が疲れるので、ほどほどに。 何事も「良い加減」が大切ですね。

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    手詰まりを感じたら、「未」の出番かもしれません:四柱推命・十二支「未」の解釈

    物事が盛りを過ぎて、下りに向かう。 どちらかと言うと、「ネガティブ」なイメージではないでしょうか? 東洋思想では、陰と陽の「質量」は同じだと考えます。 もちろん、「場所」や「時」を部分的に切り取ると、そこには偏りはありますが、「全体」としてみると同じ。 これは、「占い」の解釈においても、忘れてはいけない考えです。 陰陽で考えるならば 「上り」は「陽」 「下り」は「陰」 となります。 上りから下りに向きを変えた「景色」は、十二支では「未」です。 「未」は、一言で言うならば「洗練されていく気」 「未」を命式に持っている人は、決してグイグイ主張はしないけど、「なぜか心引かれる」とても魅力的は人が多いんですよ。 それでは、今回は、そんな魅力的な「未」について書いていきたいと思います。 「未」は「味わう」 成長を喜び、成果を味わう。 万物が成熟し、滋味を感じる。 頑張ってきた事を振り返り、頑張れた事に思いを寄せる。 もしかしたら、思い通りの結果ではないかもしれません。 でも、「出来ることはやりきった」と、ある意味清々しいのです。 命式の中でも、特に月柱の地支に「未」がある人は、この傾向が強く出ます。 7月7日から8月7日(年度によっては1日ずれることもあります)に生まれた人が、これに該当します。 あれもこれもと欲張るのではなく、出来ることに対して丁寧に向き合います。 なので、時として「優柔不断」になることも。 それは、「未」が、五行では土気だからかもしれないですね。 「安定」する方向へと、意識が向かいます。 なので、急激な変化は、ちょっと苦手。 ただし、頑固とは言い切れない。 「未」の中には、「丁」「乙」「己」のいずれも「陰」の十干が宿っているので、物事を柔軟に捉えようとします。 だから、「下り」とは、柔軟に物事を受け止める「景色」なのです。 中国では、「未」すなわち「羊」は吉祥の象徴と考えられています。 勢いはないが、安定している気質だと考えられています。 それは、木々の枝葉が充分に繁っている景色です。 華やかさはないが、満たされた景色です。 十分に満たされているから、これ以上何も望まない状態と言えますね。 とても穏やかで、そして、和やかな景色です。 陰陽の分類では、「未」は「陰支」です。 「陰」は、内側を満たしていく方向に流れます。 このことからも、満たされていく気質だと考えることができますね。 だから、「下り」とは、満ちていく「景色」なのです。 「未」は「夏」の「墓支」です。 「夏」は火気の勢いが、最も強まる季節です。 「墓支」は、「夏」の終わり。これから「秋」に向かう移行期でもあります。 つまり「土用」の時期です。 夏土用です。 「土用」は、すべての季節の移行期に、それぞれありますが、「未」が持ってる火気は、土気を生じると考えます。 そのために、4つある「土用」の中で、最も強い力を持っているとされています。 なので、この時期になると、「う」がつく食べ物を食べて頑張ろうと、意識されることが多いですよね。 パワフルな時期だからこそ、それに負けない力を投入したいですよね。 このことから、「未」は、火気に熱せられた「燥土」の状態となっていると考えます。 火気の熱は、人々に影響を与えやすく、その影響は内部にまで及びます。(熱でタンパク質が固まるように) 「未」の人の魅力は、人の内部まで染み渡ります。 人々の心に響きます。 これは、火気の影響を、周りに与えるからかもしれないですね。 だから、「下り」とは、魅了する「景色」なのです。 季節を陰と陽で分類すると、「春・夏」は「陽」で、「秋・冬」は「陰」です。 なので、「未」は、「陽」から「陰」へと切り替わる「転換点」となります。 気の流れの向きが変わるのです。 それは、調整の時期であると考えることができます。 「陽」は発展し大きくなって行く方向に向かいますが、「陰」は、その反対に、排除し縮小して行く方向に向かいます。 無駄なものを排除すると、「本来の姿」へと近づいていきます。 あるべきところに、戻っていく。 「洗練される」時期でもあります。 「燥土」の中には、暑さ(熱)の名残が残っています。 なので、外からの影響により、容易に暑さ(熱)に傾きやすい状態です。 よって、側に火気があると、火としての特徴が出やすくなります。 それは、とても不安定でもあります。 不安定な状態は、「揺らぎ」が大きい状態です。 気は、「揺らぎ」が大きいほど、強い「うねり」となり、その「うねり」は、気の強さでもあります。 強さは、人を惹きつけます。 憧れの存在でもありますね。 「洗練された」人に、憧れの気持ちを抱くのは、その人が、とても強い「揺らぎ」を、自ら生み出しているからです。 だから、「下り」とは、洗練する「景色」なのです。 「未」は「三合木局」の「墓支」です。 木気は、伸びゆく「進化」の気です。 「進化」は、「亥」で兆します。 そして、「卯」で頂点となり、「未」で終わります。 どこまでも伸びていた勢いが、「未」で型が決まり、そして、勢いが止まります。 「成長」の終点とも言えます。 やれることは全てやり、全てを出し尽くした状態です。 それから、完成した型の内側を満たしていく方向に変わります。 そこまでの道程を、精一杯尽くしたなら、とても清々しい気持ちになれるかもしれません。 自分で決断して行動していれば、後悔は感じないかもしれません。 だから、「下り」とは、これ以上何もすることがない究極の「景色」なのです。 もしも、手詰りを感じていたら、それは「下り」に向かっているからかもしれませんね。 「下り」を受け入れるコツとして、「人の評判」を気にしないこと。 それは、「下り」が内側を満たしていく「陰」だからです。 外側は、外側にいる人は、関係ないのです。 最高の「未」になってみて。 きっと、最高の気が、自分の中から溢れてくるはずです。 「転換期」のスイッチが入りますよ!