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「学ぶ」ことと「鑑定」することは全く逆の「視点」から向き合うこと:四柱推命と向き合う

遠い昔、古代中国は、農耕を中心として、人は生きる糧を得ていました。気が遠くなるくらいの長い年月、人は自然の恵みからのみ、「恩恵」を受けて生きてきました。

自然と寄り添い、自然の声を聞き、自然を感じることで、生き延びて来られました。

そのうち、自然現象の中から、予測して、それに備える術を、体験を通して知っていきました。

そして、それが「整体観念」「天人合一」の理論に繋がっていったのです。

この理論は、古代中国哲学の「核」となり、「四柱推命」の理論の元となる、「陰陽論」「五行思想」へと発展していきました。

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四柱推命を「学ぶ」ことは、「古代中国哲学」の理論を学ぶことでもあります。
哲学的思想を学ぶことは、「人生」を学ぶことでもあり、とても深い学びとなります。

深い学びは、「人生」について考えることではありますが、「答え」を求めるものではありません。
それは、あくまでも「思想」であり、考え方の幅を広げてくれるものです。

「学ぶ」とは、自分の内側にベクトルを向けることです。

一方で、「鑑定」することは、お客様に、ご自身で、納得した上で、自分で決断を下すための情報と、きっかけを提供することです。情報は、具体的に、端的に、そして理解していただけるものでなくてはいけません。知り得た知識の全てを提示するのではなく、必要な情報のみ、選択して提示しなくてはいけません。
多すぎる情報は、時には「迷い」の原因になってしまうからです。

お客様が必要としておられることは、「思想」ではなく「対策」です。

「鑑定」とは、お客様にベクトルを向けることです。

「学ぶ」ことと「鑑定」のベクトルは、真逆です。

四柱推命を深く学べば学ぶほど、「鑑定」できなくなります。

それは、「暦」の中には「対策」に関する明確で限定した「答え」(正答)がないからです。

逆に、「学ぶ」事をおろそかにして「鑑定」だけ行っていると、「結果」が出せなくなっていきます。

それは、「独りよがり」の鑑定になってしまうからです。

「鑑定」は、あくまでも「お客様」が主体です。

「お客様」の立場に立って考えるためには、「お客様の軸」が必要です。
「占い手軸」ではありません。

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陰陽はバランスをとってこそ、「安定」して存在できます。

「学び」あっての「鑑定」

「鑑定」あっての「学び」

それは他のことでも言えることです。

準備をしながら行動する

謙虚な気持ちを持ちながら勝負する

走りながら考える

相反するものが「両極端」であるほど、大きな「一つ」になります。

相反する「両極端」を兼ね備えてものは、人を「魅了」する大きなエネルギーを持っているのです。
そのような状態は、大きな揺らぎを生むので、バランスを、取るのは大変です。
でも、揺るがないしっかりとした軸があれば大丈夫ですね。

学べば学ぶほど、鑑定に自信が持てなくなるし、鑑定をこなせばこなすほど、自分の知識の浅さを痛感します。

でも、それは、揺らぎが大きくなっている証拠。

大丈夫、大丈夫と唱えながら
「鑑定」と「学び」に取り組んでいきたいと、いつも考えています。