過去ブログ

四柱推命的・「外邪」の取り扱い方法

古代中国では、自然の中で日々暮らしながら、農耕を中心とした生活を送っていました。

農作物の出来具合は、自然の影響をダイレクトに受けるため、「いかに良い作物を、いかにたくさん実らせる事ができるのか」、このこのとは、生きるために必要な「課題」であり、これが上手くいかない時には、食べ物がなくなるので、それは「生きていけない」大問題でもあったのです。

なので、自然を注意深く観察し、「兆し」を見つけていきました。

そして、その「兆し」が、「人の体」にも同じ様に当てはまる事を発見します。

自然も人も同じである(天人合一)

その事に気が付いたのです。

その思想が発展していき、東洋医学として体系化されました。

東洋医学は、自然の流れとともに人も流れるていると考えらていて、自然から受ける「刺激」を「外邪」としました。

人は、常に「外邪」からの影響を受けるので、「外邪」を知り、「外邪」との「戦い方」を流れに沿って導いていきます。

そして、いかに「自然と一体化」できるかを模索していくのです。

「旬のもの」が体に良いと言われるのは、「旬のもの」は、その季節の「外邪」と戦って、見事な「実」を実らせているので、その季節に逆らう「気」が宿っているからです。

また、その土地のものを食すのは、その土地の中で、立派に成長するエネルギーを秘めてるものを食す事になります。

なので

「旬のもの」

「その土地のもの」

この二つは、薬膳的にも「王道」の最強でありテッパンの頼れる「食材」です。

外からやってくる「邪気」には、6つのタイプがあります。

・風邪・寒邪・暑邪・湿邪・燥邪・火邪

人の身体は、東洋医学では3つの「物質」(気・血・水)から構成されているとされていて、「気・血・水」が、「風邪・寒邪・暑邪・湿邪・燥邪・火邪」と上手く折り合いをつけながら、また、利用して、「気・血・水」をバランスよく巡らせていくのか、それがいわゆる「養生」する事です。

バランスが崩れてしまう時のパターンは二つです。

・邪気が強すぎること

・受ける人体の閾値が外邪に相対的に負けるとき

つまり、暑すぎたり寒すぎると体調を壊したり、もともと体調がすぐれない弱っている時には、少しの気候の変化に対応できず、体調が不安定になってしまうということです。

では、全ての「外邪」を絶ってしまうとどうなるか。

それは、太陽の陽を浴びず、空気も吸わず、食事も取らず・・・

それは、生きていく上では「不可能」な話です。

全てのサイクルは「成長」の流れを辿っています。

「成長」とは、「戦い」の連続。外からの「敵」と戦うことで、より強く、より大きく、より賢くなっていく。それが「成長」です。

生きることは戦い続けること

厳し目に言うならば、そんな感じでもあるのかもしれません。

西洋心理学の分野でも、生きること自体、ちょっと辛くなってしまうような理論を展開した精神分析家がいます。

オーストリアのオットー・ランクは、「生まれることが、大きな傷を受けること」であると、「出生外傷」の理論を述べました。

この理論が、師事していたフロイトと対立したために、後に、彼は渡米する事になってしまいます。

彼の理論は、「母親の胎内が一番居心地の良い場所」であり、生まれることは、一番居心地の良い場所から、強引にひっぱり出されてしまう事。なので、みんな「お腹中に戻りたい」と常に不可能な願望を達成したいと模索する。

この理論を知ったとき、そんなこと言われても、もう生まれちゃってるんだから、元も子も無いのになあ・・・と思いました。

でも、スピリット 的な意見では、「人生はゲーム」とか「人生は映画だ」とか、宗教的にも、最後は天国に行けるとか。

突き詰めて考えてみると、「同じ主旨」かもしれないと感じています。

臨床心理の現場でも、過去の流れは、いかに「ポジティブ」を見つけるか、でしたが、最近のように、あらゆる「方向」から容赦無く「刺激」がやってくるために、「ポジティブ」であり続ける事に「限界」を感じていいる専門家が増えてきているそうです。

そして、「自分を守る」ことの大切さを伝えているそうです。

「ポジティブ」維持するには、戦う力が自分の中に備わっていなくてはいけません。

力が備わっていない時には、とにかく守る事が一番の「作戦」なのです。

「負け戦」は、負けます。
無用な戦いは、やはり避けた方が賢明だと思います。

全ては「気」の集合体です。

なので、身体の反応は「運気」の反応とも捉える事ができます。

運が良い人と過ごすと運気が上がる

パワースポットに行くとパワーがもらえる

これらも、外からの「気」、平たく言えば「邪気」を受けることで、自分の中に影響を及ぼす事を、「ポジティブ」な側面からとらえた事になります。

なので、やはり、一緒に過ごす人は、自分にとって、「巡り」を活性化してくれる人と過ごしたいし、過ごす場所もまた同じ事です。

ただし、ここで忘れてはいけないことは「両者の力関係」についてです。

バランスを活性化するイメージは、バランスを強制的に崩す事によって、それを立て直そうと、内側から必死に頑張って、そこから生み出されるパワーによって、バランスが修正(改善)されます。

それがすなわち、運気をあげる、上昇することにつながります。

と言うことは

まず、「自分が元気であること」

もしも、すごく疲れいたり、気持ちが沈んでしまった時、外からの刺激は、グサグサザクザクやってきます。

それはまるで、「鋭い刃」のように、容赦はしてくれません。

なので、周囲からしたら「些細な一言」であったとしても、疲れてしずんだ「気」にとっては「とどめの一撃」に相当するほど強い刺激となるのです。

それから、「抱え込みすぎない、またはやりすぎないこと」

どんなに戦う「気」が備わっていても、時々エネルギーチャージをしなくては、「気」を使い切ってしまいます。

それはまるで、ガソリンが空っぽになりそうなのに、高速道路を走るようなもの。

いつ止まってしまうかハラハラするし、高速道路で止まってしまったら、大きな事故になる危険が高いです。

なので、周囲からしたら、「いつもパワフルだと思っていたけど、急にどうしたんだろう」と、突然の変化に驚かれます。

どうしても上手くいかない関係や、特に一緒にいると、心が辛くなってしまう時、それは、適切な「外邪」ではありません。

そこに居るだけで、身体が動かないくらい疲れたり、何も考えられないくらい頭が重く感じる場所、それも、適切な「外邪」ではありません。

そんな時には、とりあえず「撤退」

「撤退」してから、もう一度、ゆっくり検討してみると良いと思います。

検討する案件は

「敵」が強すぎるのか

「自分」の気が空っぽになっているのか

この二点です。

敵が強すぎる場合は、とりあえず「撤収」
そして、対等に戦える自分になるため「努力」をします。
自分が空っぽの場合は、とりあえず「補給」
「補う」ことを意識して行動する。

準備が整った時、「最高のタイミング」で戦う出来事が起こります。

そこで、最終決断、
「戦う価値があれば戦う」
「戦う価値がなければ関わらない」

「最高のタイミング」が発生しやすい巡りは
「日主」を剋す十干支が巡る月
「日柱十二支」に対して冲となる十二支が巡る月
この二つが、外からの「圧」がとても強くなるタイミングです。

今月で言うと
「日主」が火気の人
「日柱十二支」が「午」の人
気持ちが焦ると「炎上」しやすく、人の意見ばかりに目を向けると「鎮火」してしまいます。
「火力」をコントロールしながら、「壁」に立ち向かってくださいね。