「土」と「水」を想像して流れに乗る「ヒント」を見つけてみましょう:12月「戊子」の解釈
今日から12月。
7日から、「月の干支」が「戊子」に変わります。
「戊」は「土」の気で、「子」は「水」の気です。
十干支である「戊」は「陽」です。
十干支は、「見える景色」としての象徴で、「戊」は「山」の景色です。
「陽」は、外向きに広がっていくイメージなので、「土」の「陽」とは
「土」が盛り上がっているために「山」となります。
下を支える十二支は、「見えない雰囲気」としての象徴で、「季節」も表します。
「子」の季節は「冬」
「戊子」とは、「冬の山」となります。
全ての「占い」の解釈に、当てはまることだと思いますが、「象徴」を掛け合わせて、組み合わせて、そこから、きっと、「こうなって行くのだろう」と、「言葉」として表現をしていくために、「干支」の具体的な「単語」としての「意味」は、もちろん理解しておく必要があるんですが、そればかりに拘ってしまうと、「どうなって行くのだろう」と想像できなくなってしまいます。
つまり、解釈においては、「ピンポイント」の理解と、「ほわほわした」イメージ力の両方が求められます。
「ピンポイント」については、「共通認識」できるので、わかりやすいです。
そして、「ピンポイント」だけで解釈をしてしまうと、「ピンポイント」以外が、当てはまらなくなってしまい、結局、占いもハズレてしまいます。
それよりも、なんと言っても、占うことがつまらなくなります。
なぜならば、「いつも同じ答え」しか出せなくなってしまうからです。
「ほわほわ」は、「共通認識」はできません。
それは、皆んな、考えることが違うからです。
「ほわほわ」は、その人の「個性」が出るところで、無限大に広がっていけます。
だから、楽しい。
でも、「ほわほわ」だけで解釈をしてしまうと、占いの信頼度が下がってしまいます。
なぜならば、「共通認識」できないものは、「理解」してもらえない場合もあるからです。
しかも、「ほわほわ」は、いつも言うことが違うので、「この間は右って言ったのに、なんで今回は左なんだろう・・・」と思われてしまう危険性もあります。
「ほわほわ」からすると、「右」であろうが「左」であろうが、全くどうでも良い問題で、大事なのは「どうなって行きたいのか」「何がワクワクするのか」のように、とても「抽象的」な「ゴール」を目指しています。
だからこそ、「形」に落とし込む必要が出てきます。
全ての解釈は、「具体的」であり、かつ、「抽象的」であることが大切です。
12月の「月」はどんな「景色」になりそうなのか、「戊子」について解釈してみますね。
「戊」は「土」です。
「土」のキーワードは、「育成」「安定」「土台」
植物は、「土」に根を張って、「土」の養分をもらい成長します。
動かない「土」は、どんな「種」も受け入れて、取り敢えず根を張ることを受け入れます。無事に育つかどうかは、助けることはできませんが、それでも、根を拒絶することはありません。
「戊」は、「土」の「陽」です。
「陽」は盛り上がる力を持っている気なので、「戊」は「山」の様だと解釈できます。
「山」は、いつもそこにそびえ立っていて、同じ形で、ずっと長い年月、同じ場所に存在します。
「山」は遠くからでも、その姿を臨む事が、できるし、もしかしたら、「山」も、いつも遠くや、ふもとに広がる街を見ているのかもしれません。
「山」には、たくさんの「命」が住んでいます。「命」が生まれ、「命」が失われていく場所でもあります。その過程を、「山」はいつも受け入れています。
例えば、人となりの「景色」である「日柱干支」が「戊」の人だったら
「山」が全てを受け入れるように、とても懐が深い人かもしれません。
何があっても動じずに、いつも、コツコツと、一歩づつ、マイペースに進んでいる人かもしれません。
だから、時々、「気が利かない」とか「優柔不断」と言われてしまう事があって、落ち込んでしまうけど、それでも「愚痴」も飲み込んで、愚直なまでに誠実な人かもしれません。
「戊」の人は、「大器晩成型」と言われています。
それは、長い時間をかけて、コツコツと積み上げることができる人なので、みんなから信頼の目で見られているからです。いつも見守ってくれるし、逃げないし、存在感がすごいから、人に上に立つ立場になる人も多いです。
頑固さは、最大の「武器」でもあり、最大の「急所」となります。
それさえ注意をしていれば、着実に、成果をあげて、目標を達成できる人です。
それから「子」は、「冬」です。
冷たい「水」が流れていて、その「水」に触れると手が悴んでしまうかも。
「水」は常に流れていて、その清らかさを保つことができます。
でも、「水」そのものが、自ら動けません。高いことろから、より低いことろを探し当てて、その方向に向かって、流れることで移動できます。
最後には、きっと、大海原に出るはず。そんな希望を胸に秘めて、「水」は、より低く、低く、流れて行きます。
「低く」とは、「陰」に向かっているのです。
「陰」は、内側に、中心に向かって、進んでいくイメージです。
「水」は「海」を目指して行きます。
人は「海」から生まれた、とも考えられているように、「海」の水の成分と、人の血液の成分とは、非常に近いものがあるらしいですね。なので、「水」は「自分」に向かって流れている。誕生して、外に向かって、様々なことを成し遂げて、最後に「自分」に返ってくるために、「水」が留まることなく流れている。そんな風にもイメージできます。
「水」が清らかであるのは、「自分」が清らかであること。
なので、「自分」らしくとは、いつも止まらずに、溜まらずに、動いていること、それは、心にも身体にも言えること。心と体は「ひとつ」だから。
そのためには、無鉄砲に流れていては、あまりにも危険です。
「水」は「叡智」の気と言われています。
「叡智」とは、ただ単に知識を得るのではなくて、「次につなげる」ための「知恵」をも受け取り、それを、次へと「繫げる」ものです。
「命式」に「水」が多い人は、じっとできない人が多いです。
それから、冷静だったり、諦めない、ガツガツではないけれど、黙々と進む感じです。
ただし、誰にも止められたくないために、人の言うことは聞かないし、聞いてもすっかり忘れてしまうことも。
方向転換も得意なので、ある時急に、気が変わってしまって、周りが驚いてしまうこともあるかもしれませんね。
「十二支」は、行動のタイプより、思考のタイプをより深く観ることができますよ。
それでは、「戊子」とは
寒い寒い冬の山です。
華やかな紅葉の時期、あれだけ賑わっていた山は、ひっそりと静かになりました。
静かな時間が流れます。
木の葉は、すっかり落ちてしまっても、木が休んでいるのではありません。
次の春に向かって、水面下で粛々と、力を蓄え、芽が出る日がくるのをじっと待っています。
動物たちも、冬眠しています。
暖かい洞窟の中にこもって、静かに心と体を休めています。
秋には、たくさんの実を収穫したり、食べたりして、忙しかったことを懐かしく振り返りながら、春の陽射しを楽しみにして、静かに休みます。
休みことで、傷ついた部分は修復します。使いすぎた体力も、温存して、春まではゆっくりと過ごします。
例えば「戊子」の人の場合は
滅多な事では怒らずに、いつも穏やかで、太っ腹な感じの人かもしれませんね。
でも、一度「水」が溢れ出してしまったら、「土」を「水」が押し流し、その「水」は濁った濁流となってしまいす。
12月は、「濁流」にならないように、気を付けて過ごしたいですね。
「水」の感情は「恐」です。
あまりにも「不安」に感じるものとは、距離をおいた方が良いですね。
「水」が溢れてしまうかもしれないからです。
動じないで、コツコツと、出来ることに真正面から向き合って、誠実に行う。
触れる「情報」は、「次に繋がる」可能性を持っている、「未来」に向かうものを、選び取っていきましょう。
「叡智」のもとでの「情報」は、とても頼りになるはずです。
外から眺める「冬山」は、厳しそうに見えるかもしれませんが
「冬山」の一員になれば、一緒に春を待ち侘びるものでいっぱいです。
「戊」と「子」の解釈は、まだまだ「無限大」に広がります。
ぜひ、想像して、妄想して、「戊子」を感じてみてくださいね。
きっと、あなたがあなたの流れに乗る「ヒント」が見つかります。