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相反する二つの「正義」の中にある「答え」を受け入れる:タロットカード「正義」「節制」:これから求められる「正義感」

2006年4月から5年間、宇部市地域包括支援センターで、介護支援専門員として働きました。

 

2000年から始まった介護保険は、3年ごとに「小さな法改正」があり、5年ごとに「大きな法改正」があります。

制度が始まって、初めての「大きな法改正」があった時に、私は介護の現場に飛び込んだのです。

 

前年に介護支援専門員の試験に合格し、翌年3ヶ月間、研修を受けました。介護支援専門員は、試験に合格しただけでは資格はもらえません。翌年の研修を修了して、はじめて資格として認定をされるのです。

 

 

介護には全く縁はありませんでしたが、「資格マニア」だった私が、「みんな受けてるから私も」的な感覚で、受験をする事を決めたのです。

そんな時、知り合った知人が、4月から始まる「包括支援センター」で働く人を探していて、声をかけてもらって、すぐに働く事を決めました。

 

 

2006年は、これまで「要介護」しかなかった認定基準に、新たに「要支援」が加わり、「要支援」の認定を受けた人は、保険者となる「市」を直接契約を結び(要介護は事業所との契約です)、それに伴い受けるサービスにも制限がかかり、今まで受けていたサービスを受けることができなくなる人が出てしまいました。

 

 

行政も、事業所も、何よりも「ご本人」が大混乱。

そんな年でした。

 

 

ここで私は、「行政として出来ること」の縛りの中でしか、「自分のやりたいこと」が出来ないジレンマを感じながら仕事をすることになったのです。

 

 

ちょっとくらい大目に見てあげたいけど、心がそう感じても

「無理です」ときっぱり言い切る。

 

 

そんな、「裏表のある」態度をしなくてはいけなかったのです。

 

 

 

今でも、その時一緒に働いた人と、時々近況報告をかねて「飲み会」をします。

 

その後、包括支援センターは、市の直営ではなく、委託契約で数カ所に事業所が引き継いでいます。その当時、一緒にいた職員も、そちらに移動した人もいて、バラバラになってしまいました。

それでも、「初年度の一緒に嵐を乗り越えたメンバー」は、特に心強い味方で、何かと相談に乗ってもらったりしています。

 

 

 

当時、一番大変だったのが、「介護用ベットのレンタル」が、要支援になると保険適応外となった事です。

 

介護保険では一割負担で借りることができたので、比較的「気軽に」レンタルできました。それが自己負担となると、桁が一つ増え、高額になります。

それを納得してもらい、「代替え案」を提示して、ベットは撤収しなくてはいけません。

 

介護用ベットの特徴は、電動でベットマットが動く事と、高さも電動で調整つ出来る事です。

 

一人で起き上がれる人は、良しとしても、起き上がるのが大変な人に、どうやって「自力」で起き上がれるような方法を見つけるか、業者や家族を巻き込んで、ベットを引き上げていきました。

 

 

今、現場におられる人は、きっと想像できないことかもしれませんが、当時は、介護用ベットを借りている利用者さんが、「要支援」認定が出たら、担当ケアマネージャーさんが「青い顔」をして、包括センターに相談に来られて、「一緒にいい方法を考えましょう」と話していたのです。

 

 

 

法改正は、やはり「不具合」を少しでも良くするために、行われるのだと思っています。

 

ただし、一つの「枠」は、全ての人にとって居心地の良い「枠」なのかというと、残念ながらそうではありません。

 

介護現場もそうです。

 

国からの「一方的」な決定事項で、現場は全て「変更」を余儀なくされます。例えば小さな改正であったとしても、それを頼りにしていた人もいるわけで、「何も悪くないのに」ある日突然「もうダメです」と言われます。

 

そして、また、不具合が生じて、その不具合を良くするために「変更」して、一方的に変えさせられて、また不具合が生じて。

イタチごっこの繰り返しです。

 

でも、我慢ばかりしていればいいのかというと、声を上げなくては、届きません。

声がたくさん集まれば、また、不具合だと認定してもらえて、「法改正」につながると思います。

 

最後には、「正義」が勝つ。

だから、それを信じて、信念をしっかり主張する。

 

 

それが「現場」の戦い方だと思います。

 

 

 

タロットカード「正義」

公正 平等 裁き 真理 

 

「正義」のカードは、22枚の大アルカナの11番目のカードです。

10番までのカードは、「自分としての成長」の旅

11番から、「社会の中での、自分の成長」の旅が始まります。

 

 

自分が正しいと信じていたものが、「外」の世界で、果たして正しいと認められるのか。

自分が大切にしている正義は、独りよがりではないだろうか。

社会が信じている正義は、果たして本当の正義なのか。

本当の正義とは何か。

自分にとっても、社会にとっても、両方満足する正義はあるのか。

 

 

「正義」のカードは、問うているのです。

 

 

右手に真っ直ぐ持っている「剣」は、理性を表します。それと同時に、許せないものを容赦なく「切る」という意味も持っています。

 

左手に持っている天秤は、両方のバランスをとる事の大切さを教えてくれます。物事には「相反する」要素があることを示しているのです。

 

 

「正義」のカードは、「感情」ではなく、「理性」で判断する事の大切さを教えてくれています。

 

 

このカードを見ていると、「やってあげたい事」と「できる事」の中で、試行錯誤しながら奔走していた、包括支援センター時代のことを思い出します。

 

 

 

 

「相反する」ものは、せめぎ合いながら、でも、一つになった時には、「新しい何か」が生まれます。

 

そのことを、「節制」のカードが教えてくれます。

 

 

天使の片足は「水の中」、もう一方の足は「地の上」

そして、赤い情熱の翼を広げ、希望の光が頭上に光輝いています。

静かに、穏やかに、二つの「杯」を、こぼれないように慎重に、集中して、混ぜ合わせています。

 

このカードは、「融合・調和・交流」を意味しています。

 

 

 

 

四柱推命での「気」の調整の中で、「水と火」の扱いには注意が必要だと言われています。

燃え盛る「火」に、不用意に「水」を注ぎ込むと、「火」が炎上して、「水」が蒸発してしまう、と考えられているのです。

でも、暦の組み合わせて、「最も素晴らしい景色」とされているのは、「壬(水・陽)」と「丙(火・陽)」です。

キラキラと光る大海原に、大きな太陽の光が降り注いでいる、そんな景色です。

 

 

また、ホロスコープでも、惑星と惑星との「角度」が、「150度」である時に、「共通点」がなく分かり合えないと解釈をされて、今までは、「重要ではない」と言われていました。

でも、最近、この「150度」が、「軋みあいながら、せめぎあいながら、でもそれを乗り越えた時には、素晴らしい力を発揮する」と解釈をするようになってきました。

 

 

相反する二つは、「枠」には収まりきれない関係です。

人は、比較対象の中で、自分自身を確認します。

目の前の「枠」と比較していれば、確認できていました。

 

「枠」がどんどん大きくなっていくと、「枠」がたくさん出現してくると、大きなもの、異質なものとの比較を強いられます。

 

 

でも、それは、軋みあい、せめぎ合いながら、見たこともない新しい「景色」を生み出す可能性が広がってきたと言う事でもあります。

 

 

「水」と「火」と「150度」

それは、矛盾する中で葛藤し、やがて素晴らし変容を遂げて、一つになります。