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小豆と南瓜とサツマイモ:一物全体:欠けてしまった「わたし」が膨らんだかもしれない

大家さんは小豆をふっくらと炊くのにハマっている。

 

小豆が美味しくふっくら仕上がった時

いつもお裾分けをいただく。

 

 

今日は、その、ふっくら小豆に

ほくほく南瓜と甘いサツマイモも一緒に付いてきた!

 

味付けは、お塩をパラリとふりかけて、とってもシンプルに。だけど優しくて、美味しくて、食べたら元気が湧いてきました。

 

蒸した南瓜とサツマイモは、ゆっくりふんわりと熱が入っていくからか、味までふんわりしていました。

でも、南瓜は南瓜らしく、サツマイモはサツマイモらしい。

 

素材そのものの良さを感じるのは、蒸したからこその出来上がりですね。

 

 

私は無花果にハマっている。

冷蔵庫で冷やして食べるのが好きで、朝から昼から夕方まで、冷蔵庫の中の無花果が気になって仕方ない。

 

無花果は、サラダに入れたり、チーズや生ハムと合わせてワインのお供もいいけど

そのままパクッと食べるのが好きで、サラダ用やワインのお供にまでは、出番が回らない。。。

 

 

食の分野に

「一物全体」と言う言葉があります。

 

これは、ありのままの全体の姿と言う意味で、食材を丸ごと食すこと。それは、命を全部余す所なく、有り難く頂こう、という意味でもあります。

 

例えば、果物は皮をむかずに食べるなど。

 

もちろん、食べやすく皮をむいたり、仕上がりが綺麗になるために、余分なものは切り捨てたり、様々な工程を経て調理して、複雑で奥深い味を楽しんだりするのも、楽しいし、特別感があります。豪華にもなります。

 

ただ、やはり、食べた時に、ほっとする美味しさは、シンプルなもので、素材の味をそのまま感じる食べ方ですね。

 

そして、食べたら元気が湧いてくる。

 

「全体」をいただく事で、欠けてしまった「わたし」も、「全体」を取り戻せたのかもしれないなと思いました。