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美しくあることの「願い」と繋がり、装う覚悟が固まった気がします:手作りマスク:大島紬「龍郷柄」:「物語」を共有する

日本の「美」は、刹那的だと思います。

 

移ろう季節を大切にして、その季節の一瞬を楽しく過ごすために、その楽しみを共有するために、「決まり事」を守って、それを受け継いでいきました。

 

 

季節の「一瞬」を閉じ込めた「文化」

明日は失くなっているかもしれない、季節は変わるし、災害も多いし、自然が変わるように、世の中も人も変っていく。

だから、「今この瞬間」の「美」を満喫する。

それが、日本の「美」のこだわりだと感じています。

 

 

 

着物についても、夏には夏の、冬には冬の着物を。それは、着物生地だけでなくて、柄や着物の型についても、とても細かい「決まり事」があり、それを守らないと、「着物のことがわかっていない人」となり、場合によっては、「失礼」にもなってしまいます。

 

堅苦しく感じる反面、堅苦しいからこそ、続いているとも言えるので、それが「文化」を守ることなのかもしれません。

 

 

 

「新しい日常」と言えば、「マスク」を日常的につけるようになったことですね。

で、こちら、「大島紬」のマスクです。

 

「大島紬」は、フランスのゴブラン織、イランのペルシャ絨毯とともに、「世界三大織物」と言われています。

 

「大島紬」は鹿児島県奄美大島を中心として、発展している織物で、「大島の着物」と言えば、「憧れの存在」です。

織の細かさはもちろんですが、とにかく軽くて、シワになりにくく、なんと言っても絹の光沢が綺麗です。

 

「大島紬」には、「美」に対する、とてつもない「こだわり」とそれを手放したくない「思い」を知ることができる「物語」があります。

 

まだ、着物を日常的に庶民が着ていた頃、奄美大島でも、紬を日常的に着ていました。

ある時、江戸幕府の支配下におかれた時、この地区で作られる紬の素晴らしさから、「大島紬を上納品とせよ」との命が下りました。

そして、庶民に「紬着用禁止令」が言い渡され、しかも、所有することさえ禁じられてしまいます。

でも、紬を着ることを、諦めきれない庶民が、役人の取り調べの時に、着物を泥田に埋めて隠し、見つからないようにしたのです。

そして、無事に難を逃れた着物を、泥田から掘り出してみたところ、とても美しく、光沢のある黒色に染まった生地になっていました。

それから、この地区では、絹糸を泥で染めるようになったと言われています。

この時代は、もしも、着物を隠し持っているのが見つかってしまうと、投獄されたり、場合によっては、打首・・・なんてこともあったそうです。(今では考えられませんね)

それでも、美しく装うことを諦めたくない、装う楽しみを奪われたくない、そんな「美」に対する強い「思い」から、この「大島紬」が生まれました。

 

 

「大島紬」だけでなく、着物には、時代を経て、様々な事を乗り越えて、それでも守りたい思いを貫いた、職人さんや着る人の思いの「物語」があります。

 

だから、着物を着ると、背筋がシャキッと伸びて、「日本人としての心意気」が自分の中に引き継がれていたことに、気づくのかもしれないですね。

 

 

 

「大島紬」の中でも、この柄は「龍郷柄」と言われる特別なものです。

 

 

「龍郷柄」にも、素敵な「物語」があります。

 

江戸末期、薩摩藩に幕府から、「奄美大島を、最も素晴らしく表現した大島紬を献上せよ」との命が下ります。

困った図案師は、月夜に庭を眺めて思案していました。

その時、一匹のハブが、蘇鉄(そてつ)の葉に飛び移ったのです。

ハブの背中は、月の光に照らされて、キラキラと輝いていました。

そのキラキラとしたハブが、青々と繁った蘇鉄の葉に移る一瞬は、まるで光の矢が、蘇鉄に放たれたように美しく、儚く、神秘的に、図案師の眼に映ったのです。

「龍郷柄」は、その「瞬間」を図案にしたと言われています。

 

この複雑で繊細な柄は、熟練した織手にしか織ることができないそうで、なので、「龍郷柄」は、とても貴重な生地です。

 

 

そんな生地をマスクにしてしまった・・・のですが

とても軽くて、さらっとした付け心地は、さすが大島!

そして、「龍郷をマスクにしたの!?」の反応も面白い。笑。

 

 

これも「大島紬」生地で作ったマスクです。

とても丈夫な生地なので、洗濯にも耐えられます。

それもそのはず。着物は本来、母から娘へ、そのまた娘へと、ずっと引き継がれて、大切に受け継がれて、世代を越えて、常に、女性とともに在り続けました。

大島紬は、保管状態がよければ、150年以上着られます。

 

 

細かい織り模様も素敵ですね。

 

 

こちらは、「帯揚げ」で作った、マスクです。

同じ生地の、絞り染の部分で作った紐は、肌あたりがとっても優しい。

絹はとても軽い素材なので、肌への負担も軽い気がします。

 

 

 

これからの「新しい日常」について考えてみました。

今年に入ってからの「変化」は、昨年の今頃には、想像もしていない「変化」ばかりで、まだまだ先が見えない不安や、くるくる変わる「当たり前」に翻弄されていて、とりあえず、今、最善を考えてできる事をやろう、としか思いつかない。

 

ただ、じゃあ、今までが、平穏無事に「変化」なく過ぎてきたかというと、そうでもなく。。。

10 年前には、「当たり前」だったことが、もうすでに「遅れている」ことだったり、20年前まで遡ると、記憶にすらないことまで。

人って、慣れるのが得意だから、きっと、これからも、いろんな事に、慣れて、そして、きっと、忘れていくのでしょう。

 

ただ、一つ言えることは、「物語」は語り継がれていく。

その「物語」を共有することが、繋がりを強くしてくれて、何があっても変わらずにそこにいてくれる「存在」となっていくのでしょう。

私は、いったい、どんな「物語」を語り、何と「共有」しようとするのか、「共有」していきたいと願うのか。

それよりも、果たして、私は、「物語」を語れているのか。

「新しい日常」について考えると、いつもその「物語問題」に行き当たります。

 

 

最近、人間関係に悩んでいた人が、「集まりの場がなくなって楽になった」と言われていました。

 

人間関係に悩みを持つ時、その関係は、きっと、「物語」を「共有」できない関係なんだと思います。

 

語る人の「顔」が浮かび、思いが伝わる、そんな、繋がりだけを大切にしていきたいと感じています。

それは、リアルでなくても、時を越えても、距離が離れいても。今は、それらを、それらさえも突き抜けて繋がっていける「ツール」があるから、それを使って繋いでいきたい。

 

大島紬のマスクを付けると、大切な着物を泥田に埋めてまでも、美しくありたいと願った「思い」と繋がれた様な気がして、私も、美しくありたいと心から思うのです。