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「自我」が「自己」と向き合うときには、ちょっとした「コツ」が必要です:陰陽の相互転化:道に迷ってしまったら「占い」に聞いてみよう

<今週のアロマブレンド>

・オレンジスイート  3

・クラリセージ    1

 

「とにかく明るく元気いっぱい」のイメージが浮かぶ、「オレンジスイート」の香りは、落ち込んでいる時には、励ましてくれて、頑張りたい時には、背中を押してくれる。その時々に応じて、見せる「顔」が変わります。

なので、本当に、使い勝手の良い精油です。

私も、「とりあえずオレンジで」と、良く使っています。

まるで、駆けつけ一杯のキンキンに冷えたビールみたい。

 

それとは真逆な位置にいるのが、「クラリセージ」 。

重たいハーブの香りは、思わず襟を正して感じたい。そんな気持ちになるのです。

だから、自分と対話して、しっかりと内省したい時には、この香りが重宝しています。

 

誰しもみんな、たくさんの「仮面」を持っていて、その時々に応じた適切な「仮面」を被るように、「社会」が求めてきます。

「仮面」は、自ら望んで手に入れたものだけではなく、求められて持たされている「仮面」もあれば、また、妥協して持っている「仮面」もあり、多分、求められた「仮面」の方が、出番が多くて、望んで手に入れた「仮面」は、勇気と覚悟を持って被らないと、被れない。もしかしたら、持っていることさえも、誰にも知られたくないと、鍵付きの箱の中にしまっているかもしれません。

 

 

 

ミカン科の木からは、3種類の「香り」を抽出する事ができます。

 

白く可憐な花からは、「ネロリ 」の精油が

太陽の光をいっぱい浴びた葉からは、「プチグレン」の精油が

そして、果実の皮からは「オレンジ」の精油が採取できます。

 

同じ木から採取されるので、やはり「柑橘系」の爽やかさは感じますが、果実の皮から採取された精油が、一番身近に感じる事ができます。それは、果実はいつもお店に並んでいたり、食したりで、触れ合う機会が多いからなのかもしれません。

 

また、リキュールの香り付けにも使用され、オレンジの爽やかな香りの「オレンジキュラソー」は、お菓子の風味付けにも、よく使われます。焼き菓子はもちろんのこと、冷たいお菓子にも、オレンジキュラソーを数滴入れるだけで、手作りのお菓子も、たちまちグレードアップします。

 

「オレンジスイート」の精油は、「無垢と多産」の相反するシンボルがあります。

少女のような可憐な無邪気さと、命懸けで命を産み出す強く成熟した女性が同居している。これが、この精油のイメージ。

なので、どんな時にも、その場に応じて、持っているたくさんの「仮面」から、一番求められている「仮面」を被って、癒してくれるのでしょうね。

 

 

ちなみに、「オレンジ」の支配星は、全てを「増産」してくれる、太陽系最大の惑星である「木星」です。

 

 

「クラリセージ」は、昔、眼を洗浄するのに使われていたそうです。

「清浄」がシンボル。

清浄な眼で真実を見るイメージからか、中世の頃には、「キリストの眼」と言われていたそうです。

 

この香りは、とにかく落ち着ける気持ちになれます。場合によっては、落ち着きすぎる・・・なんて事もあるので、車の運転をする前や、お酒をいただく時には、くれぐれも使用しないでくださいね。そのくらい「鎮静」すると言われているんです。

 

神経がピリピリするように、イライラして疲れを感じる時、この香りは、深い部分の「扉」を開けてくれるような気持ちになれます。

 

じっくりと、深く、癒されます。

 

ちなみに、「クラリセージ」の支配星は、日々動きまわっている「感情」を司る「月」と、メッセンジャーとして様々な天体たちの間を繋いでいくシンボルの「水星」です。

 

精油についての解釈は「アロマテラピーのための84の精油 ワンダ・セラー著 高山林太郎訳 フレグランスジャーナル社発行」を参考に(一部抜粋あり)しています。

 

 

 

昨日、9月13日 逆行していた「木星」が、順行に変わりました。

 

「木星」は、5月12日から昨日まで、ギクシャクと動きを逆向きにしていたのが(逆むきに進んでいるように見えるだけで、実際には、逆回転しているのではないです)、ようやく、昨日から、「通常運行」となったのです。

 

天体が逆行する時、占星術は、天体のシンボルが「外」に向かわずに「内」に向かうと解釈をします。

つまり、「自分の胸に聞いて考えてみよう」というわけです。

 

 

大きくなる、発展する、広げることに対して、「本当にこれで良いのか」「このまま広がっていっても大丈夫なのか」と自問自答する感じから、ようやく、「やっぱり良いです!」と、気持ちがふっと軽くなり、これから、「外」に向かって進む歩みが、スムーズに進み始める。まるで、スイスイと進む「木星」の様に、自信を持って進んでいくと良いよと、天体からのメッセージが、地球に降り注ぐ。

昨日は、そんな日だったのです。

 

そして、その時、「月」と「木星」が真っ向から向き合っていて、「感情」と向き合う配置となっていました。

「月」はくるくる変わるために、もうすでに、「木星」とは向き合ってはいません。

 

もしも、昨日、「やっぱりやめてしまおう」とか、「これを貫こう」と感じた事があったならば、その気持ちを、「形」に変えていく作業が、これから始まるのかもしれませんね。

 

 

 

自分の、本当に深い部分の、根っこの元に埋まっている「感情」に気がついた時、たいていの人は、「気がついてしまった・・・」と、思います。

今の現状との、あまりにも大きいギャップを埋めるのに、多大な「犠牲」が必要となるからです。

 

 

カール・ユングは、「自我が意識の中心であるのに対し、自己は意識と無意識とを含んだ心の全体性の中心である」(「ユング心理学入門」河合隼雄著 培風館)と考えました。

意識とは、自分で認識できている「場所」で、無意識とは、認識する事すらできない「場所」です。

つまり、「自我」は、自分が感じたり考えたりできる事なので、自らの思考の枠の中に収まっています。例えば、「わたしはこの仮面を持っている」のように。

自己とは、枠を越えた部分なので、仮面として置き換える事すらできない、「言葉」にする事ができない部分です。

つまり、自ら気が付くというより、ある時突然に起こった「ハプニング」によって、初めてその「場所」にスポットが当たり、見せつけられるのです。

 

 

「まず自我を相当に強化し、その強い自我が自ら門を無意識の世界に対して開き、自己との相対的な対決と協同を通じてこそ、自己実現の道を歩む事ができる」と著書の中では語られています。

 

 

わたしは、これを成し遂げたい。

それは、わたしがそれを成し遂げることで、わたしが望む「景色」になるから。

そのためには、これは要らない、あれは必要。

わたしが、決めて、必要なものを選択して、持ち続ける。

全ては、わたしの「景色」が、より輝く「景色」となるために。

 

 

逆行期間を終えた「木星」が、成し遂げたい「景色」への道を、明るく照らし始めました。

 

 

 

全てのものは、二つの「パーツ」から成り立っています。

 

「見えるもの」と「見えないもの」

「形あるもの」と「形のないもの」

そして、

「言葉にできるもの」と「言葉にできないもの」

 

 

それらの「バランス」が、いい感じに保てていたら、「全て」は上手く一つになっていられる。

でも、どちらかに偏り過ぎてしまった時、バランスをとろうと「全て」がありったけの力を振り絞って、とても強い真逆の力で、「全て」をひっくり返そうとするのです。(陰陽の相互転化)

 

 

人が「悩み」にはまる時、たいては、「数値化できない」「形にできない」「言葉にできない」場所にある大きくて深い「洞穴」にはまり込んでしまった感覚になってしまいます。

 

時は、前に進んでいて、後ろには戻らない、だから、状況は、常に変化していて、それは、些細な変化かもしれないけど、同じ状態ではないのに、その「時」の「形」が見えなくなってしまいます。

そして、ずっとこのまま、進む事ができなくなっていくんじゃないかと、言葉にできない「不安」から、真っ暗な止まってしまった「時」の中に埋もれてしまう感覚になっていきます。

どこにも光がなくて、あるのは、暗闇だけ。

 

それは、きっと、自我の「鎧」を着るのを忘れて、自己との対決を、うっかり始めてしまったのかもしれませんね。

 

 

まずは、自我の「鎧」を着て。対峙するのはそれから。

「目に見えるわたし」の思いっきり素敵な事を、数えてみましょう。

例えば、今日はスクワットを5回も出来たわたしってすごい!、みたいに。

「鎧」を鍛えて、自己と戦える自我を育てていきましょう。

 

 

「見えないもの」を「見える」ようにするために、便利な「ツール」の一つとして、「占い」があります。

 

10個の干支と12個の十二支の組み合わせと、巡っていく順番は、その瞬間の「景色」と、「季節」の移り変わりを、「暦」として見せてくれます。

 

一つ一つの天体と、地球を軸にしたそれらの動きも、同じです。

 

全体の「景色」を、違う視点から観て、感じて、そして、自分の「言葉」として表現する。そして、それを繰り返し、繰り返し、何度も「言葉」にしていく事で、自我の「鎧」の弱いところや、強いところを、「言葉」に置き換える事ができるようになっていきます。

 

 

「無邪気」と「成熟」を操れるのは、自分だけ。

誰にも邪魔はさせない。