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「占い」に頼りたくなる時は、比較検討する相手を間違えている時かもしれません:なぜ「占い」を受けると気持ちがスッキリするのか

「占い」に全く興味がないと、言われている人も

 

「今年のおみくじは、大吉だったから、幸先が良いね」

「成功したのは、人に恵まれていたから。ありがたいです」

 

など、「運」を感じて、味方につける言動や行動を、普段からされているなと思っています。

 

そもそも「占い」とはなんぞや

と尋ねられたら「運を理解するツール」だと考えています。

 

四柱推命では暦を使い、運を季節の流れとして捉えています。

占星術では天体を使い、運を天体の巡りからサイクルを紐解いていきます。

また、手相では、その人が、今、気とどのように向き合って使っているのか、カードやサイコロなどの一期一会の占いでは、今この瞬間の「景色」を切り取っていく。

 

そこから、壮大で、捉え所のない「運」を、形にして、個人の「運」として落とし込んでいきます。

 

個人の都合で、運は動かない、動かすことができないために、運を良くしたいのであれば、できる限り、良い感じで、授かるしかないのです。

 

 

つまり、「開運」とは、たくさんある運の扉から、最も自分に適した扉を選んで開けることだと思っています。

 

開けるのは、自分で。

つまり、行動なくして、「開運」はないのです。

 

 

四柱推命では、4つの季節を、ギュッと凝縮して五行で表します。

 

様々なものが目覚め、動き始めるの春は「木」

動きが勢いを増し、広がっていく夏は「火」

ピークを過ぎ、下がっていく、または、まとまっていく秋は「金」

枯れ果てて地に返っていく冬は「水」

そして、それぞれの間に位置する修正期間は「土」

 

そして、その五行のバランスが、「個性」です。

 

例えば、個人の「運」が、非常に「木」が強く、「火」が強い、「土」がなく「水」も少ない場合は

とにかく動いて進もうとする人、そして、動きながら考えて、立ち止まらない人、準備ができできていなくてもお構いないで、人の意見も聞かない、どんなに疲れていても、つい動いてしまう。

こんな感じになります。

 

そして、そんな人にとって、巡ってくる「運」に、「土」がガツンとやってきた場合は、なんとなくテンションが下がるかもしれないし(良い意味でも)、キチンとしなくては・・・と人の意見を聞きたくなるかもしれません。だから、いつも以上に、周囲が納得する結果につながっていきますね。

 

 

「占い」は、この様に、個人の運とその周囲の壮大な運を、紙の上に書き出していくように、小さい「景色」にギュッと閉じ込めていきます。

 

 

紙の上にギュッと閉じ込めるのは、どんな意味があると思いますか?

 

 

それは、「離れた場所」から自分の目で確認できるのです。

そうすることで、「今の自分」を、離れたことろにいるもう一人の自分が、眺めることができます。

 

 

人は、一つのものを把握するには、二つのものを比べて、比較検討することで、納得して把握できます。

 

例えば、「右」は「左」と比べるから「右」として存在できます。

「痛い」のは、「痛くない」を知っているから「痛い」と感じます。

 

この様に、常に相反する二つの間で、行ったり来たりゆらゆら揺らいで、今の立ち位置の場所が確認できるのです。

 

 

ここで陥りやすい「罠」があるんです。

 

自分の顔は、自分の目で直接見ることができない様に、自分の運も、客観的に見るのは難しいです。

それは、「今の自分の運」が見る、自分の「運」なので、どうしても「今の自分の運」のフィルター越しに見るからです。

 

人の意見も、その人のフィルター越しに見ているので、その人のフィルターを理解した上で、「なぜ、こんな事言うんだろう」と、フィルターをかけたつもりになって、聞かないと、本音を感じることができません。

 

 

そんな時、暦の出番ですね。

暦にはフィルターがかかっていません。

 

だから、フィルター越しの自分と、暦を比べて、比較検討すると、自分の運を、客観的に知ることができます。

 

 

占いを受けると、気持ちがスッキリしたり、迷っていた決断の答えがスッとできたりするのは、このためです。

 

 

 

「罠」はこれだけではないのです。

もっと厄介な「罠」があります。

 

それは、比べる対象を間違えている場合です。

そもそも比べても無駄なのに、つい比べてしまうのです。

 

 

どんなものと比べるのかと言うと、「他人の表面」です。

 

 

自分に持っていないものを持っている人は、気になります。

つい、目が行ってしまいますね。

それは、持っていないから、珍しいし、目立つし、持ったらどんなだろうと知りたくなるから当然です。

 

持ちたいと思って努力すると、それは成長に繋がるかもしれません。

でも、持つ事がゴールの場合は、持ってしまった段階で、すでにゴールに到着して、その挑戦は無事終了します。

 

そうなると、また、持っていないものに目が行き、そして、再び、持つための挑戦がはじまります。

 

自分の体は一つしかないし、手は二つしかないのし、あれもこれも持ちたいと思ったら、持ちきれないし、今持っているものが邪魔になってしまいます。

 

これは、全く意味のないこと。

でも、意外にも、この「罠」にハマってしまうんです。

なぜなら、比較検討が簡単にできるから。

辺りをキョロキョロしてさえいれば、容易に比較検討するものは、あふれているから。

 

 

「占い」では、他人の運とは比べません。

あくまでも観るのは、自分の運だけ。

だから、占いを受けると、比べていたものが間違いだったと気が付いて、軌道修正するから、スッキリします。

 

 

運が良い人は、自分の運で生きています。

 

まず、自分の運を知っています。

だから、なぜやりたいか、なぜ掴みたいかの理由がわかっています。

そして、自分の運にない行動はしません。

できないことではなく、できる事をコツコツとします。

そして、一つずつ進んでいると確信しています。

決して「飛び級」はないと知っています。

だから、集中して目の前の課題に向き合います。

だから、気持ちと行動が一致しています。

やりたくないことはやりません。

ただし、それはわがままではありません。

やりたくないのは、できないからと知っていて

できる方法をさせてもらえる環境を大事にしているから

その環境に対しての感謝の気持ちがあるのです。

 

自分が納得して進んでいるので、挫折の概念がありません。

というより、比較しているのが、「今の自分」と「目的を果たしていく自分」なので、そこに「挫折」は含まれていません。

 

 

 

「運」とは、揺らぐものです。

良い感じにゆらゆら揺れていきましょうね。