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「バランス」が崩れそうな時には「分解」して仕切り直しましょう:陰陽論:相反する二つの「感情」

「全て」は「気」が集まっていて、その集まり方の違いが「個性」であり

でも、「気」は常に動いているから、集まりの形も変わっていく。

 

と言うことは、「個性」もまた、変わっていくことで

その変化は、「進化」であるから、変わっていくことは、すなわち「良い」ことなのかもしれない。

 

でも、変わっていくと、「立ち位置」も変わるので、今まで立っていた場所でなない場所に、「移動」が始まる。

 

旅立つ人は、希望を持って、進んでいくかもしれないけど

その場所に留まる人にとって、「失う」こと。

それは、きっと寂しいし、辛い。

だから、旅立ちを快く見送ることができないかもしれない。

 

 

年の瀬に近づくと、一年を振り返って、一年の「成長」を確かめます。だから、今後の「成長」のための「旅立ち」を決意する人が増えます。

 

 

「旅立ち」について、二つの「感情」がせめぎ合います。

 

一つは、支配したい、成し遂げたいと願う「陽」の感情

もう一つは、受け止めたい、許したいと思う「陰」の感情です。

 

実は、「二人」の間で、この「感情」のせめぎ合いが起こるのでなくて

「一人」の心の中で起こります。

 

例えば、「転職」を考えた時

「陽」の「感情」は、成し遂げたい夢に向かって、この場所から脱出したい。だから、「転職」したい。そう願います。

そして、そんな時の「陰」の「感情」は、今までの経験を受け止めて、深堀りしたからこそ、内側が充実できて、それが、次のステップへの「自信」にも繋がっています。

この相反する二つの「感情」を持っている人は、「良い転職」が可能です。

 

信じられないくらい、とんとん拍子に、次の扉を開けて、すぐまさ、目の前の階段を駆け上っていけると思います。

 

この気持ちを持ち続けていけたら、きっと、これからも大丈夫ですね。

 

 

「陽」と「陰」とは、常に一つなので、「陽」が変われば「陰」も同じく変わります。

 

 

例えば、同じように「転職」について考えてみても

「陽」の「感情」が、怒りや不満に溢れていたら、今の場所は、修羅場です。なので、戦って勝ちたい、やっつけてやりたい、と「陽」の「感情」は願います。

それに対応する「陰」の「感情」は、「負けたくない、でも、負け続けている自分は、まだ何かが足りない・・・脱出できない自分は、何かが不足しているに違いない」と得ることを渇望します。どこまでも「不足」のループが続きます。

その場合の「陰」の「感情」は、きっと、まるでブラックホールみたいなんだと思います。吸い込んでも吸い込んでも、満ちることはありません。

 

いくら、「陽」が前に進もうとしても、ブラックホールの力には敵いません。

向かい風が強すぎて、一歩が出ない。進めない。

 

 

 

ネガティブな「陰」が強すぎると、「旅立ち」の後の「孤独」に耐えられなくなっていきます。

 

「陽」の場合は、「形」として、目標設定できるので、コントロールができますが、「陰」の場合は、「形」がないから、具体的な目標を定めるのが難しいし、自分の内側に向かっている「気」なので、扱えるのは、自分だけです。

 

 

 

ネガティブな「陰」に、覆い潰されそうになったなら、一旦「バランス」そのものを、分解して検討してみましょう。

 

まずは、「陽」から。

今、出来ている事を確認してみる、できるだけたくさん、具体的に。

例えば、朝、寒いけど頑張ってベッドから抜け出した、とか、朝ごはんを食べた、とか、面白いテレビ番組を観て笑った、とか、なんでも。

一日に、どれだけたくさんのことが「達成」できているのかが、わかります。

 

そして、「陰」の登場です。

自分で「達成」した事を、全て今日の「経験」として受け止めます。

そして、それぞれについての「感情」を感じます。

「陰」にできるのはそれだけです。感じるだけ。「ジャッジ」はしないで。「ジャッジ」は「陽」の感情だから、ごちゃ混ぜにしないようにしましょうね。

 

 

上手くいかずにもやもやしている時は、「陽」に対して、「陰」の感情を求め、「陰」に対して「陽」の感情を感じている時です。

 

 

 

目の前に、立ちはだかっているのは、高い壁ではなくて、きっと大きな扉です。

そうに違いないと、勝手に「妄想」してみましょう。

 

 

扉の鍵穴にピッタリと合う「鍵」を、順番に試していきましょう。

黙々と。

 

 

 

 

「個人」では、背負いきれないほどの「責任」を背負おうとするのは、無理です。

「個人」の「枠」を越えたものと、バランスが取れるのは、「個」を越えた「枠外」でしかありません。

 

「枠外」を越えたところにあるものは、「妄想する心の中」に存在しているのかもしれないと感じています。

 

どうしてそう感じるのかというと、「命式」をじっと眺めていたり、「命式」が受け取っている「運気」や、これからやってくる「運気」の流れを、万年暦を調べて書き出して、その景色を「妄想」すると、「なんとかなる」と思えてくるのです。

「運気」はいつも、流れていて、同じ景色は二度とやってきません。

とてつもなく大きな流れの渦に、「命式」は、ただ乗っているだけです。

 

 

今日、扉の鍵穴にピッタリと合う鍵が見つからなかったとしても

明日は、どうなるのかわかりません。