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人は「動く」ことによってのみ「わたし」でいられる:「動的平衡」福岡伸一著:「わたしの生命」を維持するための方法とは

 

全てのものは「気」で構成されています。

それには例外はありません。

 

様々な出来事や、人々の思い、日常の一コマには「気」が宿っていて、常に動きながら、バランスをとりながら巡ります。

 

そして、「天」や「地」も大いなる「気」で構成されていて、「人」もまた「小宇宙」であり、世の中で起こることは、人の中でも同じように起こっているといわれています。(天人合一)

 

「天」も「地」も「人」も、誕生から最後の日に向けて、持っている「時間」や「大きさ」こそ違えども、進化して「形」を形成し、最後には「水」のごとく清らかになって、全てとの「境界線」がなくなっていきます。

そして、次の「種」に、「思い」をバトンを渡し、「形」が溶けてなくなります。

 

 

それは、「人体」にも言えることです。

「わたし、こんな素敵なバトンを渡しました」

そんな風に、清々しい「思い」で最後の瞬間を迎えるために、「人体」はたくさんの冒険をします。

だから、生きるとは、「バトン」を探す旅なのかもしれません。

 

 

 

生物学者で、農学博士でもある福岡伸一氏の著書は、「生命とは何か」をとてもわかりやすく解説をされています。

 

「新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」小学館 の中で

「生命とは動的平衡にあるシステムである」とのくだりがあります。

 

ユダヤ人科学者シェーンがアミノ酸がマウスにどのように影響を与えているのかを調べる実験の結果についての考察から、話が始まります。

当時アミノ酸は、人体の体内で燃やされて、エネルギー源となり、臓器を維持する栄養源としての役割があると考えられていました。

つまり、アミノ酸が燃えて、燃えたアミノ酸の「カス」が体外に排出されるのではないかという理論です。

しかし、実験の結果は、予想を覆すものでした。アミノ酸は、体内に取り込まれると、全身に広がっていき、あらゆる組織や臓器を構成する「タンパク質の一部」となったのです。その分、身体を構成されていたタンパク質は「捨てられて」いて、タンパク質は「新旧交代」をしていたことが発見されました。

 

考察は、続きます。

私たちの生命を構成している分子は、プラモデルのような静的なパーツではなく、絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にある。すなわち、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちが食べ続けなくてはならない理由は、この流れを止めないためだったのだ。

そして、この分子の流れが、流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保っている。

個体は、感覚としては外界とは隔たれた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子の緩い「淀み」でしかないのである。

「本書第8章 生命分子の「淀み」 シェーンハイマーは何を示唆したのか 」より抜粋

 

 

 

天人合一の思想から考えてみると、「人体」で起こっている「動的平衡」は、「人の運気」でも同じように起こっていると想像することができます。

 

人の運気も巡ります。

 

それは「暦」が、順番に、絶え間なく、今までも今も、そしてこれからも巡っていくように。

 

そして、「暦」が宿している「気」を、まるで「食事」のように、自分に取り込むことができ、そして、「新旧交代」を繰り返しながら、常に新しい自分になる、それは、「生命を維持」しているのと同じように、「気を取り込む」ことによって、自分の「思い」が生き続けることができる。「思い」が生き続けることができるのは、「気を取り込み続ける」からこそ。

 

喜んだり、悲しんだり、楽しんだり、落ち込んだり、いろいろな「思い」を味わうことは、「今日のご飯美味しいね」「今日はちょっと味が濃かったかもね」と言いながら、日々の食事を楽しむようなもの。

 

そして、すごく悩んだり、落ち込んでいたとしても、たまたま「ネガティブな気」の密度が高い「淀み」にはまってしまっているためで、でも、いずれ「淀み」は流れさっていき、同じ状態ではいないのです。

たとえ、自ら進んで「淀み」から、脱出を試みることができないとしても、時間とともに「淀み」は流れていくので、動けない時に、無理には動かない方が安全です。

それは、山で道に迷ってしまった時には、救助に来てくれる人を待っていた方が良いといわれているのと同じです。

 

 

状況は、必ず変わります。

状況が変わるのように、自分もまた変わります。

自分も、変わることができます。

 

 

ただし、「わたし」であることには変わりはありません。

 

 

 

「運気」が流れているものだとしたら、引き寄せることは可能なのか。

 

引き寄せの法則は、私も大好きで、やはり本気で願うと叶うのではないかと思っています。

それは、お客様が教えてくれます。

「なりたい自分」になるために、日々真剣に、今できることに全身全霊で取り組まれていると、ある時ある瞬間に、突如「流れ」が変わる瞬間がやってきます。

それは本当に「ミラクル」で、お客様自身、とてもびっくりされることもあります。

 

 

ただし、残念ながら、「ミラクル」を掴む人と、そうではない人、はっきりと分かれます。誰でも掴める訳ではありません。

 

 

掴める人は、「自分に素直」です。

素直な人は、「できないこと」が分かっています。

「できないこと」はモチベーションが上がらずに、とても重たい荷物を両手いっぱいに抱えこみ、それでも荷物を増やそうと奮闘しています。だから重くて仕方ない。そんな「重い思い」は流れには乗れません。

素直な人は、「できること」が分かっています。

できる方法を知っています。だから、できる方法で一生懸命頑張れます。できることができる度に、モチベーションが上がります。だからどんどん軽くなります。そんな「軽い思い」は流れに乗るのは訳ないことです。

 

 

掴める人は「動く」人です。

流れに乗っているので、じっとはしていません。

流れは時に残酷だったり、でも、時に優しかったり。だからいろんな「思い」を味わいます。それはまるで、いろんな食事を楽しむように。たくさんの「思いの食事」は、「わたし」を大きく育ててくれるのです。古いものは捨ててくれて、常に今が一番「新しい」状態にしてくれます。

 

 

掴める人は「掴まない」人です。

掴める人は、全ては「流れ」であることを知っています。それは、たくさんの流れに翻弄されて、いろんな「思い」を味わったから知ったのです。そして、苦手な「思い」の解消法も勉強しました。好きな「思い」を思いっきり楽しむことも知っています。

そして、全ては流れていくので、「今この瞬間」をとても大切に味わいます。

だから、失ったり消えてしまっても、「待っていたら、また素敵な流れがやってくる」と前を向いて進むことができます。

 

 

引き寄せる人とは、自らグイッと引っ張りこむのではなく、「流れ上手」な人だと思います。

 

 

だから、軽やかな人は、たくさん掴むことができます。

 

 

協会事務所の一階は、化粧品販売の個人商店です。

 

資生堂・カシー化粧品・ハリウッド化粧品・アロマフランスの商品を取り扱っていて、エステサロンも併設しています。

 

昨年のちょうど今頃のこと、かつてお店の一番の「鉄板ブランド」であった「ディシラ化粧品」が全ての商品の販売を終了する決定を出しました。ディシラ化粧品は、資生堂の傘下の「商店でのみ買うことができる」のが売りのブランドです。

突然の取り決めに、それこそ「寝耳に水」状態となったのです。

 

あれから一年。

流れに流れました!

私も、少しではありますが、お手伝いをさせてもらい、「これからどうする」作戦が、今、どんどん進行中です。

 

そして、大体の「イメージ」が固まったため、本日は新しいホームページのための撮影を行いました。

 

オリジナル商品販売のための、補助金もいただけることが決まり、来月中旬までには「形」にする予定です。

 

 

また、こちらのページでも、準備がととのいましたら、詳細をお伝えしたいと思っています。

楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。

 

「人体」は「形」のあるもの

「思い」は「形」のないもの

 

「形」はいずれ「水」に流れて消えてしまいます

「形ない思い」は「水」と一緒になって、大きな「流れ」を生み、そして大きな「淀み」ができ、それから大きな「渦」となって、たくさんの人に「思い」を伝えることができると思っています。

 

 

 

「人体」は老化するけど

「思い」は成長します。

そして「バトン」は次に手渡されて、ますます大きな「思い」へと成長していきます。

 

 

1階のやなぎだ化粧品店のホームページはこちらからどうぞ