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想像を超える新たな流れが生まれる瞬間の景色:絶

東洋思想は、全てを「流れ」として考えます。つまり、現象や時、空間は全て移ろっていくと捉えるのです。よって、基本的には動くことは「吉」であり止まることは「凶」だと解釈をします。
また、「個人」は大いなる「流れ」の一部分であると考えます。つまり、「個人」は単体で存在していくのは不可能であり、常に「流れ」に翻弄されて動かされていくと捉えています。
つまり、「個人」は「グループ」(系)の中に属している一員としてのみ存在できるとなるのです。「グループ」に適応した「個人」は居心地が良く、「グループ」からの恩恵を授かることが可能です。よってその「個人」は「運が良い」「タイミングが合っている」と考えます。
適応できない場合は、居心地が悪いだけでなく、「グループ」からの圧力(攻撃)を受けることになります。よってその「個人」は「凶」(運が悪い)と考えます。
つまり、いかに「グループ」の一員として、最適な「立ち位置」を確保するかが重要なのです。
例えば、一族(グループ)の中にある女性は、「陰」として適応するのが良いとされます。「陰」は受容し守り育む役割を担います。なので、嫁ぎ先の家風を受容し、家を守り、子を産み育てる役割を果たすためにあると考えます。なので、「陽」が強い命式を持っていると、「嫁には向かない」と言われてしまうのです。
古来から伝わっている四柱推命では、性別によって解釈や吉凶が異なるのはそのためです。
ただし、明らかに今の時代には当てはまりませんね。なので、今はそのようには考えません。
「流れ」には3つの「状況」があると言われています。
①生
起点 始まり 原因 はしり
水の流れが向かってくる(来水)
勢いがある これから上昇していく
②旺
最も勢いが盛ん 極まっている 動きは緩慢(頂点だから)
プロセス さかり 頂点
これから下降に転じていく 向かう方向が変わる
③墓 
終点 到着地点 ルーツ なごり 
水が外に向かって流れ去る(去水)
結果が出る 集結する 安定 停滞 動きを止める
流れは①から②に向かい③で一巡し、③から①へと向かいます。この3つの流れがスムーズであるのが「吉」となります。つまり、「人」を「旺」として考えた場合、やってくる流れを受け「生・来水・天」、「旺・人」を介して、外に流していく、次に渡していく「墓・去水・地」のが良いとされています。
3つの「流れ」は単体で存在しているのではなく、全て同時に存在しているとも考えます。よって、「生」の中に「墓」の象徴があり、「墓」の中には「旺」の象徴があります。つまり、今の「問いかけ」の中に「答え」の象徴があると言えるのです。「命式」や「暦」の中に「問いかけ」の「答え」を見つけるのが「占い」です。


「流れ」は動いている状況のことです。なので体感できます。

全てのものは、相反する二つの象意から成り立っていると東洋思想では考えます。ということは、動いていない状況も存在することになります。体感できない状況です。この状況を「絶」と言います。
④絶
3つの流れの反対側に位置する「虚」となる状況。
絶は、終わりの始まりです。絶の中には「答え」はありませんが、次へと向かう「きっかけ」「原動力」が隠れています。
虚無 跡形もなく消えていく 無風
何も残らない 溶けてなくなる 

タロットカードで言うならば、大アルカナの「愚者」。0番のカードではないかなと思います。

何もない、何も見えない、保証も確約も理由も裏付けもない。でも、何か動き始める予感がする。そんな瞬間。

大きな転換期の渦中にある人は、時に皆んなが驚くような決断を最も簡単にあっさりとする事が良くあります。多分、それが「絶」の瞬間。スピリチュアル的に言うならば「大いなるものと繋がった」瞬間。

毎日時間に追われてスケジュールをこなすのは、体感できる流れの中だけで過ごしていること。だから、同じ場所での堂々巡り。

ちょっとだけでも手を止めて、目をつぶって、耳を塞ぎ、ぼうっとしてみる。「絶」の状況に身を委ねることになるんじゃないかなと思います。そんな時に、ふと素敵なアイデアが浮かんだりしますよね。そのアイデアを体感できる流れに乗せて行動に移してみましょう。
後に振り返ると、それが流れの「分岐点」になっているはずです。