色気のある男性と色気のある女性とは:陰陽論
秋には秋の風が吹き
秋には秋の花が咲く。
自然の流れの中で、そのまま逆らうことなく流れると
間違いなく「旬」の時に「旬」を迎えます。
でも、これだけ、「人工的」に操作できる様になってしまったら
秋って一体何者????と考えてしまうかもしれません。
いつもスーパーに並んでいる野菜や果物も、「旬」以外の時でも、いつでも「食べられる」状態になっていて、それが嬉しいことでもあるけれど、実りの時期さえも、「人工的」に操作できる今、だからこそ、「旬」を大事にしたいなと、ふと思ったりするのです。
四柱推命は、「四季」の流れを紐解く為に、わかりやすく暦を使う方法を体系化した学問です。
全てには「陰」と「陽」があり
そして、五つの五行があり
それらが順番に進んでいく。
「陰」と「陽」は、常にバランスを取ろうとして、右往左往していて
その右往左往している「動き」が、波動となり、エネルギーとなり、そのエネルギーが五行が順番に進むための、原動力となっていきます。
俗にいう「オーラのある人」とは、この、波動を強く発している人のことです。
「オーラ」とは、内側から滲み出る波動なので、決して外側から得られるものではありません。
つまり、「オーラのある人」は、「陰」と「陽」とのバランスを取る為に、多くの「右往左往」をしなくてはいけない人、「真逆」の距離がとてつもなく大きくて、だから、とても不安定で、その不安定さを安定させる為に、いつもゆらゆら揺れている。
ゆらゆらと言うより、グラグラと言った方がいいかもしれませんね。
グラグラしていても、それでも、「全体」として存在するには、「中心点」がしっかりと定まっていなくてはいけません。
そして、集中力も必要で、周囲の刺激に、いちいち「中心点」を動かしていては、バランスが取れないどころか、崩れて崩壊します。
なので、「オーラのある人」は、人の視線を気にしていなくて、とにかくマイペースなので、つい目立ってしまいます。
「オーラのある人」が常に見ている視点は、「中心点」。
そして、その「中心点」を軸にして、ブンブングラグラと、色んな事を言ったりやったり、その振り幅の大きさに、周囲は振り回されてしまう。
なので、うっかり近づかない様にしなくては。
「オーラのある人」と一緒にいると、刺激を受けるし、テンションが上がるし、やる気や元気をもらえるのは、振り回されてしまわない様に、自分の「中心点」をしっかり見ようと頑張るからです。なので、自分の「中心点」が鍛えられて定まります。
だから、自分の為にも、「オーラのある人」とともに過ごせる「時」を大事にしていきたいなと思うのです。
全ては「陰」「陽」に分けられます。
男性は「陽」で、女性は「陰」です。
俗に言う「色気のある人」とは、人を魅了する波動がある人です。
つまり、「真逆」の距離が大きくて、グラグラしている人とも言えます。
色気のある男性は「陰」に大きく引っ張られていて
色気のある女性は「陽」に大きく引っ張られている。
つまり、「女性的な」男性と、「男性的」な女性は色気がある人と言えると思います。
「陰」は受容し、すっぽりと包み込む気です。
「女性的」な男性とは、受容して包み込む人。
例えば、人の話の細かいことろまで聞いて、それを覚えていて、それをさりげなく「これ好きだったよね」と言ってくれる様な人。
少しでも「陽」が前面に出てしまったら、「好きだったよねって言う僕ってすごいでしょ」と言いたくなって、態度に出てしまって、陰陽が逆転するから、そこはできれば抑えましょうね。
あくまでもさりげなく。
「陰」は、結果を出そうとはしなくて、全てを水に流す潔さがウリです。
「すごいでしょ!」を抑えるのは、なかなか大変・・・・ですよね。
だって、頑張って準備したプレゼントを、ちっとも喜んでもらえなくても、「あ、それ、好きじゃなかったんだね、ごめんね、気がつかなくて」と笑顔で言わなくてはいけないから。想像しただけでもイライラモヤモヤしそう・・・・。
ただし、「陰」がしっかりと普段から発動していれば、そもそも「好きではないもの」も熟知できているので、「好きではないもの」を選ばないから、イライラモヤモヤにはならないのです。
「陽」は攻撃し戦い、形を作る気です。
「男性的」な女性とは、戦う女性。
例えば、自分の意見を持っていて、それを苦しくても貫きます。なので、相手に同意することはあっても、相手の意のままには動かない。
少しでも「陰」が前面に出てしまったら、「あなたの意見も分からなくもないけど、でも、ちょっとぐらい大目に見て、明けて通してくれないかなあ」と、陰陽が逆転してしまって、図々しいだけの人になってしまう。
「わたしの気持ちをわかってくれない・・・」は、「陰」が前面に出て来た合図です。
あくまでも、大切なのは、最高の形を作り上げること。
戦えばいいと言うことではないのです。
最高の形の為に、妥協も必要な場面もあります。妥協するのは悔しいけど・・・・でも、最高の形さえできれば、「終わり良ければ全て良し」で、腹を括る潔さが大事ですね。
自由に選択できる世の中は、全て自分で決めなくてはいけない「不自由」さと戦っていかなくてはいけません。
選択したものが、必ず「成功」しないと、周囲が認めてくれないから。なので、どんどん「安全第一」となっていき、「陰」と「陽」の距離も狭まっていきます。
距離が狭まると動きが小さくなっていく。
右の物を、左に動かす程度だったら、不都合であれば、元に戻せば大丈夫なので、「自己責任」の範疇に収まりますが、世の中の大抵の出来事は、自分の手に余るほどのスケールで起きていて、自らがコントロールできる範疇を超えています。
全てに「陰」と「陽」があってこそ、グラグラ揺れて、そこから波動が生まれるから
「成功」も「失敗」も「良い」も「悪い」も全部まとめて「オッケー」と自信たっぷり言えると良いなと思っています。
「色気のある人」とは、「オール・オッケー」と、笑顔でいつも同じ場所にいてくれる人ですね。