「頂点」はツラいよ:十二支「午」
「頂上」の景色を十二支に当てはめると、「午」です。
「午」は、「巳」で上昇してきた勢いが、最も高くなった状態。
繁栄が極まった景色です。
頭ひとつ抜け出した感じ。
「学年1位」みたいかも。
ただし、十二支「午」は固定された「頂上」の一点ではありません。
気は止まらないからです。
『史記』に、「午は陰陽交わる」とあるように
相反する両極が混在しています。
二つはぶつかり合いながら、バランスを取ろうと動くので
とても不安定であり、先行き不確実でもあります。
学年1位を取ったら、次のテストでは順位を落としたくないから、過度なプレッシャーを感じてしまう・・・・。「きっと出来る!」という気持ちと、「できないかもしれない・・・」という気持ちが錯綜する、混沌とした心理状態になってしまうみたいな状態ですね。
「午」は、「忤らう」(さからう)の意味を持っています。
繁栄が頂点となり、それが下がっていく。
上昇と下降が相交る状態です。
相反する両極がぶつかり、炎上するために、とても強い勢いが生じます。
「繁栄」は、終わりに向かって下ろうとする流れと、終わらせたくない流れと、両方が同座しています。
ただし、終わりは始まりでもあるので、「午」が向かう方向は、「次世代」へと向いていると考えることができます。
成し遂げた「実り」を、次世代の「種」に、バトンを渡す「景色」です。
渡したバトンを、ちゃんと大事にしてくれるかはわからないし、手出しもできない。
手放す寂しさもあります。
だから葛藤が生まれ、その葛藤が炎上する。
陰陽の分類では、「午」は「陽支」です。
「午」は、外側に影響を与えていきます。
外側を動かして、変化するよう促していきます。
「午」は火気なので、外側を根本から変えていく強さを持っています。
生卵を茹でたら、茹で卵になるようなイメージです。
熱の影響で固まった卵(タンパク質)は、いくら冷やしても、生卵には戻りません。
そのくらい、火気の影響は、外側の深部というか、根本まで作用を及ぼすのです。
例えば、偉業を成し遂げた偉人の熱い情熱に触れると、「自分も世の中の役に立つ人間になりたい」と奮起してがんばるとか、乗り気でなかった案件でも、熱い情熱で説得されて、その気になったとか。
火気は、自分の「枠」を超える影響を与えてくれます。
また、五行生旺墓から考察しても、「午」は「三合火局」の「旺支」です。
だから、まさに「火」のサイクルの頂点。
「寅」で兆した「火」は「午」で最も高い場所に到達し、やがて「戌」に向かって、そこで終わります。
「寅」は「螾」(いん)の象意で、これは、動くことを表しています。
物事が動き始め、これから発展に向かっていく特徴があります。
このことから考えても、動かないと「寅」スイッチが入らないので「1位」にはなれない、と言えますね。
「寅」は2月、「午」は6月、「戌」は10月です。
節分明けに始めたら、とりあえず6月まで諦めずにやっていると、何かしらの手応えを感じ、10月にはワンランク上を目指せるようになっている、かも。
これは、火気の生旺墓のサイクルを利用した行動計画です。
参考にしてみてくださいね。
それでは、「1位」の「場所」はどのような感じなのか考えてみました。
「午」は「夏」の「旺支」です。
夏真っ盛りの頃にあたります。
太陽は最も高い位置にあり、地面を真っ直ぐ照らします。
そのために、「影」はどんどん小さくなります。
そして、「頂点」に太陽がくると、「影」はできません。
「影」は「陰」の象意です。
人の「影」は、「プライベートな部分」であり、「隠したいこと」であり、「秘密にしたいこと」や「ひとりの空間や楽しみ」「裏側の顔」でもあります。
真上から太陽に照らされると、「影」を持つことが許されません。
全て表舞台に引っ張り出されます。
起きても寝ても「舞台」の上。
しかも、スポットライトに照らされて、四六時中みんなの「目」に晒されている・・・・・。
なんだかキツそうですね。
では、そんな想像しただけでもキツい「午」と、良い感じに付き合っていくにはどうしたらいいでしょうか。
先ほどお伝えしたように、「午」は「陰陽交わる」状態だと考えられています。
真逆の二つの間で、ゆらゆらと揺れている感じです。
なので
出来ることもあれば出来ないこともある
上を目指すのも良いけど、足元も大事
のように、自ら揺れると大丈夫。
出来なくっても、失敗しても、出来ても成功しても、「だから何?」って
ちょっと俯瞰して捉える。出来たことや成功に囚われすぎると、頂上で動けなくなってしまう感じになってしまうので。
話が飛躍しすぎかもしれないんですが・・・・
ダイエットをすごく頑張っていて、結果もきちんと出していたけど
突然、ジャンクフードが食べたくなって、お腹いぱい食べてしまう。
これも、ある意味、舞台の上で照らされまくって、突然、舞台から飛び降りて逃げてしまった景色なのかもしれないですね。
まあ、万物「裏」も「表」もあるということで。