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「青い薔薇」が「不可能」を「可能」にしてくれる:「十干支」と「十二支」の間の「隙間」を感じる

今年最後の「花の定期便」のアレンジメントは、鮮やかな「青い薔薇」が一際美しい存在感を放っていました。

 

「青い薔薇」の花言葉は、以前は「不可能」だったそうです。

それはなぜかと言うと、自然界の中には青い薔薇なんて存在しないから。

薔薇が青いなんてありえないから、青い薔薇を見たいといくら強く望んだとしても、それは、残念ながら「無理だよ・・・だって、この世には青い薔薇なんてないからね」と、失笑されて、その夢はそこで終わっていたのです。

 

でも、イノベーションは、この「不可能」を「可能」に見事に変えました。

今では、「青い薔薇」の花言葉は、「夢かなう」だそうです。

 

昨年の今頃、「こんな風になれば良いなぁ」と思っていたことの中で、叶った出来事を、「青い薔薇」が祝福してくれているようで、来年の今頃も、また、「青い薔薇」をポジティブな気持ちで眺めることができるようになったら良いなと感じています。

 

 

 

 

「青い薔薇」の開発の「物語」は、サントリーグローバルイノベーションセンター

のホームページでご覧になれます。

 

「人類の果てしなき挑戦」は、たくさんの「不可能」を「可能」に変え、たくさんの「夢」をかなえ、そして、これからも、多くの「夢」を叶えていくんだろうなと思いました。

 

別に、「青い薔薇」はなくても、「赤い薔薇」や「白い薔薇」や「黄色い薔薇」など、たくさんのとても綺麗な薔薇があるから、そんなに根を詰めて、お金を使って研究しなくても、などど、周囲の意見もあったかもしれませんね。

でも、「夢」を形」にする「行動」は、ただ薔薇を「青く」しただけではなくて、多くに影響を与えていったはずです。

 

 

「気」とは、単体では存在しません。

様々な「気」が共鳴しあって、影響をし合いながら、「今」を作っていきます。

 

「思い」や「行動」や「知識」や「言動」など、全てが折り混ざって、「青い薔薇」に到達したように、きっと、「願いは諦めなければ、いつかそのうち叶う時がやって来る」と思っています。

 

 

 

「運気」は、10個の「干支」と12個の「十二支」が、ワンセットになって巡っています。

 

10個と12個の組み合わせは、全部で「60個」あります。

それを「六十干支」と言います。

 

「六十干支」のトップバッターである「甲子」から始まり、最後の締めの60番目には、「癸亥」がやってきます。

 

 

10個の「干支」は、「目に見える」イメージの、進化の「過程」の順番に巡っています。

 

「甲(木・陽)」から始まり、最後は「癸(水・陰)」です。

 

「甲(木・陽)」「乙(木・陰)」は上に伸びる様

「丙(火・陽)」「丁(火・陰)」は広がっていく様

「戊(土・陽)」「己(土・陰)」は下に下がってくる様

「庚(金・陽)」「辛(金・陰)」は固まっていく様

「壬(水・陽)」「癸(水・陰)」は凝縮の限界に向かっていく様(散らばっていきます)

 

これは、「目に見える」全ての物事の「進化」の「過程」です。

 

最初の「言い出しっぺ」が、突飛な事を言い始め(木)、それを、皆んなが面白がって拡散していき(火)、やがて、皆んなが知るところとなると、当たり前のことになっていき(土)、当たり前の中で個性が芽生えてきて(金)、誰にもマネのできないオリジナルとして残っていく、または、飽きられて忘れ去られてしまう(水)

 

これが「木火土金水」の進化の過程のプロセスです。

 

 

 

一方で、「十二支」は、「見えない」イメージです。

「時間」「空間」「季節」「方角」などが、「十二支」が示してくれる景色です。

 

「十二支」にも、「木火土金水」の巡りがあります。

ただし、「十干支」の巡りとは、ちょっと順番が異なっている箇所があります。

 

それは、間で「土」の気が入ることです。

 

 

「十二支」の順番はこの様になります。

「子」   (水)

「丑」   (土)

「寅」「卯」(木)

「辰」   (土)

「巳」「午」(火)

「未」   (土)

「申」「酉」(金)

「戌」   (土)

「亥」   (水)

 

 

「水」から始まって、「水」で終わるのですが、間に「土」が入っています。

「土」は、季節で例えるならば「変わり目・土用」です。

つまり、「気」が異なる次の「気」に移る前の「準備・調整」のための「気」となるのです。

 

 

 

四柱推命を学び始めた頃、「十干支」と「十二支」が、なぜ同じ個数ではないのか、なぜ、「十二支」は「土」が間に入っているのか、とても不思議に感じました。

 

それは、今でも「疑問」として残っていて、自分自身で納得できる答えは見つかっていません。

 

でも、個数が違っていると、組み合わせた時の「気」に「ズレ」が生じてきます。

その「ズレ」は、その「気」の大きな特徴として、解釈でとても大切に読み解きます。

 

「形」のあるものと、「形」のないものとの、進化の過程の「ズレ」は、「右肩上がり」に上がって行こうとする「形」を、ちょっとだけ引き戻して、「摩擦」を生むことで、その「摩擦」を研ぎ削っていく事にも繋がっていきます。

 

それは、どちらかに「偏り」過ぎてしまわないように、しているかの様にも感じ取れますね。

 

 

「形」とは、今の「不都合」を、「都合良く」するために、生み出されていきます。

「ピンチ」は「ピンチ」でしかないのだけれど、その「ピンチ」とどう向き合うか、「ピンチ」から逃げるのか、その「方法」から「都合の良い」新しい「形」が出来上がります。

 

 

今日よりも、もっと上に、でも、時には、足元を踏みしめて、「土台」を固めなくては、次にそのまま行ってしまうと、もしかしたらひっくり返されてしまうかもしれない。ひっくり返される前に、「土台」が壊れて、自ら転落してしまうかもしれない。

「見えない」気の流れは、それを防ぐために、間で「土」が入っているのかもしれない。そんな風にも思えてきますね。

 

 

 

「見えるもの」と「見えないもの」は、半分半分で、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられていて、「見えないもの」は時々「お休み」がいるから、あまりキツキツに「スケジュール」を入れてしまうと、「お休み」ができていない。

 

だから、「余裕」とか「余白」とか「ゆらぎ」とか「隙間」とか

そんな「何もしない時」は、とても大切なのかもしれない。

 

そして、新しい「芽」は、「土」の中に撒いたタネから出るので

新しい目覚めは、「土」が必要で、「土」なしでは生まれてこない。

 

 

来年の「十二支」は「丑」です。「土」がやって来ます。

これからは、しっかりと、地に足をつけて、どっしりとしたくなる気分になっていきます。足固をする気が巡ります。

 

「土」の気の感情は「信」

 

「人類の果てしない挑戦」は、きっとできると信じてみると

一人一人が「青い薔薇」を咲かせることができるはずです。

 

 

 

「思い」のない行動は、ただの物質の「移動」にしかすぎません。

「十干支」だけでは、「暦」は成立しないのです。

2021年は、「辛丑」です。

まるで「丑」の様に、「原石」を磨いて輝かせたい(辛)ですね。