「衰運期」は実は最高の「開運」のチャンスの「種」を持っている:四柱推命は深くて面白い
「気」は絶えず巡ります。
十個の干支と十二個の十二支が、ワンセットになって、順番に進んでいます。
十個の干支と十二個の十二支の組み合わせは、全部で六十個あり、それらを「六十干支」と呼んでいます。
「六十干支」が10年に一つづつ、1年に一つづつ、一ヶ月に一つづつ、1時間に一つづつ、順番に進みます。
「万年暦」には、その巡る運気が記されていて、鑑定士はこの「万年暦」を使って、暦を読み取っていきます。
四柱推命は、生まれた年を「年柱」、生まれた月を「月柱」、生まれた日を「日柱」、そして、生まれた時間を「時柱」と捉えて、四つの「柱」の「気」の宿り方で、その人の「気の特徴」を読み取っていきます。
四柱推命の名称は日本独自の呼び方で、中国では「八字(パーツー)」と言われます。たったの八文字で、その人の宿命、取扱説明書がわかるのです。
四つの柱の事を、「命式」と呼びます。
たとえ同じ「命式」だっとしても、人は環境によって「成長」します。
巡る運気により、その人が選び取る「気」が違うので、誰一人として同じ「人」はいないし、全ての人が、みんな「個性的」なのです。
「命式」にも、「強い」「弱い」があります。
自分の「気」のエネルギーが、外からの「気」に対して立ち向かうだけの強さを持っていると「身旺」の命式。
その逆で、外からの「気」に対して立ち向かうだけの強さがない場合を「身弱」の命式と言います。
「身旺」は、俗に言う「出世運がある」命式です。
「身弱」は弱いため、「人の下で守られて生きる」のが吉とされます。
ただし、それはあくまでも「自分」だけの「気」を観た場合です。
人は絶えず「環境」から「気」を受けるので、「自分」と「環境」の両方の「気」を観ていかなければ、「片手落ち」の鑑定になってしまいます。
たとえ「身旺」でも、巡る運気によっては「身弱」のようになったり
「身弱」でも、巡る運気に「身旺」にさせられたり。
「自分では無い自分」のタイプになるので、苦手を強いられる感じになります。でも、「自分では無い自分」にも、なれる運気でもあるのです。
薬膳理論では、すべてのものは「気」という物質から成り立っており、人もまた、例外なく「気」で成り立っているとされています。
人の「気」には二つの種類があり、それは、父母(先祖)より受け継いだ「先天の精(気)」と、飲食物や呼吸など、外から取り入れる「後天の精(気)」だとされています。
それぞれ半分つづの割合で、一つの「人」を形成しています。
つまり、半分は変えられない、持って生まれた「気」
残りの半分は後から選んで取り入れる「気」
半分は「変えられない」
でも、半分は「変えられる」
運気も、また同じです。
運気の流れによって、「身弱」の命式でも、「身旺」として、強くたくましく過ごすことを強いられる運気が巡る時があります。
それは俗に、「最強の運気」が巡る勢いのある状態です。
でも、「身弱」の人にとっては、「力が無い」のに「強い敵」と戦うような、心身ともに「試練」となります。
実は、私は、昨年「最強の運気」が巡りました。
私にとっては、最大の「衰運期」だったのです。
先日、浅野太志先生に、法人立ち上げの報告と、今後の「私の運気」の流れに沿っての仕事の進め方について相談に行きました。
「昨年は色々ありすぎて・・・頑張りました!」
相談と言うよりは、私の「昨年の武勇伝」の話題で盛り上がり、その時のことを、浅野先生が、ご自身のブログで紹介していただきました。
「平成」の締めの日のブログに、私のことを書いていただき、とても光栄に思っています。
「命式」は変えられないけど、「運」は自分で調整していける。
これからも、より良く調整できるよう、学び伝えていきたいと思っています。
私の場合は、「金の気」を徹底的に補うことで、自分の「気」を守りました。
色は白色
発酵食品を摂る
車の運転などで「移動」する
勉強をする
人に頼る などなど
鍼治療も良かったです。
そして何よりも、「目標」を定めて達成するための「覚悟」を決めること。
「試練」は最大の「チャンス」となり、「最強の運気」の先には「次のステージ」が待っています。
「どうしても、無性に、じっくり鑑定を受けたくなった」
そう言われて個人鑑定のご予約をされるお客様は、例外なく「最強の運気」が、これからまさにやって来る、そんな時期にお越しくださいます。
「最強の運気」の運気の前には、「最大のピンチ」がやって来るので、その受け止め方をお伝えしています。
「最大のピンチ」は、怖くはありません。
「最大のピンチ」は「これ以上持ちきれない荷物」を、ちょっと厳しく、また、荒々しく、「手放しなさい」と、教えてくれます。
そして、手放すことで身軽になって、「大きな階段」を駆け上がることができるのです。
半分は「変えられない」
半分は「変えられる」
半分しか変えられないと思うのか、半分も変えられると思うのか
それはどっちでも良い些細なこと。
無理に前向きになるよりも、思いっきり後ろ向きになって、「もう無理!」と、とりあえず両手を挙げて「降参」してみる。
まずはそこから。
そうすると、「人(環境)」が「どうしたの?」と声をかけてくれて、思いがけない意外な「ギフト」を差し出してくれます。
「ギフト」を受けっとた時が、「転機」の始まりです。