「欲張りな籠」を持って遊びにいきますね:國吉磨寿美 個展 『墨を磨る』
パソコンを使い始めてから、字を書く機会がぐんと減ってしまっているなと思います。
ただ、あまり字を書くのは、得意ではなく、できれば、キーボードをたたいていた方が性に合う。
しかも、「漢字」が思い浮かばなくなってきて・・・・
ますます字を書くのが遠のいてしまう。
でも、「漢字」には、ちゃんとした「意味」があって、その「意味」を知ると、改めて「言葉」を大切に扱いたいなと思えてきます。
例えば、「知る」
「矢」と「口」を合わせてできたこの「漢字」は、ちゃんと自分の口から、まるで「矢」を放つかのように、バシッと説明できないと、「知る」なんて言うのはおこがましいよ、と言われている気がしてきますね。
だから、伝わらない「知識」は、「知る」とは言えない。
「暦」もすべて「漢字」で表現されています。
「命式」を記入する時には、しっかりと、一つ一つの「字」と向き合いながら、八つの「字」を書き記し、「命式」を完成させなくては。
それが、「命式」に対して、誠意ある態度で向き合うことでもあり、「命式」もきっとそれに応えてくれるのではないかなと思います。
「一日一回、自分の名前を丁寧に書くと良いよ」と、書家である友人の國吉磨寿美さんが、以前私に教えてくれました。
磨寿美さんは、書道教室で指導される時、字が上手く書けるかどうかより、「自分らしく」書けるかを、大切に指導されています。
なんでも、書いた「字」から、その人となりがわかるそうです。
それで、早速、私の書いた字も見てもらったんですが
「もったいない・・・もっと丁寧に!」と言われてしまいました(汗)
その時に、「名前を丁寧に」と言われたのです。
名前は、最初にもらう「ギフト」です。
それは、誕生を喜んでくれ、成長を願って授けられた「ギフト」です。
だから、名前を丁寧に書くと、「ギフト」を大切にすること。そうすると、名前が優しく「応援しているよ」と応えてくれる気持ちになれて、「運気」が上がっていくそうですよ。
「運気」が上がるというか、スムーズにその人らしく、流れるそうです。
「杏香」と名前を入れてもらった一閑張りの籠は、磨寿美さんに作ってもらったものです。(私物です)
この籠が、私のもとにやってきた時のことを、以前ブログに書いています。
もし良かったら、こちらも読んでみてくださいね。☆☆☆
明日から4日間
磨寿美さんの個展が開催されます。
真っ黒な墨で、真っ白な紙に、文字を書く。
それは、決して修正することができない、たった一回限りの作業です。
その、一回限りの「一期一会」の作業の繰り返しで、一つの「文字」が完成します。
磨寿美さんが、紙に向かい書いている「姿」は、周囲を寄せ付けない「気迫」を感じます。それは、普段の彼女とは、全く違う「姿」です。
とても静かで、穏やかで、でも厳しくて、近づけない。
まるで、時間がそこだけ止まっているかのよう。
何かを生み出す時の「元型」とは「気迫」なのかもしれませんね。