「最後に一言」と言われたら、あなたは何と言いますか?:これからの「運のいい人」とは
「今日が、人生最後の日だとしたら、誰にどんな手紙を書き残したいですか?」
お客様から、突然尋ねられました。
いきなりだったので、「なぜですか?」と聞いてみたら
先日、参加したセミナーの中で、講師が参加者に尋ねたそうです。
そして、ふと心に浮かんだ「顔」の中に、「大切にしなくてはいけないはずの人の顔」がなく、その事に気付いた彼女は、本当に大切にしたい人の存在がわかり、心が軽くなった反面、罪悪感も感じてしまったそうです。
自分の心の奥底の「核」と、真正面から向き合うと、罪悪感が芽生えることが多くあります。
人は社会的動物として、「社会」の顔を一番大切にし、それを何とか信じなくてはと、日々「葛藤」しています。
悩みの本質は、「外の自分」と「内の自分」のギャップの「差異」を受け止めることができないから。
その「差異」を受け止め、できる限り「同じ」にするために「戦う」道を進むのか。それとも、「差異」と良しとして、大切に「守る」のか、選択肢は二つしかありません。
やるか、諦めるか
悩みの解決方法は、この二つのうちの、どちらか一つです。
昔昔の大昔、人は「本能」のままに生きていました。
「本能」は、危険を察知して、命を守ってくれる役割を、しっかりと果たしてくれます。
だから、「何となく」感じる「直感」は、大切なものを守るためには、「絶対服従」の感覚です。
全てのものは「進化」します。
人も、進化していきました。
進化すると、たくさんの「物」が必要になってきます。持っていた方が「便利」だからです。
たくさんの「物」を持つための行程は、一人で全て行うよりも、人と「協力」した方が、効率よく進めます。
人は、一つ所に集まり始め、「社会」を形成しました。
「社会」の中にいると、何があっても守ってもらえるので「安全」です。なので「社会」はどんどん「進化」していきます。
全てのものは陰陽のバランスを取ろうとして、常にゆっくりと動いています。
得るものがあれば、同じだけ、失うものもあります。
「社会」の中で折り合いをつけながら生きる事ために、人は「安全」を選びました。
そして、「直感」を手放しました。
「直感」は、そもそもは命を守るための感覚です。「社会」は安全な場所なので、「直感」がなくても、大丈夫です。
それよりも、「枠」の中で生きるには、「枠」の中の人たちが、みんな賛成してくれる方を選んだ方が、無難です。みんなが賛成するためには、「裏ずけ」が必要です。
「安全」の中で必要とされるのは、みんなが賛成する根拠となる「論理」です。
なので、人は、しっかりと考え、意見を求め、「今までこれで成功した」と言われると、その通りに、コツコツやることで、「ご褒美」がもらえました。
しっかりと守ってくれると信じていた「枠」が、ポロポロと、小さな部分から崩れ始め、崩れれば崩れるほど、大切な土台さえも、亀裂が入ってきました。
進化の過程は、「点」から始まり、「面」となり、それから「立体」になっていきます。
「面」だった時には、前に向かって歩いていさえすれば、進めましたが、「立体」はそうはいきません。
足が届かない上に向かって、飛んでみたり、飛べなかったら、何か代わりのものを投げてみたり、様々な方法を試さなくては、行き届かなくなりました。
今までとは、全く違う方法でなければ、太刀打ちできなくなってしまったのです。
「社会」の中で生きるためには、やはり「枠」は必要です。
「枠」がないと、人は野放し状態となってしまい、あっちこっちで面倒なことが起こるからです。
「枠」の条件は、「守ってくれる」こと。
形のない「枠」は、「信じる気持ち」だと思います。
信じていいるからこそ、安心して、そこでゆっくり羽を伸ばせるからです。
形のあるものは、いずれ壊れてしまいます。
でも、形のないものは壊れません。
だから、人を信じて、そして、自分を信じることができたら、案外、今からの方が、楽しく進めるかもしれません。
それは、「直感」と「論理」のバランスを、今までとは違う配分で、組み直すと、必ずできると思っています。
今日が、人生最後の日だったとしたら、どんな手紙を書き残したいか。
せっかくなので、私も考えてみました。
色々と迷惑もかけてしまったけど、でも、信じてくれてありがとう。
そんな手紙を書きたいなと思います。
それから、ちょっと欲張って、自分宛にも。
色々とあったけど、自分を信じて良かったね。
大きな花マルをたくさんつけて、そんな手紙が書けるように、進んでいきたいなと思います。
信じる気持ちは、「自分の中」にあるものなので、誰の指図も受けずに決められるし、誰にも邪魔をされることは、決してありません。