「春」が来た!「辛」が来た!「丑」が来た!:「辛丑」の年は「出産」の年です。
立春が来て、春が巡り始めました。
「冬」から「春」への巡りは、冷たさの中に暖かさが生まれ
固く閉ざされた扉が、少しずつ緩んで、開いていき
暗がりに、光が差し込んできて、それがどんどん広がっていく
これからどうなっていくのかは、まだ分からないけど
でも、これから先に希望を持って、進んでいくしかない。
「芽吹く」時期には、心がザワザワします。
これから「春」の勢いが増していくごとに、ワクワクとザワザワが
どちらも勢いに乗ろうと外向きに流れ始めます。
ワクワクだけでは、あまりにも頼りないから
ザワザワをピリッと効かせたワクワクで、「芽吹き」を感じていきたいと思っています。
「陰」から「陽」への転換が、「現象」として具体的に五感で感じる事ができる様になっていきますね。
希望に満ちた目の前にある「春」を、見つけていきたいですね。
境内は、風はちょっと冷たく感じるけど、すっきりとした空気が流れていました。
お焚き上げの煙の香りも、風と一緒に流れてきます。
花手水
柄杓を使って、手を清めることはできなくても、目にするだけでも、気持ちが清められていきますね。
春の花が、清らかな水いっぱいに咲いています。
清らかな恵の水が、「成長の気」に力を注ぎ込んでいきます。
明るい方へ、花は開いていきます。
「定位置」でお行儀よく、美しく整列していますね。
成長の「木」の気に、「水」の気が注ぎ込まれていく様から生まれる「気」は、これからの可能性は、どんどん広がっていくんだよと、静かに語りかけてくれているように思えてきました。
本殿の前に立つ凛々しい狛犬の様に
今年は胸を張って凛々しくありたいな。
それから、迷ったりもするだろうけど、目の前の「地」に足をつけて、真っ直ぐに前を向いて、一歩を踏み出し続けていこう。
「辛丑」が巡り始めました。
「辛」は「金・陰」の気です。
土の中から掘り起こされた「宝石の原石」を、綺麗に輝くように、磨いていく様です。
磨くとは、「余分な角」や「危険なトゲトゲ」を削り取っていく作業でもあります。
ぽっきりと切ってしまうのではなくて、ゴシゴシと磨くので、時間がかかります。でも、時間をかければかけるほどに、輝きが増していきます。
輝きは、「宝石」によって、明るさも色も見え方も違います。
その「宝石」の特徴が、最大限に活かされる様に、磨いていかなくてはいけません。
だから、「みんな一緒に」とは、いかないのです。
それは少し、孤独で、寂しく感じるかもしれません。
でも、特徴を最大限に活かすためには、目の前の「宝石」に向き合って、しっかりと俯瞰して観察をしなくてはいけないので、周囲の「宝石」に気を取られていては、角も取りきれずに、トゲも削り忘れて、残ってしまうかもしれないですね。
だから、目の前の「課題」について、しっかりと取り組んでいく事が、「吉」となると思います。
周囲の「雑音」からは、少し距離をおきましょう。
「丑」は、雪解けの「土」です。
凍りついた大地が、春の訪れとともに、少しづつ緩んでいき、やがて雪解け水が、冷たい大地に染み渡っていき、やがて、小さな川の流れとなって進んでいき、大地に中に眠っている小さな「種」を起こしていきます。
川の流れになるまでには、時間がかかります。
でも、じっと待っていると、水面下では徐々に「雪解け」が始まっています。
でも、時々、急に凍えるような冬の残りの気が、気まぐれにやってきて、せっかく緩んだ氷を、再び凍らせてしまうこともあります。
行きつ戻りつ、でも、確実に、少しずつ、大地が緩んで、そして、その緩んだ隙間から、小さな芽が、芽吹いていきます。
「辛丑」は、決して華やいだ「景色」ではありません。
どちらかというと、繊細で頼りなげに感じるかもしれません。でも、表面には、決して現れることのない「頑固」な力が宿っていて、決して後戻りはしないのです。
「丑」は「みんなの場所」です。
「みんなのため」でないことは、「土」ではないために、不要な「角」として、削り取られてしまいます。
削り取られて、新しく整地された「土」が、やがて、「いつもの日常」として、みんなの「常識」になっていきます。
「陰」とは、受け入れる「気」ですが、受け入れたものを、再び生み出すサイクルとして動いていきます。
「女性(性)」が「新たな命」を、自らの中から産み出す「出産」は、まさに「陰」のサイクルそのものです。
何が出るかのお楽しみ。とりあえず、「新しい命」に出会うためだけに、「出産」をします。
「命」をかけて、「命」を産み出す。
それは、「次」へと繋げていくために。
「辛丑」は、ちょっと痛いけど、でも、産み出される「可能性」は、「未来」に繋がっていくはずです。
「出産」の「邪魔」はせず、心からの「応援」をしたいですね。
みんなの「応援」が一つになると、どんなに大変な「出産」だったとしても、「新しい命」が無事に産まれてきてくれると思います。