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「心」に向き合うことは、ある意味とても「過酷な試練」でもあります:ウエイト版タロットカード:「ソードの2」

大学では心理学の勉強をしました。

 

「心」を学ぶことは、とても「奥深く」、うっかりすると「深みにハマって」、「出口のないひっそりとした森の奥」に迷い込んでしまったかのような気持ちになる事があります。

 

人は「学ぶ」ことで、「渇望欲求」を満たそうとします。

 

「心」を深く知りたいと思うのは、「自分の心」の中に、「得体の知れないシコリ」があって、その「シコリ」が何なのか、「探求」したいという「欲求」が「学び」の「原動力」になっているのです。

 

 

「シコリ」がない人はいませんが、「学び」を求めている時は、「シコリ」を「解きほぐしたい」と感じているからです。

「解決」するには、「問題点」を見つけて、それをしっかりと「検討」していく「過程」が必要で、「心」の「問題点」と向き合うのは、「だからダメなんじゃない」と言われるようなものなので、心がキュンと切なくなってしまします。

 

 

なので、何事も深く理解するには、「ほどほど」に、少し「よそ見」をすることも、必要だと思っています。

 

 

 

「辛くなったら、教室から出ても良いですよ。単位はちゃんと上げるから大丈夫。」

 

 

「カウンセリング理論」の教授は、いつも授業前に、このように言われていました。

 

「心理学」を学ぶことは、「自分の心理」に深く向き合うことでもあります。

向き合う「準備」ができていなかったり、「向き合いたくない」時には、講義の内容によって、「傷口をえぐられる」痛みを感じてしまうのです。

 

 

教授は、「現場第一主義」の先生で、多くのクライアントさんといつも向き合われています。

時には、「災害現場」や「教育現場」「事件・事故現場」などでは、「待ち」ではなく、「攻め」の対応もされることもあります。

 

なぜ「攻め」が必要なのかというと、

相談したいと思えるのは、まだ、自分で何とか道を開きたいと、「行動」できる「余力」があるから。

本当に心配なのは、「余力」がなくなってしまうほど「追い詰められた」場合や、道を開く「方法」がわからず「選ぶ選択肢」を持っていない、または「選択肢」の存在を「知らない」場合。

そのような場合は、「自己責任」をとるだけの「道具」を持ち備えていないのです。

 

 

なので、私も、「緊急事態」の場合には、「強制力」も必要であると考えています。

 

 

選んでも良いんだ

他の「場所」があるんだ

 

 

そう「信じる」事が出来ると、時間はかかるかも知れませんが、「問題」が少しづつ「動き」始めて、「問題」が「成長」し始めます。

 

 

 

自分の「心」に向き合うことは、自分に「正直」であることです。

 

 

精神科医ジークムント・フロイトは

 

「自分に対してとことん正直になること

それが心身に良い影響を与えるのである」

と、述べています。

 

 

そして、こうも述べています。

「自分に完全に正直でいることは、よい修練になる」

 

 

自分に正直であるがために、「傷つけてしまう人」がいるかも知れません。

自分に正直に向きあうと、「ブラックな自分」の存在も認めなくてはいけなくなります。

 

 

それは、「反対勢力」の存在も認識させられてしまいます。

 

 

皆んなに「良い人」に思われた方が、「認めてもらえている」気がするし、「反対勢力」がいない方が、いつ攻撃を受けるか心配しなくて良いので「楽」です。

何も考えなくても、「そのまま」で、いられるから。

 

 

 

認めたくない「心」は、奥底に閉じ込めて、「封印」した方が、楽です。

 

 

それは、しばしば「ブロック」という言葉で「表現」されます。

 

 

「ブロック」は、「ブロック」しなくては「楽にいられない」から、自ら選んで「封印」している場合もあります。

 

「ブロック」は、自らが、しっかりと向き合って、自らが「鍵を開けたい」気持ちになり、自分自身の手で「鍵」を開ける。

「人」に開けてもらうものではありません。

そして、「開けない方」を選択する方法もあります。

 

「人」は「開けない」事を、非難するかも知れないけど、自分以外の「手」で開けるものではありません。

 

 

心は、とても繊細で儚くて、とても大きな「自分」です。

大切に、とても大切に、自分で守るものです。

 

 

タロットカード小アルカナの「剣」(ソード」は、「理性」「知性」を表現しています。

 

その中で、「ソードの2」は「潜在意識」と「顕在意識」の領域の「狭間」の景色が描かれています。

 

背景の「青」は「木の気」の色。

宇宙の「流れ」は「成長」に向かって動いていることがわかります。

「月」は移ろいます。「成長」も行きつ戻りつ、山あり谷あり、「変化」することを、「形を変える月」が教えてくれています。

 

背後には果てしなく広がる「海」

「海」は「深層心理」を表現しています。

「海」は表面は穏やかでも、「内面」は渦巻いていたり、穏やかだったり。「内側」は、あまりに深く、暗いので、その全てを見通すことは不可能です。

 

手前には「安定した」地面があります。

地面は「顕在意識」を表現しています。

「平」は地面には、障害物もなく、あたりを見渡す事ができます。

 

「海」と「地面」の狭間には、しっかりと、でも飛び越えようと思ったら容易に越えられそうな「高さ」の「しきり」があります。

 

でも、うっかり間違えて飛び越えてしまっては大変なことになるので、「門番」が2本の長い剣を持って、「見張り」をしています。

 

「門番」は「自分」とも解釈できます。

「我が身を律して」うっかり飛び越えないように、「理性」と「知性」を「武器」にして、「狭間」を守っているのです。

 

「現実」を「目」で見てしまうと心が揺れるからか、それとも本当のことは「目」ではなく「心」で感じなくてはわからないので、あえて見ないようにしているのか、しっかりと「目隠し」をしています。

五感の9割は「視覚」で占められています。なので、あえて「それ以外」で「再検討」すると、「思いこみ」からの「見落とし」を防ぐ事ができます。

 

目隠しを外す時が来たら、2本の「剣」を開いて、「海」に向かって歩み始めます。

 

そのタイミングは、「自分」でしか、決める事ができないのです。

 

 

カードリィーディングでは

「今はまだ」

と、読み解きます。

 

それは、準備不足なのか、時間をかけた方がいいのか、待つ方が得策なのかは、その他のカードと、「運気」の流れによって、解釈が異なります。

 

「正位置」で出た場合は、「開く時はまだ」

「逆位置」で出た場合は、「そろそろ開け時」

 

と解釈する事が多いです。

ただ、私は、あまり「位置」は気にしていません。

 

「正位置」にしたいか「逆位置」にしたいか、自分で決める事が出来ると思っています。

 

「正位置」に出て、でも動きたい時には

「勇気と勢いで、思い切って開ける」ことも可能であり

「逆位置」に出て、でも動きなくない時には

「勇気と勢いで、その場から立ち去る」こともできる

 

 

開けたら開けたで、何とかするしかないし

逃げ出すことは「負け」ではなく「作戦」の一つに過ぎないと思います。

 

いずれも、「勇気」と「勢い」が「成功の鍵」を握っています。