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「占い」は、なぜあたるのか:「答え」は既にそこにある

東洋思想は、全てを「流れ」として考えます。つまり、現象や時、空間は全て移ろっていくと捉えています。

よって、基本的には動くことは「吉」であり止まることは「凶」だと解釈をします。

 

 

また、「個人」は大いなる「流れ」の一部分であると考えます。つまり、「個」は単体で存在していくのは不可能であり、常に「流れ」に翻弄されて動かされていくと捉えています。

 

 

「個」は「グループ」(系)の一員として存在しています。

「グループ」に適応した「個」は居心地が良く、「グループ」からの恩恵を授かることが可能です。適応できない場合は、居心地が悪いだけでなく、「グループ」からの圧力(攻撃)を受けることになります。よって「凶」として「個」は認識をします。

 

いかに「グループ」の一員として、最適な「立ち位置」を確保するかが、重要であるとされているのです。

 

 

 

そもそも「流れ」とは、どんなものなのでしょうか。

 

「流れ」とは「状況」です。

そして、それには、3つの「状況」があると言われています。

 

①生

 起点 始まり 原因 はしり

 水の流れが向かってくる(来水)

 勢いがある これから上昇していく

 

②旺

 最も勢いが盛ん 極まっている 流れそのもの

 プロセス さかり 頂点

 これから下降に転じていく 向かう方向が変わる

 

③墓

 終点 到着地点 ルーツ なごり

 水が外に向かって流れ去る(去水)

 結果が出る 集結する 安定 停滞

 動きを止める

 

 

順番は、「生」となり、やがて「旺」となって、「墓」に向かって状況は終わります。

終わった状況は、ゆらゆらと揺らいていき、揺らぎは波を起こします。

そうすると、また、「流れ」が始まって「生」となり、また「旺」へ、それから「墓」へ。これがずっと続きます。

 

 

 

 

そして、東洋思想では、この3つの「流れ」がスムーズであるのが「吉」と考えます。

あるべき「状況」が、順番に、予定通りに進んでいくからです。

これがまさに、全てが「在るべき姿」なのです。

 

 

実は、この「流れ」は、同時に3つそこにあると考えます。

受け皿は「天」と「人」と「地」です。

 

「人」が「旺」の状況であるとき、「生」は「天」、そして、「墓」が「地」。

「天」の恵みが「人」に向かって流れており、それを「人」が最大限活用する。そして、それは「地」へと染み込んでいくことで、安定する。

川上は「天」、そして、「海」が「地」

「人」は水を授かり(来水)、海へと流していく(去水)

 

3つの「状況」は、循環しています。

繋がっているのです。

よって、「生」の中に、去水である「墓」の象徴が潜んでおり、「墓」の中には、最高潮であった「旺」の象徴が名残として残っていると言えます。

 

 

「生」の状況を、より良くしたいと思ったら、既に陰りが出ている事態や、可能性を感じられない物事では、「生」へ適切なバトンが渡せません。

朽ちてしまった木を使って家の土台を作ったら、いつ崩れるかわからないから、その家には安心して住めませんから。

 

「墓」の状況を、最高の形で締めくくりたいと思ったら、最も華やいでいた瞬間の「景色」を大事に伝えていく。そのために「保存」する方法を考える。

素敵な花束をもらったら、その美しさを愛でて、心に焼き付ける。もらった時の嬉しさも、一緒に焼き付ける。画像に残す、スケッチを描くなどなど。

「花」を楽しみ尽くす。

 

 

それから、決して流れを止めない。

次の状況を受け入れる。

なんなら「予測」する。そして「準備」する。

 

 

 

全ては繋がっています。

 

つまり、今の「問いかけ」の中に「答え」があります。

手元にないとしても、3つの受け皿のどこかにあります。

 

 

 

「命式」や「暦」の中に、受け皿を見つけ、「問いかけ」と「答え」を繋ぎ合わせるのが「占い」です。

 

 

なので、占うときは、「具体的」で「建設的」で「発展」に向かう「問いかけ」をしてください。

その質問の「答え」は、きっと、「具体的」で「建設的」で「発展」に向かうものとなるはずです。