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「わたしらしく」とは?:「占い」から導きだせる回答は「3つ」あります

「どんな仕事が向いていますか」

「やりがいがある事が見つからない」

「自分らしく変わりたい」

 

 

鑑定で、そのような「悩み」を口にされる方が多いです。

それら全ての「悩み」を突き詰めてみると、「本当の自分になりたい」という事になるかもしれません。

 

「本当の自分」とは、いったい本当に本当の自分なのか。

「本当の自分」だといったい誰が決めるのか。

突き詰めていけばいくほど、「深み」にはまっていき、永遠に「自分探しループ」から抜け出せなくなっていきます。

 

 

人は、存在を認めるためには、常に二つのものを比較して、そのものがそこに「在る」と初めて認識できます。

 

例えば、「痛み」を感じるからこそ、「痛くない」状態を知ることができる。「辛い経験」を体験して、それを乗り越えた先に「幸せの時」を知ることができる。

 

 

ただし、「わたしとは」問題に関しては、比較対象となるものが、たいていは外の「他人」となっている場合がほとんどです。

そうなると、そもそも比べるもの同志は、全く関係のない「両者」、つまり、ステージそのものが違うため、そもそも比べようがない。よって、「わたしとは」問題の、問いそのものに誤りがある事になります。

「わたし」と「わたし」との比較な中で浮かび上がってきて、見えてくるものが「わたし」です。

 

 

でも、やっぱり「わたしとは」問題は、人にとってはハマる問題で、深く考えるほどに、抜けられなくなる面白い課題でもあります。

 

「自己」とは何か

 

これを語る先人たちは、「哲学」や「心理学」や「倫理」や「正義」など、「学問」としても向き合ってきました。

それは、今もずっと、「考察」や「議論」が続いています。

 

 

「占い」も、「わたしとは」問題に向き合って、様々な「占術」を発展させてきました。

 

だから、皆んな「占い」が、好きで、たとえ好きではなくても、興味があって、ずっと「占い」が存在しているのでしょうね。

 

 

ちなみに、最初の質問に戻りますが

 

「どんな仕事が向いていますか」については

今、滞りなく仕事が出来ているのであれば「向いている」

失敗ばかり続くのであれば、向き不向きより先に、なぜ失敗するのか考えて、やり方を変える。やり方を変えて失敗しなくなれば、「向いている」

 

「やりがいがある事が見つからない」については

「やりがい」とは「感情」であって「事」ではない。なので、探して見つかるものではそもそもない。やり続けていて、困難を乗り越えた時に、初めて感じる事ができる感情なので、今やるべき事に、全力で向き合っていくといずれ感じる事ができる。

 

「自分らしく変わりたい」については

今でも十分「自分らしい」。それは、今よりももっと良くなりたいと感じているので、「自分」の「今」を見ている事になる。また、「変わりたい」と思うのであれば、自分が動くこと。周囲に動かされることは、周囲の都合の良いように動かされることなので、アテにはしない方が無難。まず「今」の何が納得いかないのかを、具体的にイメージしてみて、果たしてそれを改善する必要があるのかを検討してみる。

「変わる」とは「今」を捨てることなので、捨てる「覚悟」が持てないうちは、現状維持で。

 

 

こんな感じになります。

 

 

「占い」での「わたしとは」問題の回答は、3つのパターンがあります。

 

まず一つ目は、「命式」または「ホロスコープ」を知る。

生まれた日に巡っていた「気」の「景色」は、その人の「景色」でもあります。

それを分析すると「わたし」の「景色」を見ることができます。

これは「点のわたし」

 

 

二つ目は巡る「気」と「点のわたし」との関係性を知る。

運気の流れを知ることで、「今作られているわたし」を知ることができます。

「わたし」は動いている「巡り」の中にいるので、「わたし」も動かされています。つまり、日々変わりゆく「巡り」とともに「進化」していく「わたし」も、紛れもなく「わたし」です。

これは「線のわたし」

 

最後の三つ目は「大運」などの「サイクル」との関係性を知る。

四柱推命には、10 年に一つづつ変わる、その人だけの「大運」があります。「大運」は、社会的な「わたし」の長い歴史です。通常は、運気を鑑定する時には、その人の「日柱」から読み解きますが、大運は、「月柱」が基準となります。「月柱」は「社会運」の基準となる部分です。

占星術では、約30年毎の「サターンリターン」や、太陽や月が生まれたサインに戻る時期などで読み解きます。

これは「面のわたし」

 

 

「占い」から導き出される回答は、この3つのパターンの掛け合わせです。

 

 

「点のわたし」は、ずっと変わらないけど、「線のわたし」と「面のわたし」は「進化」していくので、結局「わたし」も、変わっていき「進化」して、その「進化」の過程が、自分の「物語」となります。

 

強いていうならば、その「物語」の語り手が「わたし」に当たるのかもしれませんね。

 

 

どんな「物語」が良いのかは、その人の立場や環境によっても違います。でも、色んな「事件」があって、それを果敢に挑んで解決するとか、皆んなが無理だよと言っても、それでも頑張ってやってみて、例え、やっぱり出来なかったとしても、やり切った清々しさを感じたり、いろいろあった方が、楽しそうだし、語る時も、活き活きと語れそう。

 

 

「わたしとは」に、こだわり過ぎて、たった一つの「答え」を出そうとすればするほど、それは、固まってしまうことで、巡りをとめて流れに逆らってしまうこと。

 

「さあ! どうする、わたし!?」

 

そう問いながら進んでいれば、それは「わたし」そのものだと思います。

なので、いろいろあった一日を、無事やり過ごせたら、それでもう十分です。「わたしらしく」進んでいますよ。