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2021年は土の中から生まれた「宝石の原石」を磨く年です:「辛」(金・陰):「陰」の気との向き合い方

暦は節分から変わるので、2021年の干支は、節分から巡り始めるのですが

でも、気分は既にもう変わっていて、2021年の暦で動きたい。

 

気は常に動いているので、「少し前」を意識して、気持ちは「少し前」を向いて、ちょっとだけ「前のめり」でいた方が、運気の流れに乗りやすいですよね。

 

「幸運の天使には前髪しかない」と言われているように、先走ってはダメだけど、「いつでも走れますから!」と自信を持って言えるように、「筋肉」を温めておきましょう。

 

 

なので、お正月から節分までの期間は、「移行期」にもあたります。

2020年の「庚」(かのえ)が、2021年の「辛」(かのと)に、今からバトンを渡します。

 

 

 

「庚」と「辛」は、どちらも五行の「金」です。

「庚」が「金・陽」で、「辛」が「金・陰」です。

 

五行の巡りは、いつも「陽」から「陰」へとバトンが渡ります。

 

「陽」とは、外向きに動く気です。

物を動かすので、外に影響を与えます。

一方で「陰」は、内向きに取り込む気です。

物を動かしません。内に影響を与えます。

 

「陽」と「陰」とを比べた時に、「陽の方が良い感じ」だと感じる方がとても多いんです。

それは、「陽」の方がわかりやすくて、華やかで、右肩上がりで、発展していくイメージが浮かぶから、かもしれませんね。

 

「陰」は、なんとなく暗い感じがするし、そもそも「陰気」だし。。。。

何も動かないんだったら、何も始まらなくて、なんだか地味。

そんな感じに思ってしまいますよね。

 

 

そもそも、そんな感じに思ってしまうのは、「陰」を「陽視線」で考えているからです。

「陰」とは、受け入れる気で、奥深く染み渡り、交じり合い、全てを包み込もうとします。

それから、「陰」は、獲得するものではなくて、もうすでに「そこに在る」もの。

「そこに在る」ものが、受け入れられ、奥深く染み渡り、交じり合い、全てを包み込んでくれます。

 

「そこに在る」ことに、気がつけるかどうか。

ますは、そこから。

 

節分までの期間は、「陰」に気が付く時期として、自分の「内」を感じてみると良いですね。

 

 

「辛」は、まるで「宝石の原石」のような気です。

 

「辛」は磨かれて、輝きを増していきます。

その原石に合った磨き方ができるかどうかが大切です。

「金」は硬く閉じた気なので、他者との間には、はっきりとした境界線があります。

「皆んなと同じ」ではなくて、「わたしはわたし」で在る事が「金」の気の時期には求められていきます。

 

「わたし」が「わたしの原石」を、黙々と磨き上げていく。もしかしたら、「環境」や「皆んな」の手も加わってくるかもしれません。

他の人の手が加わるのを許すのか、許さないのかは、自分で決めます。

自分の持ち物の管理は、自分でしなくてはいけません。だから、判断は自分でする。人には委ねない。

 

 

そして、「わたしの宝石」が輝きを増していき、「皆んな」の「感情」に影響を与えていきます。

人は「感情」で動くので、影響を受けた「皆んな」が動いていき、その動きが広がって、「わたし」をも動かすことになっていきます。

 

 

 

もしかしたら、とてつもなく大きな「応援」かもしれないし、心から嬉しくなる「励まし」や「称賛」かもしれません。

逆に、ネガティブな場合だと、押しつぶされそうな「反発」の圧力になってしまうかもしれない。

 

「わたし」たった一人が、受け止められる「器」は限られているので、できればポジティブなものだけで、その「器」を満たしていたい。

だから、「皆んな」の「感情」が、できるだけポジティブになってもらえるような、輝きを放っていく。

 

 

「わたし」しかできない事や、「わたし」が得意な事、かつ、それを見た人がポジティブになってもらえること。

それを粛々と行なっていく、極めていく。

または、磨かれていく。

 

 

2021年「辛」は、「輝くわたし」を、お披露目する年です。

 

 

 

「わたしの原石」が、見つからないからと言って、決して外に探しに行かないでください。外にはありません。

 

「金」は「土」に育まれて成長していきます。

「土」とは「自分軸」。自分の中心に宿る気です。

 

いつもやっている事、何となく続いている事、頑張っているつもりはないけど何故か出来ていて、人から「やって」と頼まれること、小さい頃から好きだった事、やっていると時間を忘れて没頭すること、いつも持ち歩いているもの、勝ち負けが気にならずマイペースでやっていること、やりたくてやっている事、なぜやりたいのか解っていること、やると自分が納得できること、やった結果は気になら無いこと、損得勘定でなくやっている事、人が何と言ってもやっていたいこと。

つまり、いつもの「日常」そのものが、「わたし」です。

「原石」を磨くとは、「日常」を磨くことです。

水を飲んだりご飯を食べたりするのと同じ「レベル」のことです。

だから、探しても見つからないんです。

 

 

「土」を掘り起こして、その中に潜んでいる「原石」を取り出すように

「日常」を掘り起こしてみましょうね。

 

 

 

もしも「土」があまりにも固く厚くなっていたら・・・。

掘り起こすのも容易ではないですね。

 

「わたし」が埋もれるほどに、自信が持てなくなった状態は、「わたし」が「土」に埋もれてしまっています。

 

「土」は「木」の根っこが蔓延ると、徐々に解けていけるのですが、あまりにも頑なになってしまうと、流石の根っこも蔓延ることが難しくなってしまいます。

「木」は好奇心溢れた「成長」の気ではあるんですが、「土」に埋もれてしまっているのに、「がんばれ」とか「上を見ろ」と言われても、そんな気分になれるはずもありません。

 

 

 

そんな時には、「水」の出番です。

「水」は「土」によって堰き止められてしまいますが(土剋水)、いつもかつも絶対に、どんな時でもそうなのかと言うと、答えは「ノー」です。

行き過ぎた「偏り」は、真逆の「偏り」に反転します。

つまり、「土」がどんなに「水」を攻撃しても、「水」がとても強くなった場合には、土嚢を乗り越える水流となって、土嚢もろとも流し去ってしまいます。

 

気の調整を考える時には、このように「例外」が多発するために、難しいし、だから面白いんですが、長い目でみたら、それは「バランスをとる」ためには、至極当然とも言えます。

 

 

「土」の中に「水」が染み込んで、「土」は、内側から和らいでいきます。

 

2020年、数えきれないほどの多くの嘆きや悲しみの「涙」が流れました。そして、それは今もなを、流れ続けています。

2020年、数えきれないほどの多くの人々が「汗」を流しながら戦いました。そして、それは今もなを、流れ続けています。

 

多くの「涙」や「汗」は、「決まり事」や「慣習」や「日常」を、内側から和らげて、緩めて、そして、流し去っていきました。

崩れるなんて思ってもみなかった、強固な土嚢までも、濁流には敵わなくて、儚く流れ去っていきました。

 

でも、「土」の奥底に潜んでいた「原石」が、ついに顔を出すことができるのです。

2020年は「子」の「水」が多く流れましたが

2021年は「丑」の「土」が堰き止めてくれます。

 

 

本当に、大きな「変革」が起こる時、それは、「内側」から始まります。

 

 

「涙」や「汗」が、固くて重くて、動かない「土」を和らげてくれたから

「土」の中から生まれたばかりの「原石」を磨いていきましょう。

「陽視線」ではなくて「陰視線」から、物事を見てみると、今年にぴったりの、磨き方が見えてくるはずです。

 

 

たった一人の光が、やがて皆んなの感情のスイッチを入れていきます。

だから「涙」や「汗」を、決して無駄にはしないように、喜んでもらえるように、磨いていきたいですね。