神はサイコロを振らない:タロットカードの私の解釈「運命の輪」
もしも、先の事が全て分かっていたとしたら
もしも、自分の思い通りにしか出来事が起こらないとしたら
果たして、幸せに過ごしていけるのだろうか。
先が見えない不安でいっぱいになった時に、いつも考えてしまいます。
もしも、時間を戻せるとしたら、いつに戻るのが一番良いのか、
その時間に戻って、もう一度やり直せたら、その後は幸せに過ごしていけるのだろうか。
結局、どうなったとしても、もっとこうなれば幸せになれるかもと、堂々巡りになるに違いない。
自分に言い聞かせて、とりあえず受け入れるのが一番得策だと思うのです。
どうせわからないんだから、起きるかどうかわからない嫌なことを想像して嫌な気分になるよりも、起こるかもしれない嬉しい事を想像して、楽しい気分になる方が、お得な人生を送っていけると思います。
「運命の輪」
「転機」「チャンス」「運命が動き始める」
運命の輪の周りには、獅子、牡牛、鷲、人間、エジプトの神々や魔物、蛇、スフィンクスが取り囲んでいます。
それは、輪がスムーズに回ることを見守っているようでもあり、イタズラを仕掛けたいと狙っているようでもあります。
運命とは、いかにいろいろなものの影響を受けて巡っているのかを「運命の輪」のカードは示しています。
それは、人が影響を及ぼすことができないレベルなので、運命に身を委ねるしかない、と、解釈することができます。
タロットを勉強し始めた頃は、私もこんな風に解釈をしていました。
最近、その解釈に、違和感を感じ始めたのです。
実は、運気の流れは規則的です。
木火土金水の外側の気と、十二支の内側の気の組み合わせが、順番に規則正しく巡ります。
万年暦を読むたびに
「神はサイコロを振らない」
自然界の物理には明確な法則があると主張した、アインシュタインの言葉を思い出します。
十干支と十二支は、これまでも、これからも、規則正しく、巡ります。
暦の巡る順番を変えることはできないけど、暦は「景色」でしかないので、どこを意識して見るのか、感じるのかは自分で決めることができます。
自分で決める自由だけは、たとえ神であろうとも邪魔することはできません。
「景色」は選択できないけど、「切り取る景色」は選択できます。
「運命の輪」は、自分で回すことができるのではないかと感じています。