物事が動くとき「内側」から動き始める:十二支の「景色」:「気」を意識すると「進化」の扉が開く
「暦」は「上下二層構造」です。
上の部分は
「木(甲・乙)」 「火(丙・丁)」
「土(戊・己)」 「金(庚・辛)」
「水(壬・癸)」
これらを「十干支」と呼びます。
十干支は、「見える景色」を示します。
下の部分は
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
おなじみの十二支です。
十二支は、「見えない景色(思い)」を示します。
見えない景色とは、方位、時、それから、「人となり」も示します。
お誕生日から導き出される八文字の「命式」の、十二支は、その人の考え方や、大切にしたいもの、好きなもの、なども感じることができます。
「命式」の鑑定では、十二支を十分に感じて、それを十干支を見て、どの様に外に向かって出しているのか、または、どの様に出すことで、「自分らしく」納得のいく方法で出していけるのかを読み解いていきます。
人は、「見えない気」を基準にして、「見えないもの」を「見える形」として、外に向かって放出しているのです。
十二支にまつわる「ことわざ」や「言い伝え」を調べてみると、それぞれの「見えない気」を、とても的確に「言葉」にしていて、とても面白いです。
昔の人の「感覚」は、素晴らしいと思います。
その中で、「ツボ」にハマった、「子」に関することわざがあります。
家を破る鼠(ねずみ)は、家から出る
家や国など、「規制のもの」を破滅させるものは、「外からのもの」ではなく「内からのもの」だという意味です。
どちらかというと、「ネガティブ」(破滅)な意味で使われることが多いですが、物事すべて「現状維持」はあり得ません。
「変わる」ためには、「外」からやってくるものに「期待」しても無駄で、結局は「自分(内)」の行動が全てである。
また、本当の「敵」は「内側」にいる。
それは「内側」の事を熟知しているので、「手の内」を把握されていて、「弱点」を見事に突いてくるからです。
「内側」とどう向き合うか。
この「ことわざ」は、その事を教えてくれます。
十二支の一番手は「子(ねずみ)」
「子」は「水」の気を宿しています。
「変わる」ためには、「水」に流す。
流されてしまうとも言えますが、「なかった事に」させられて、「手放して」また、「奪われて」「壊れて」こそ、新しい「芽」が出せます。
「失う」のは悲しいけど、「失わず」して変わることは、「根っこ」はそのままの状態なので、再び「同じ芽」が出る事になります。
「変革」は「内側」から
やはり「自分」が変わるしかありません。
「見えないもの」は「見えるもの」に例えると、想像しやすくなります。
「自分」と「社会」の関係性は、「夏みかん寒天」みたいかなと思っています。
内側の寒天が「自分」
外側の果皮が「自分」と「環境」を合わせてできた「キャラクター」
それが、「与えられた」お皿(環境)にのって、自分の意思とは無関係に盛り付けられている。
そんな感じだと思っています。
「外」と距離を置きたい時には、果皮の蓋をしっかりと閉じて、「ガード」をします。そうすると、「外敵」の攻撃は受けないけど、せっかくの「いい香り」や「綺麗な色」は、誰の目にも触れなくて、せっかくの「ウリ」を披露することができなくなってしまいます。
思い切って「切って」みると、「いい香り」が広がって、「綺麗な色」が見えるので、みんんが「これ良いね」と言ってくれます。
でも中には、「酸っぱいの嫌い」とか「寒天よりおまんじゅうが好き」と言う人もいますが、そんな人には「別の好きなもの」の所に行ってもらえば良いのです。
「お皿」が気に入らなかったとしても、「中身の味」には関係ありません。
「お皿」はその時の「旬」の「求められている」形なので、素直に受け入れていた方が「楽チン」です。
「お皿」にも「良い所」があるので、そこをしっかりと見ていると、「なんだかこれも良いかな」と思えてきます。
「果皮」は天候や日照時間などに影響を受けるので、「自分」だけではどうしようもありません。
でも、「夏みかん」には変わりないので、あまり小さな「シミ」を気にするよりも、「全体的」に「夏みかん」に見えていたら「良し」とするしかありません。
「良い香り」は、お部屋中広がって、みんなを笑顔にしていくのです。
そして「美味しくできた寒天」は、食べた人の心をウキウキさせてあげられます。
コーチング創始者である、ルー・タイス氏は
「全ての重要な変化は、人間の心の中で生まれて、外に広がる」
と、述べています。
彼は、特に「無意識」に行っている「行動」に注目していて、無意識のうちに行う「習慣」を変える事を提唱しています。
「習慣」は、例えば、いつも使っている「言葉」や、いつも考える方向性「クセ」など。それらを「意識して」変えていくと、いずれ、意識せずにできる様になって、「内側からの変化」が起こります。
人は社会的動物なので、「社会」の影響を常に受けています。
「社会」と「自分」を比較して、「選択」したり「思想」を決定していきます。
「意識」して「行動」する事とは、「周りの目を気にして」いる状態なので、「主語」が「社会」です。
みんなに嫌われないように
みんなに迷惑をかけないように
そんな感じで「考え」た結果、動いていることです。
「夏みかん寒天」で例えるならば、「果皮」の部分。
「外」を意識せずに選ぶものが「内なる自分(寒天の部分)」です。
それは五感で選んでいるもの。
なんか良く分からないけど惹かれる
なんとなくいつも手にとっている
これがあると心がほっこりして安心
その気持ちを大切に、しっかりと感じて「守る」と、「内なる自分」が喜んでくれて、「もっと充実させよう」「もっと素敵にしていこう」と声をかけてくれます。
その「声」は耳できく「音」ではなく、「肌」で感じる「感触」です。
その「感触」を受け止める。
そして「果皮」を思いっきり「切る」ように、「表現」していく。
「全員」が良いねとは言ってくれなくても、とっても優しくて、そして穏やかに笑顔を向けてくれる人、そんな人を大切にしていくことが、「自分らしく」生きることだと思います。
すべての「進化」は「内」から。