夢を叶える人と叶えられない人の決定的な違い:「運が良い人」はきっとこんな感じ
「右」を取るべきか。
「左」を選ぶべきか。
どちらを選ぶ方がいいのか、悩むところではありますが、日々の生活そのものが「選択」の連続です。
「選べない人」は、普段から、「選ばない生活」をしていて、選ぶことに慣れていないので、練習不足で、いざという時に迷ってしまいます。
本当に大切なことは、「選ぶ」ことより、「決める」ことです。
自分の「方向性」が定まっている人は、選びません。
「方向性」が既に決まっているから、選ぶ必要はなく、「どうやってやろうか」と、常に「タイミング」を見計らっています。
自分の「役割」に沿って進んでいる人は、それを達成するための不思議な「後押し」があります。
もっとも適したタイミングに、もっとも適した決断ができる「出来事」が、示し合わせたようにやってくるのです。
「世の中が喜ぶ役割」に向けて「成長」する人は、「世の中」が応援してくれます。
なので、シンクロは起きて当然だと思っています。
私が、鑑定で行なっている「選ぶための作戦」は
<その1> と <その2> の二つがあります。
まずは <その1>
それは、ポジティブ作戦です。
「選べない人は、十二単を着て、障害物競走を走っていると思ってください」
と、お話しています。
選べない人は「ズルズル」引きずっているからです。
「ズルズル」の正体は、「できるかどうかの不安」とか「どっちが楽に成功するか」とか「他の人はどう思うだろう」とか、あれこれたくさんあるので、結論の出ないことばかりです。
そんな状態で、決まるはずもなく、だから結局「人に決めてもらいたい」と、決めることを「他人」に委ねてしまうのです。
そんな時、十二単を着て、一生懸命走って、跳び箱を跳ぼうとして跳び箱から落ちる姿や、網に着物が引っ掛かって、まるで「地引網に捕らえられた人魚」のようになっている姿を想像すると、「クスッ」と笑えてきます。
「人」の感情は、同時に二つの相反する感情を抱くことはできません。
ネガティブな気持ちでは、ネガティブな決断をしてしまいます。
クスッと笑えたら、ポジティブになれるので、決断は笑った後に、仕切り直して、「再検討」をします。
ポジティブな気持ちで検討すると、「こっちの方が楽しそう」が見えてきます。
心が喜ぶことが、「自分の役割」です。
ポジティブ作戦が失敗に終わったら、すかさず、<その2>に移ります。
<その2> は、ネガティブ作戦です。
「右」を失ったとしたら、どんな気持ちがするか。
「左」を失ったとしたら、どんな気持ちがするか。
一度失ってしまったら、もう二度と、巡り会うことができないという設定で、しっかりと「別れ」を感じてもらいます。
大切なものは、失って気づきます。
失って、悲しくて、立ち直れないほど辛いもの
それは、誰がなんと言おうが、自分にとって「手放してはいけない」とても大切な宝物です。
大切な宝物は、そこにあるだけで、それで十分です。
「失いたくないもの」にしっかりと向き合うと、選ぶ決断ができます。
ポジティブ作戦でも、ネガティブ作戦でも、決まらなかった場合は、「とりあえず保留」という荒技で決めます。
何が良いのか、何が嫌なのか、自分でわからない限り、「決定」することはできないし、それは、決める時期ではないと思うからです。
自分で手に入れた幸福は、たとえどんなに分量が少なくても、心に生じる快感は絶大なものだ。
本多静六
「人」は決定権を持つものに対して、責任の所在を求めます。
自分で決めたことは、自分で責任を取ろうとする心理が働くのです。
逆に言えば、自分で決めていない事に対しては、自分で責任を取ろうとしないので、上手くいかなくなったら「他人」や「環境」に責任を取ってもらおうと、「責任転嫁」をします。
物事を成し遂げるには、たくさんの「課題」に、全力で取り組まなければいけません。
それには、辛いことや、悔しいこともたくさんあります。
「責任転嫁」をしていては、「課題」に取り組むことはできません。
なので、決めることができない人は、どちらを選んだとしても、結果を出すことはできません。
「覚悟」がないと、「結果」はでないのです。
夢を叶える人は、まるで「体操服で、障害物競走を全力で走っている」かのように、軽やかな人です。
「ズルズル」では、夢は叶いません。