占い師は自分のことを占いで決めていますか?:答えは「イエス」時々「ノー」です。
「占い師さんって、自分のことを占うんですか?」
と、時々聞かれます。
答えは、「イエス」でもあり、「ノー」でもあります。
暦や天体の運行などは、日々チェックしています。
それを元にして、計画を立てたりもします。
ただし、厳密にしっかりとではなくて、流れに乗せていく感じです。だから、気が付いたら軌道修正をしていることも多々あります。
自分を占う方法は、まず、大きな流れを観ます。
大きな流れの「軸」は「大運」で、「この10年はこんな感じで行けたらいいな」とイメージを掴むのです。
それから、「年運」を観ます。
「年運」は、細切れに観るのではなくて、「10年」の進化の過程の中で、今年の「年運」はどの位置にあるのかを観ていきます。
例えば、「土台を築く」立ち位置であれば、「学びを深めていこう」とか「できない事を助けてくれる人を探してみよう」という感じです。
そして、「年運」の立ち位置を把握したら、次は「月運」です。
「月運」は、具体的な行動のイメージを立てるのに使います。
例えば、今月は資料を集めて、来月あたり申し込みをしてみようかな、という感じです。
「日運」については、あまり意識はしていません。
できる時が、最もベストなタイミングなのだと思っているからです。
ただし、自分で操作できることで、何かを始める(特に仕事関係で)時には、参考にしています。
「当たる」かどうかはさておき、やはり、流れに乗せていくと、やはり、スムーズに動けていると感じています。
実際の鑑定も、私の場合は、この流れで行っています。
暦や天体の運行は、私の都合では、動かすことはできません。
解釈についても、右から来る運を、私の都合で左から来るなんて、勝手に変えることはできないし、やはり、「基本」を崩してはいけないと考えています。
と、ここまでは、自信を持って自分の事でも、占うと言えるんですが・・・・
やはり、人は、欲張りで、なんでもかんでも、いつでもどこでも、常に「ラッキー」でいたいと思うもの。
もちろん、私もその一人。
ここからは、「鑑定」が自分よがりになっていくんですが・・・
「手相」は、手の「景色」を観ていく占術です。
「手相」は、未来予想をしているのではなく、今までの自分の運の使い方が、自分らしくできているのかを、紐解いていく占術になります。
つまり、「未来」はわからない。
となると。。。。
「良い未来」を見つけたい願望が首をもたげてくるのです。
「手相」を観るときには、そのまま手のひらを見てももちろん構わないですが、微妙な光の違いや、自分の視力にも左右されます。
例えば、明るい昼間の部屋で見るのと、夜に目が疲れていて、蛍光灯の下で見るのとでは、当然見え方が変わってしまうのです。
だから、おすすめは、「白黒コピー」です。
「カラー」ではありません。「白黒」で十分です。と言うより、「白黒」の方が、陰陽の加減が写るので、ぜひ「白黒」で観てくださいね。
コピーを眺めていると、なんとなく、流れに乗れているのかを感じることができます。綺麗に「線」が伸びていて、細かい余分な「線」がなく、しっかりと「陰影」が写っている場合は、とても綺麗に見えます。
その場合は「良し」、そうでなければ、疲れているので、ちょっと休憩しなくては・・・と観ることができます。
ただし、そこから、「未来」に関しては、なんとか上手くいくように、「良いところ」ばかり探してしまって、どうしても解釈が偏ってしまうのです。
だから、「占い」としては、当てにはならないかなと思っています。
自分のことが、全くもって観られないのは「タロットカード」です。(占い師さんによっては、自分のことも観られる人もいらっしゃいます)
「タロットカード」の一枚には、全ての「景色」が詰め込まれています。つまり、「なんでもあり」なのです。
ただし、鑑定のときには、「なぜか気になる箇所」が目に飛び込んできて、そこからイメージできる「景色」が、鑑定で求められている「景色」です。
数枚のカードを引く場合は、どれだけたくさんのカードを並べていようとも、「キーカード」があります。だから、全部のカードの全ての解釈は不要なのです。「キーカード」は、その時によって違いますが、一枚の場合もあれば、2〜3枚の場合もあります。3枚以上のことはありません。(これも私の場合ですが)
その他のカードは、全く必要はないのかというと、そうではありません。「キーカード」をサポートしていたり、分かりやするための案内をしていたり、彩を加えてくれる意味を持っています。
個人的な私利私欲がいっぱいの状態でカードを観ると、まず「キーカード」が手を挙げてくれません。
本当に手を挙げるのはないんですが笑。
どうしても、ピンとこないのです。
しかも、どのカードも、どれも皆んな「絶対大丈夫!!!」と無責任に言ってくるようで、冷静に観ることができないのです。
例えば、「運命の輪」の場合
「突然起こるハプニング」を意味しているのですが、これは絶対すごいラッキーなことが降ってくると、どうしても思いたい!
間違っても、急に足元の床が抜け落ちてしまう・・・なんてことは起こってほしくないから、それは「却下」となってしまいます。笑
だから、自分のことは占えないどころか、自分勝手に解釈をねじ曲げてしまうから、「ノー」ですね。
「アストロダイス」を買いました。
これは、3つのサイコロを振って、出た目を組み合わせて解釈をしていく「一期一会」の運を観るために使います。
サイコロには、12個の「惑星」と、12個の「サイン(星座)」と12個の「ハウス(数字)」が刻まれています。
これを、質問をしながら、コロコロと転がします。
楽しいお遊びみたいに感じですが、これがけっこう「当たる」のです。
ただし、やはり、私利私欲いっぱいの私は、同じ質問で、気に入ったものが出るまで、何度もコロコロしてしまいましたが。
そもそも「占い」とは何だろう。
「占い」って必要なものなの?
時々、こんな考えがふと浮かんできます。
鑑定を受けてくださった方々の、「その後」を全て、把握できるわけでもないので、本当に私が占うことで、役に立てているのか、心配になることがあるのです。
「占い」とは、目には見えない「気」を、今どんな状態で、これからどんな感じで動いて行きそうなのかを伝えていくものです。
見えないものを、五行に置き換えたり、惑星に見立てたり、カードの中の絵柄に探し出していきます。
人は、自分が望んでいるように、物事を見ようとします。
もしも、望んでいるものが、本当は自分の望みではなかったり、タイミングが合っていなかったりすると、やはり、どこかに「しこり」のような思いを宿してしまいます。
その「しこり」が何かを知るために、「占い」を受けてみるのも良いかもしれませんね。
もしも、カードを観たとき、全てを思い通りに解釈したくなる時は、タイミング無視で、無理矢理なんとかしようとしているときです。
思い通りに解釈したくても、やはり、ネガティブな箇所は目に留まるのです。それさえも、「封印」してしまおうを画策しているから。行動もそうなっている可能性が高いです。
それとは逆に、カードを観たとき、ネガティブな箇所を真摯に受け止めて、これからどうしたら良いのか対策を考えるのは、運が上がっていく兆しです。
できれば、楽しく面白い対策で、上がって行きたいですね。
「占い」に、全ての決定を委ねてしまうのは「危険」だと思いますが
楽しく面白く使うには、適したものだと考えています。