今日もとりあえず「よきかなよきかな」と言える日にしてみよう:どうして「素直」な人は運が良いのか:運の良い人は「よきかな」と自分に言う人
まるで嵐のような夜が明け
今朝は青い空が広がりました。
昨日は、15日参りに行こうかなと思っていたけど
気温も低く、お天気も不安定で・・・・・
そんな感じで、「出来ない理由」を探し始め、結局
「15日は、来月もあるし」
と、取りやめて、サロンで雑務をこなしました。
「出来ない理由」を探す時は、やりたくないからで、やらない事に対する罪悪感を払拭するために、あれこれと思考を巡らせている時です。
つまり、「気」が乗らない、「気」が進まない。
自らの「気」が、ギクシャクしている感じ。
そんな感じで、だらだらしていたら、空が真っ暗になり、冷たい雨が降り始め、「お天気が、今日は行かない方が良い」と言っているに違いないと、「悪天候」が印籠になってくれました。
ある意味、お天気が味方してくれたとも言えるかもしれません。
今朝はいいお天気
「15日参り」ではなく「16日参り」に、気持ちも新たに、産土神社へ。
「15日参り」は、1ヶ月の中間報告
3月の「修正」ポイントと、4月に向けての「方向性」の確認のため。
手を合わせる事で、自分に向き合い、確認をする事で、小さな「軌道修正」ができます。
日々慌ただしく過ごしていると、1ヶ月はあっという間に過ぎていきます。
「区切り」を意識して、物事を進める。
それは、日々メンテナンスをしていること。
物事は、大きくなって、広がっていくから、同時に、固めて、小さくしていく作業は、陰陽のバランスをとってくれるので「安定」します。
さすがの「流れ」を意識した「対応」
「大安」のよき日
結婚式が執り行われていました。
末永くお幸せに
境内には、隣接する保育園の園児たちがいっぱい。
なぜかと言うと、花嫁さんは、その保育園の先生だそうで
子供たちが
先生きれい!
おめでとう!
と、大きな声で、お祝いの言葉を口にしていました。
子供は、陽の気の塊
お祝い事も、陽の気の塊
今日の神社は「陽」の気が溢れていて
1日遅れの「15日参り」、もとい「16日参り」は
私にたくさんの「陽の気」をプレゼントしてくれました。
<よきかなよきかな>
運が良い人は、素直です。
自分の気持ちに素直に、正直に向き合う人です。
どんなに「占い」で、こっちの方が良い、と言われたとしても、また、こっちに行かないと大変な事になる、と、言われたとしても
いい意味で、人の言うことを聞かずに、自ら決断をします。
それは、どんな時でも。いつも、小さなことでも。全て。
「占い」は、エビデンスがあるものではなく、多くの先人の智慧の集まりで、「形」のないものです。
なので、どこを「切り取る」のかは、本人次第。
例えば、ヨーグルトが腸活に良いからと言われていても、ヨーグルトが体質的に合わない人もいるし、ヨーグルトの菌によっても、相性があります。
なので、自分で選んで、食べて、体験するしかありません。
運が良い人は、自分の「目的」がしっかりとあって
「目的」の先に「目標」が待っていてくれる。
もしも、「目標」を、自ら決められない環境にあったとしても、「目的」は自ら決められます。
小さな「目的」が達成するたびに「よきかなよきかな」と、自分に話しかける。
「よきかな」は、気をメンテナンスしてくれる言葉。
メンテナンスしている「気」は、メンテナンスしている車のように、サクサク身軽に動きます。
起こる出来事は、「気」の動きの「景色」
「気」が動くから、「物事」が動きます。