「試練」と「苦労」:「運が良い人」はきっとこんな人
仕事を始める前に、時間があるとピアノを弾きます。
しっかり練習をしていた子供の頃のようには指は動かないけど、好きな曲を好きな様に弾くのは、とても楽しく、気分が上がります。
コンクールは嫌いでした。
コンクールでは、「型」を求められます。
好きな曲ではなく、課題曲を。
好きな様にではなく、審査の基準を満たす様に。
先生のレッスンも、「嫌々させられている」と思いながら指導を受けるので、結果は散々なものでした。
散々な結果も、自分の練習不足は棚にあげ、「認めてもらえない」と人のせいにしていました。
発表会は好きでした。
先生は、私が弾きたい曲を弾かせてくれました。
弾きたいように弾かせてくれました。
「こんな風に弾きたい」「もっとこんな感じにしたい」
レッスンの時、自分から先生にお願いして、指導を受けていました。
上手に弾けたかどうかは別として、それでも、自分では一生懸命弾いて、弾き終わった後は満足感でいっぱいでした。
何かを成し遂げたい時に、避けて通ることができないのが「下積み」です。
上手にピアノが弾けるようになるための、地味な指の練習だったり
きちんと形にするまでの、情報集めや勉強だったり
試行錯誤の繰り返しの連続が続きます。
それは、辛い時期ではありますが、成し遂げた時には、「素晴らしい思い出」として、「結果」に花を添えてくれます。
「出来事」は、「気の循環」から生まれます。
「自分」を中心として、「人」「環境」「社会」に「気」のサイクルを巡らせます。巡らせる方向で、「出来事」が自分にとってどう影響を及ぼすかが違ってきます。
同じイメージ(波動とも言います)の気が、「自分」と「自分以外」との間をグルグルと巡っているのです。
「下積み」を、乗り切ろうとした時に、それを「試練」と捉えるのか「苦労」と捉えるのかで、「結果」が全く違ってきます。
「試練」とは、「自分」から「自分以外」に向かって、行動をすることです。
「人を笑顔にしたい」
「環境を良くしたい」
「社会の役に立ちたい」
そんな思いでいっぱいの「気」を外に向かって放ちます。
そうすると、同じ「気」が、外から「自分」向かって注ぎ込みます。
自分が笑顔になった
自分が良くなった
自分にとって良いことが起きた
「試練」は勇気を与えてくれます。
「試練」はチャンスを与えてくれます。
「試練」は良い結果を与えてくれます。
「苦労」は、逆の循環です。
「自分」に向かって、
「なんで自分ばかりさせられるのか」
「やりたくないのにしなくてはいけない」
「辞めたいのに、辞めさせてもらえない」
そんな「気」を、まず、外から引き入れます。
そして、同じ波動の「気」を、「自分」から外に向かって出しているのです。
そんな「気」を周囲に放っていたら、誰も応援したくないし、自分自身もマイナスの「気」を選んで、自分に取り込んでいるので、ますます悪循環になってしまいます。
「苦労」からは何も生まれません。
自分の「思い」を精一杯、外に向かって出す。
出し続けていると、外(人 環境 社会)の「思い」が、自分に優しく注ぎ込んでくれます。