「言霊」はなぜ人の心に響くのか:五行「水」:「声」は誤魔化せない
人は、「視覚」「聴覚」「嗅覚」「触覚」「味覚」の「五感」をフル活動して、外の景色を認識します。
その中でも、最もアンテナの感度が高いのは、「視覚」だと言われていて、全知覚を100とすると、視覚が占める割合は、8割くらいだと言われます。
「百聞は一見に如かず」と昔から言い伝えられているように、やはり、一眼見ると「なるほどね」とスッと腑にあちて理解できる事も多いです。
また、第一印象で「この人はこんな人に違いない」と、全く情報がなかったとしても、思い込みスイッチが発動して、その後の変更はなかなか困難でもあります。
なので、第一印象を良くする「ノウハウ」もたくさんあって、初めての場所にいく時には、洋服やその色合い、また、メイクや小物使いを、あれこれ考えて工夫したりします。
それは、ある意味では、「作る」事が可能だとも言えるのです。
見た目は、「ツール」と「技術」を使って、在る程度は、自分以外の「別物」に変身できます。
例えば、どこの誰かとも分からないくらい、変身したら、周囲から、違う人と認識されるだけでなく、自分でさえも、別人になった気がしてきます。
それは、「外」の変更に対して、「内」もバランスをとろうと変更する場合もありますが、周囲の違う反応を受け取って、その影響を受けて自分の気が変身ので、賢く「装う」ことは、気を調整する意味でも、とても大事だと感じています。
「見た目」を変身する「ツール」や「技術」があったとしても、「声」については、そう簡単にはいかないですね。
「声」には、その人の「個性」がくっきりと浮かび上がってしまって、変身したり誤魔化してしまうのは、難しいと感じます。
「聞く」のは、物事の見えない本質の部分まで感じ取れるのかもしれませんね。
「聴覚」は、五行では「水」です。
それから、「水」の「五臓」は「腎」です。
「腎」は「作強の官」と言われています。
具体的に、どういうことかと言うと、人体の生命活動を維持していくための基本的な栄養物質である「精」を貯蔵して、五臓六腑の要求に応じて、精を適材適所に供給していく働きを持っています。
一般的に、「腎気」は親から受け継いだ「気」です。
生後の生命活動において、その受け継いだ「気」を上手に使うために、外からの「気」を補って、その二つの気を調整することで、人間の生長、発育がスムーズに進んでいけるのです。(「図説東洋医学<基礎編>」山田光胤 代田文彦 はやし浩司著 学研)参照(一部抜粋あり)
「聴覚」を意識して使うのは、「水」の気を使って巡らせていることでもあります。
それは、自分の「持ち点」でもある、「親からもらった気」と、「外からもらう気」とを、交流させて、より良く生長するための行為でもあるわけです。
なので、どうしても耳障りに感じてしまう場合は、「持ち点」を過剰に消耗していて、心地良さを感じる場合には、その逆だと言えます。
だから、「持ち点」を必要以上に消耗しないためにも、人の「聴覚」は、より研ぎ澄まされているのかもしれないですね。
「陽」の気に満ちている人の声は、大きくて遠くまで響きます。
たくさんの人の耳に届いたその声は、たくさんの人に影響を与えます。
それは、良いも悪いも刺激的です。
時に攻撃となることもあり、でも、何かを変えていくことも出来るのです。
「陰」の気が満ちている人の声は、小さくて近くでささやきます。
大勢の人に同時には、届きづらいかもしれません。
でも、目の前の、たった一人の人の耳の奥の神経の中まで浸透していき、その人の感情にまで染み込んでいきます。
時として、それは、癒しとなります。
「命式」のバランスが、「身旺」(気が大きい)の人は、やはり大きい響く声でお話されるイメージが強く、「身弱」(気が小さい)の人は、ささやく様な声で、ふんわりとお話をされるイメージです。
また、気の巡りが良い状態の場合も、張りのある声でお話をされます。
その話ぶりには、気がしっかりと詰まっているために、堂々として、勢いがあり、聞いていると、まるで何かに背中を押してもらっているような「塊」を感じることさえあります。
それは、決して大きい声だからではなくて、「濃い」感じです。
巡りが滞ってしまったり、そもそも気が枯渇してしまった時には、気の「濃度」が薄いために、力不足の弱々しさを感じます。
消え入るような「気」は、聞いていても、なんの「圧」も感じる事ができなくて、聴覚を刺激される前に、そこまで届いてこないのです。
最近、どうも、何度も「何?」と聞き返されてしまうのであれば、もしかしたら気が不足気味、または、滞ってしまっているのかもしれませんね。
なので、しっかりと、気を充実させましょう。
声が届かない時にお勧めの方法は、「声」のエネルギーを外からもらうことです。
勢いのある「声」のエネルギーをもらうと、その勢いが滞っている部分を圧力をかけて、一気に流してくれるはずです。また、弱々しく虚しくなった気に、たくさんのエネルギーを投入して濃くしてくれます。
「耳障り」だと感じる「声」は、できれば聞かない方が良いですね。
耳を塞いでしまいましょう。
心地よく響く「声」は、自分にとっての必要な力を持っています。
心地よく響く「声」の持ち主は、自分にとって必要な気を放出している人です。
自分の発した「言葉」は、自分が一番近くで聞いています。
だから、自分が心地良くなれる「言葉」を、意識して発したいですね。
「言霊」とは、大切ないただいた「気」の「持ち点」を守ってくれて、自分らしく在るために、応援してくれる「塊」だと感じています。