「思い」は「空間」に果てしなく広がっていく:「進化」の過程を意識してみる:「水」と「火」を利用する
「このままで良いのかな」とか
「今やっていることって、果たして大丈夫かな」とか
ふと、不安に感じてしまう時があります。
まだ、この程度だったら、他に気が散る様な楽しいこと、例えば、テレビで面白いドラマ見たり、お風呂にゆっくり入ってみたり、ほっこりする別の事があると、いつの間にか忘れてしまっていて、まあ良いか、と不安な気持ちも、いつの間にか流れて消えています。
「気」は絶えず動いているので、同じ状態で、同じレベルで、留まることはありません。
だから、「なんとなく」浮かんだ気持ちは、「なんとなく」流れていきます。
でも、すごく「重い」心配だったり、頭がいっぱいになってしまうほどのネガティブな気持ちは、どんどん大きくなって、そのパワーは、「今」の自分を「支配」してしまうほど、何も手につかなくなっていくのです。
「気」は意識したところに「集まる」特徴があります。
なので、心配やネガティブに集中してしまうと、それが集まって、「進化」して、「今」を侵食してしまいます。
全ての「気」は「進化」します。
例え「今」がネガティブでなかったとしても、「今」がポジティブだったとしても、ネガティブに侵食されてしまうと、せっかくの「ポジティブ」も、「ネガティブ」に染まってしまいます。
それは、とても勿体無いし、残念なことです。
物事が「進化」するというのは、どんな「景色」が繰り広げられていくのか。
始まりは、小さな、とても小さな「点」です。
その「点」は、あまりにも小さくて、誰も気がつかないくらい。とても儚くて、脆いので、大切にしないと、外からの「圧力」にクシュっと潰されてしまいます。
大切に、愛おしく、「点」を感じる段階です。
「点」はだんだんと、横に広がっていきます。
横に広がると「障害物」があるので、それを避けたり、交わしたり。
でも、「障害物」だとばかり思っていたものの中には、「同化」できるものもあるので、仲間になって、「点」が「面」になります。
目の前の「障害物」を、しっかりと観察し、向き合って、一つ一つ「対応」する時期です。
「面」は、ある時突然、「立体」になります。
四方八方に、ふわっと大きくなっていき、「拡散」していく状態になります。何も遮るものはないので、どんどん拡散していき、ついには境目がなくなって、「果て」が消えていきます。
そして「果て」が消えた瞬間に、小さな「点」がひっそりと佇んでいることに気がつきます。
「点」が進化して、「全て」になりました。
「不安」の「点」は、進化して、全ては「不安」になってしまいます。
「希望」の「点」は、進化して、全ては「希望」になります。
だから「点」の段階で、しっかりと自分の手で握りしめ、感触を味わい、それは果たして大切なものなのか、愛おしいものなのか、自分の気持ちに聞いてみる。そして、大切で愛おしいものだけを、「進化」の流れに乗せていく。
最初の段階は、目の前の「点」に集中する時期です。
なので、先のことはわかりません。
「点」から「面」になる時が、実はとても面白い時です。ドラマティックに進んでいきます。
映画のストーリーで例えるならば、とても無理そうな状況から、なんとか試行錯誤を繰り返し、傷を負い、それでも諦めずに戦っている。そのストーリーを見る人が、「一番の見せ場だったね」と、心の奥深く刻まれる「シーン」の連続、そんな感じの時期です。
敵が不意に出てきたり、足元をすくわれたり、でも、とても素敵な出会いがあって、仲間もできて、役割分担をしながら、問題を一つ一つ「解決」していきます。
たくさんの「失敗」が、解決のための「指針」を教えてくれます。だから「失敗」に対して、感情的に向き合うのではなく、冷静に対策を講じる態度が試されます。
この時期は、とかく「テンション」が不安定になり、上がったり下がったりします。
「テンション」は、蓋を開けたままのお鍋を、最大火力で加熱している感じです。「水」がたっぷり入っていないと、たちまちカラカラになってしまって、お鍋ごと焦げ付いてしまいます。
常に「水(智慧)」が入っているかどうかチェックして、あまりにグラグラ煮えたぎっていたら、冷たい「水(智慧)」を差す。できれば、「火(情熱)」の炎の調整を、上手にした方が、簡単です。
なぜならば、あまりに強い「火」は、大切なお鍋の底を溶かしてしまうかもしれないからです。
「火」が強すぎて、「水」が吹きこぼれてしまったら、元となる「火」が消えてしまうこともあります。
この段階は、「火」と「水」をコントロールする時期です。
なので、先のことはわかりません。
「面」から「立体」になるのは、ある時突然ふわっと広がっていくので、予想することはできません。
勝手に、四方八方広がっていきます。
それは、「常識」になる時。
当たり前のこととして、なんの疑問も抱かずに、意識すらされなくなります。
なので、「気」は分散していき、広がっていき、収拾がつかなくなります。
「それは、そういうものでしょ」と言われ
「はい、そうですね」と答える。
コントロールしようにも、広がりすぎて、どこから手をつけるのか、手を付けたとしても、良いのか悪いのか、どっちなのか、わからない。そんな時期です。
先を見るというよりも、今が「先」としか見えなくなって、そして「進化」の過程は終わります。
そして、次の「点」が、ひっそりと生まれるのです。
「点」を見つけた人は、みんな「点」を育てたいと思います。
「点」を育てる事が出来たら、注目を浴びるし、気持ち良いし、格好良いヒーローになれるからです。
でも、全ての人が、「点」を育てられるわけではありません。「点」を育てるにはある「タイプ」の人しか、育てる事ができないのです。
「進化」の過程を進む時、人には3つの「タイプ」があります。
「自分を責める人」「外に責任を取らせる人」「自分で責任を取る人」、この3つのタイプに分かれます。
「自分を責める人」は、「点」を見つけた段階で、「私には、点を育てるだけの自信がない。だって私は良い所がないから。」と言って、「点」を手に取る事が出来ません。
「どうせ・・・」と言って、手に取るのを諦めてしまいます。
「外に責任を取らせる人」は、「面」の段階で、「敵」に「指針」を求めます。「敵」はそもそも解決する気がないし、広がりを阻止しようとしているので、広がる事が出来ません。
その間、お鍋の「水」がカラカラになってしまったり、「火」が強すぎて、「水」が吹きこぼれ、大切な「火」が消えてしまいます。
「なんでこんな目に合わないといけないのか・・・・」と言って、再び「火」を起こすことを放棄してしまいます。
「自分で責任を取る人」が、唯一ヒーローになれる人です。
「自分で責任をとる人」は、「点」を手に取った時に、儚い「点」を守る決意をしています。そして「点」と、約束を交わします。
「何があっても、守るからね」
そう言って、「面」のステージへと出発をしました。
どんな「敵」が来ようとも、「守る」責任を取るために、少しずつ、でも着実に、「結果」を積み重ねていきます。
「気」は意識をしたところに集まります。
「守る」と意識をしたところに、全ての「気」がどんどん集まってきます。
小さな、とても小さな一つ一つの「行動」は、やがてどんどん集まってきて、とても大きな「行動」になっていきます。
そして、大きな「行動」が、やがて「立体」となって、「常識」へと進化します。
森羅万象全てのものは「気」の集合体です。
全ての「気」は、どんな時でも、どんな状況でも、いつもそこにあって、優しく包みこんでくれています。
だから、「気」はどんな時でも「味方」なのです。
目の前の「不安」に支配されて、心がクシュっと押しつぶされそうになったら、まずは、目の前の事を、全力で感じて取り組んでみる。それでも、潰れてしまいそうな時には、全てに委ねてみる。
「気」のサイクルは、いつも成長する事を応援してくれています。
だから、同じ状態が、ずっとこのまま続く事はありません。
終わってしまったと思っても、そこには次の「点」が落ちています。