過去ブログ

「命式」は語る:「命式」の五行バランスが偏っている人と満遍なくバランスが取れている人との違い:「転換期」の乗り越え方

生年月日から導き出す「命式」は、その人の「取り扱い説明書」のようなものです。

「命式」には、四つの「柱」が一つの組み合わさっています。

 

 

生まれた年の「柱」は、同級生はみんな同じです。なので、個人的ではなくて、その「時代」を表しています。これは「年柱」と言います。

 

生まれた月の「柱」は、社会の中での「わたし」を表します。周囲の人は、どう見られているか、周囲の人にどう思われたいか、それによって、どんな風に行動していくのかを表しています。これは「月柱」と言います。

 

生まれた日の「柱」は、その人の「核」の部分です。個人的に感じる感情や、意識せずついやっている行動パターン、恋愛対象にどんな人を選びやすいか、などを表しています。これは「日柱」と言います。

 

生まれた時間の「柱」は、最終的に、どんな思いを味わいたいのか、最後にどんな景色に辿り着きたいと思っているのかを表しています。これは「時柱」と言います。

生まれた時間については、2時間毎に暦は移動していきます。標準時刻に修正して暦と照らし合わせるので、生まれた場所も確認しなくてはいけません。

 

 

 

「命式」を読んでいく方法として、二つの角度から読み解いていきます。

まずは、四つの「柱」の関係性を観ていく方法です。

これは、「日柱」を中心として、「日柱」に対して、他の「柱」が交わっていく景色を観ていきます。

 

とても大雑把には、「日柱」に対して、力を注ぎ込む方向に気が流れていると、周囲からの応援を受けやす人、その逆に、気が外向きに流れていると、周囲に影響を与えていく人だと解釈ができます。

 

もう一つは、「命式」全体の五行のバランスを観る方法です。

こちらも、「日柱」を中心にします。

「日柱」の五行を中心(頭)にした場合に、五行の進む順番と、五行のそれぞれの強さが分かります。

 

 

 

今日は、その中で、五行の強さについて書いてみたいと思います。

 

五行とは、気の種類のことです。全部で五つあります。

その五つとは、「木(もく)」「火(か)」「土(ど)」「金(こん)」「水(すい)」です。

 

その五つの気は、全てそこに存在をしていて、ただし、偏りがあります。その偏りが個性として表面に現れるのです。

 

全てそこに存在すると言うことは、当然「命式」の中にも五行が存在しているということになります。

ただし、偏りがあるために、全ての「命式」に同じ分量の五行が、満遍なく存在するわけではありません。

 

例えば、「木」がとても多くて、「水」が全くない「命式」や、「火」ばかりで、後は「金」がほんのかけら一つ入っているように、極端な「命式」があります。

また、五行全て含まれていて、しかも満遍なく全ての五行が存在する場合もあります。

 

それは、本当に、「十人十色」で、似たような「命式」はあっても。全く同じとなると、なかなかありません。また、全く同じ「命式」の人と、ご縁が出来る華道家まで考えると、まずは無いと言っても良いくらいの確率だと思います。

実際、私は、自分と全く「同じ」人とのご縁ができたことはありません。

 

 

五行の強さで紐解く場合、偏りが強いほど、やはり、個性が際立っています。

そのような人は、決まって、「私は、周囲に合わせようと、本当に頑張っているんだけど・・・・でも、どうしても上手くいかなくなってしまいます」「どうすれば、人間関係を円滑に保てるんでしょうか?」と、周囲に合わせようとされていて、それができない自分を残念に思い、それを変えようとされています。

 

 

でも、もう一度、「原点」に戻って考えてみましょう。

 

「命式」とは、その人の「取り扱い説明書」です。

「取扱説明書」には、最大限に進めるための情報が書いてあります。だから、「取扱説明書」には書いていないことや、書いていることをねじ曲げて、違う方法でやってしまうと、ギクシャクして、やりすぎると壊れてしまいます。

 

偏った「命式」の場合、必ず自分の「命式」に持っていない五行が存在しています。

 

例えば「木」がない場合は、「木」のやり方はできないことになりますよね。

 

持っている気を最大限に使うのは、ある特定の五行を、濃密にガッツリと使うことなので、全ての五行が存在している「周囲」とは合わなくて当然です。

 

 

一方では、満遍なく五行を持っている「命式」もあります。

その場合、無難に何遍なく、周囲に歩調を合わせて進んでいけるのです。

これは、なんとく良い感じに思えるかもしれませんね。でも、実は、そうでもありません。

 

今の世相は、「個の時代」と盛んに言われ、人と違う事が「個性」だとも言われ、自分の主張を宣言したり、何かの道でプロフェッショナルな活動をしている人が、もてはやされる傾向にあります。

目立つ人は、個性が際立った人で、周囲と違うからこそ目立ちます。

満遍なくバランスが取れている「命式」の場合、ある意味目立たないのが、良い面でもあるために、「私は、一体、何が向いているんだろう・・・」「自分の意見を主張したいけど、皆んなに迷惑はかけたくない」「皆んなが喜んでくれたら、やっぱり一番嬉しいな」となります。

そうなると、「個の時代」で行こうとすればするほど、ギクシャクしてしまって、上手くいかなくなってしまいます。

 

 

では、「個」では生きていけないのかというと、全くそうではありません。

 

環境に応じて、自分を合わせていけることが、素晴らしい「個性」であって、それが難しく感じる偏った「命式」の人から見たら、憧れの存在でもあります。

 

 

偏った人は、ついやってしまう人

満遍ない人は、情報収集と根回しが得意な人

 

あなたは、どちらのタイプですか?

 

 

ただし、「命式」だけが全てではありません。

巡ってくる周囲の「五行」も、一緒に合わせて考えていく必要があります。

 

 

それは、毎年・月の暦とか、一緒に過ごす人の「命式」とか、季節、方角・食材・色・香り・感情・情報・・・などなど。全てから「命式」は影響を受けます。

 

偏った人は、いつも偏っているために、偏るのは「日常」となっています。

なので、周囲の気の影響を受けて、偏りが強くなっても、全く影響を感じずに進みます。

でも、自分が欠けている五行から影響を受けた場合、満遍なく安定した「命式もどき」になります。

だから、動きが鈍くなって、地に足が付くのは良いけど、テンションが下がった感じを持ちやすくなります。

 

満遍ない人は、その逆で、周囲かの影響によって、様々な偏りが生まれることになります。なので、地に足を付けたいと思っていても、あっちから押されてみたり、こっちから引っ張られてみたり、動かされるのです。

 

 

どちらの場合も、自分に取って「苦手」ではありますが、でも、いつもの自分ではできない事が、どう言うわけだか出来てしまう「転換期」とも言えますね。

 

 

 

「転換期」の上手な過ごし方は、「自分らしくない」ことをやってみる。

そして、一人で頑張るのではなくて、周囲を巻き込んで、やってみる。

 

 

自分らしいやり方で、自分らしくない「行動」を取ってみましょうね。