「占い」とは何か:「時」と「兆し」と「思い」が一つになると「吉」となる:「占い」を賢く利用する
「占い」とは何か。
「時」を予測し、「兆し(きざし)」を感じるために使う「ツール」です。
それはあくまでも「ツール」なので、「良し悪し」はありません。自分が使い勝手の良い「ツール」を選び、必要な箇所だけ使うものです。
ここで言う「時」とは、時間も含まれますが、空間、人、社会、天気、土地、家などの「形」があるもののことです。
それは、目で「見る」こととができます。そして、他の人にも「今日は暑いですね」とか「ここは気持ちのいい場所ですね」とか、「笑顔が素敵な人ですね」とか、細かい表現は違ったとしても、説明できて、伝えることができるものです。
そして、「兆し」とは、「流れ」です。なんとなく感じる「気持ち」です。五感が感じるもの。絶えず動いて移ろいゆくものです。
風の香りで季節の変わり目を感じる、冷たく固まっていた心がほぐれてくる、何となく胸がざわざわしてきて不安な気持ちになる、とか。人に説明しても、そのものズバリは解ってもらえない、想像してもらうしかないものです。
「時」の世界を見て、「時」の音を聞く
「兆し」の世界観を観て、「兆し」のメロディーを聴く
それを出来るだけ正確に、客観的に、合理的に理解して、自分の中に落とし込み、しっかりと咀嚼して、味わって、自分自身で感じる。
「占い」は、その行程を、出来るだけ寄り道せずに、振り回されることなく、読み解くために役にたつ「ツール」です。
なので、使い方が適切でないと、上手く使いこなせないどころか、振り回された挙句、大切な「思い」が壊れてしまうことにもなってしまいます。使わない方が良かったと後悔することも。
人の人生は「時」と「兆し」の中にあるものです。
なので、一人一人違います。
だから、自分で一番適切な方法で「利用」するものだと思っています。
論語の中に
「善く易を為(おさ)むる者は占わず」(荀子)
と言う言葉があります。
これは、「占い」を否定している言葉ではなく、易を深く理解し習得したものは占わずして占っていることであると言っています。
つまり、「時」を見て「兆し」を観ることは、「見えるもの」「見えないもの」その両方を見る(観る)ことができる。
「時」を聞き「兆し」を聴くことは、「聞こえるもの」「聞こえないもの」の両方を聞く(聴く)ことができる。
そして、それは流れの中にある「ツボ」をしっかりと捉えることができ、なのでわざわざ「他人」の易者に、自分の運命を訪ねる必要がないということを述べています。
人生を学ぶ学問の中に、「易経」があります。
易経では、「変易・不易・易簡」の「三義」の理論を大切に説いています。
「変易」とは、全ては変わりゆく。時は止まることなく進んでいく。これは例外がなく、変わらないものは、何一つとしてない。何もかも移ろい流れていく。「変わる」ことを説いています。
「不易」とは、変わるものには、一定の法則がある。やみくもに、好き勝手に変化するのではなく、ルールに従って変わっている。陽が昇り陽が沈む。高いところから低いところに流れる。始まって終わる。何もかもが「生まれ」て「死ぬ」。不変の変化をたどることを説いています。
「簡易」は「変易」と「不易」は、とてもシンプルであり簡単である。ただそこに「ある」ことであり、いずれそこに「なくなる」ことである。それだけの事。だからこそ「ある」ことの「意味」と「なくなること」の「意味」を大切にする。それが人の「志」となる。
受け止め方が大切であることを説いています。
「志」を持つことは、もうすでに「全て」を持っていることなのです。何の「不足」もありません。
それでも、やっぱり気になるのが、良いのか悪いのか。。。
易では「善し悪し」を「吉凶」で表現しています。
「吉」は、実ること。通じること。動くこと。
「凶」は、実らないこと。通じないこと。動かないこと。
ただし、実れば良いかというと、実りすぎも困るし、何でも実れば良い訳ではなく、バランスが大切です。
通じることに関しても、動くことに関しても同じです。
そして、それを具体的にイメージできるのが、暦や星の「流れ」なのです。
「流れ」は絶えず動いていて、それを「追いかけて」いると逃げていき、いつまでも乗ることができません。
流れの中には、「時中」というのがあり、それは体でいうと「ツボ」みたいな感じです。ぽこっとハマって、グイッと効く感じ。
俗に言う「タイミング」です。
全てが整って、まるで「時」の中にポケットができた状態。それはとても穏やかで、静かで、優しく、流れの「中庸」です。
人は様々な「感情」を常に持っていて、それはいつも右に傾いたり左に傾いたりしていて、とても不安定です。
新しい事に挑戦したくなったり、自分を変えたくなった時、「恐怖」を感じ、でも「喜び」も感じます。真逆の感情がフラフラして落ち着きません。上がったり下がったり忙しい・・・。
でも、「時中」が来た時は、それが「一つ」になります。
つまり「プラス・マイナス・合わせて0」
「時中」が来た時は、「何も感じない」気持ちになるのです。
不安も恐怖も、喜びも楽しさも、全てが一つになって、それは「風」が止まって「音」が消えて、静寂の「景色」一色になった感覚になります。
忙しさとか慌ただしさではなく「平常心」になります。
思わず言っちゃいました
とりあえずやっちゃいました
そんな感じです。
そして、「何で言っちゃったの?」「何でやっちゃったの?」と聞かれても、「なんとなく」としか答えることができません。
「それで、これからどうするつもりなの?」「本当に大丈夫?」と呆れられても、「なんとかなりそう」としか答えることができません。
俗に言う「ゾーンに入る」状態が、「時中」のツボにすっぽりとハマった状態だと思っています。
だから、とても大きな決断をする時は、案外と「思い切り」だけで「何となく」やっていて、その方が結果が良い場合が多いです。
少しでも不安がある時、逆に余りにテンションが上がっている時には、「ちょっと待った!」と「時」がストップをかけています。
不安がある時は、進めませんが、テンションが上がる時は、無理やり流れを自分の方に引き寄せようとしています。なので、「障害」が次々とやってきて、よほど「エネルギー」が満タンだったとしても、無駄な「労力」が必要です。危険な「賭け」。腕の良い凄腕ギャンブラーでなければ、乗り越えるのは大変です。
自分のペースで。
無理なくね。
「易経」を読み解くと、「最近、みんな、流れを追いかけまくったり、流れに追い立てられている状態だよね。そろそろ仕切り直してみたらどうかなあ。だって、準備して待っていると、いずれ風向きが変わる時が来るのに。」と、語ってくれているような気がしてきます。
「占い」を賢く利用するには、まずは「知る」ことに尽きると思います。
知らないことは解りません。理解することはできません。知識として、「外」から「内」に、自分の中に落とし込む。
まず興味を持って、学んでもらえたらなと思っています。
ただし、それだけでは、残念ながら、上手く利用するまでには到達できません。
落とし込んだ知識をもとに、経験すること。自分の「内」から「外」に向けて出すこと。
出来るだけたくさんの「命式」を出してみる。芸能人のお誕生日を調べて、「一人鑑定」をしてみる。自分の命式と巡る運気を感じてみる。
出来るだけ、たくさん、バリエーションも豊富に、数多くの経験をする。
変えられない「理論」はありますが、「解釈」に関しては、人それぞれです。みんな違います。みんな違って当然です。
それは、「みんな違う」からです。
だから、突き詰めていくと、「自分のことは自分で」。
自分で「鑑定」するのが一番です。
「古典」の解釈も大切ですが、「時」は移ろっているのです。
だから、「古典」を参考にした上で、「今」の解釈をする。
「良し悪し」ではなく「吉凶」を捉える。
そして、「時中」がきたら、ぽこっとハマってください。
自分で感じる「時中」は間違いありません。
きっとグイっと効いてくるはずです。