鶏が先か、卵が先か:タロットカードの私の解釈「死神」
「鶏が先か、卵が先か」
因果性のジレンマです。
「始まり」と「終わり」はどちらが先なのか。
「始まり」があるから「終わり」があるけど、「終わる」から「始まり」がやってくる。
どちらにしても、「始まり」も「終わり」も、現状を変えたくない思いが強いと、これからどうすべきか悩むという点では同じです。
一日の終わりの海
太陽が沈んだ後、ほんのわずかな間、空がとても美しく輝きます。
トンネルの先が見えていたら、暗くても怖くない。
暗くても、進むべき目標が決まっていると、周りが暗くても、気にならないのかもしれない。
周りが暗くて見えないだけに、余計なことを考えなくて、結構その方が集中していけるかも。
死神のカード
「終わり」「精算」「死」「破滅」「再生」を示しています。
タロットカードが怖いと言われるのは、こんな不気味な絵とメッセージを示すカードがあるからかもしれません。
白紙に戻す色「白」の馬にまたがった死神が、進んでいます。
手には生命の象徴である薔薇が描かれた大きな旗を持っています。
旗は力強くたなびいています。
横たわっている人、うなだれている人、無邪気に遊ぶ人、拝む人、全ての人に平等に、終わりが来たことが告げられます。
死神は、冷淡に、振り返ることなく、ゆっくりと進んで行きます。
前方には、黄色い太陽が、昇り始めています。人々は太陽の方に目をやる余裕もなく、死神に意識を向けているので、気がついていません。
死神は、太陽の昇る方向に向かって、ゆっくりと歩みを進めています。
勢いよく流れている川は、太陽が昇る海に向かって、淡々と流れています。
死神と川だけが、次に向かって進んでいるのです。
「鶏が先か、卵が先か」問題は、学問や考え方によって、実は答えが違うそうです。
数学的には、「卵が先」。時系列の数の予測から判断できるらしいですが、聞いても、何の事だか。。。残念ながら私には、全く理解できませんでした。。。
神学では、神が鶏を創造したと解釈されるため「鶏が先」。
仏教に関しては、「時間は永遠に繰り返される」ため、「創造」の概念やそもそも「最初」という概念がないそうです。なので、この問題に関しては「問題外」。
どの答えを採用するかは、自分次第です。
小さな始まりであろうが、大きな終わりであろうが、川が淡々と次に向かって流れていきます。
「始まり」も「終わり」も経過の一つにすぎない。
どんなに悲しもうとも、涙を流そうと、時間はただ過ぎていくだけのこと。
過ぎてしまえば過去になって、またいずれ終わりがきます。
時の経過の中に、「鶏」と「卵」が永遠に繰り返していく。
カードリーディングで、死神のカードが出たときには
「とりあえず、今できることに集中してやりましょうね。来年の今頃には、きっと、こんなこともあったなと、胸がキュンとなる出来事に変わっているはずです。」と伝えています。