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私が鑑定の時に「背中を押す人」と「押さない人」の違い:「占い」を利用する方法

そもそも「占い」とは何か

 

 

時々、考えるようにしています。

「占い師」には資格がなく、また、自分が果たしてきちんと「役割」を果たしているか、確認の方法もなく、どのような「鑑定」をし、どのように「暦」を使い、何を基準に「言葉」を選ぶのか、全て「自分」に委ねられています。

それは、常に、ブレない「コア」を意識していないと、分散して、空中分解しかねないことです。

 

 

同業者の方々と、話すと、やはり同じ「思い」を感じておられるようで、特に「解釈」については、独りよがりにならないために「違う占術での解釈」を求めて、私の鑑定を受けにお越しいただいたり、私が受けに行くこともあります。また、四柱推命の先生に、「違う視点」で鑑定をしてもらうこともあります。

 

 

例えば、四柱推命・算命学での悪い運気の「殺界」は、星占いにはない「解釈」です。私自身は、そもそも「殺界」自体、悪い運気とは捉えておらず、もちろん、「どうして悪いと言われているのか」は、説明はしますが、「だから全て悪い」と決め付けるには、あまりにも勿体ない、偏った解釈だと思っています。

 

 

「占い」は統計学であるとの意見もあります。でも、私はそうではないと考えています。この論議に関しては、「占い」を生業としている人たちの間でも、意見が二分しています。

占星術については、過去、科学者が統計データーを集めて、星占いの優位性を証明しようとした経緯があります。実際は「だから当たらない」と証明したかったようですが、「当たらないとは言えない」という結果になったそうです。

 

 

 

今でも、「幽霊はいるのか否か」「未確認飛行物体は存在するのか否か」といった内容のテレビ番組があるように、これだけ、科学が発達した現代でもなお、「違います」と言い切れるほどの、確固たる根拠がないのもとても面白いし、それを、論議し続ける研究者の意見も、興味深いところです。

 

 

 

人(脳)は知りたいと思っています。

人(脳)は、答えを探し続けています。

知らなかったことを知ること、分からないことが分かるようになること。それは「進化」です。

だから、「目に見えない世界」は見たくて仕方なく、知りたくて仕方ない、「永遠のテーマ」なのだと思います。

 

 

だから、みんな「占い」が、気になります。

 

 

「占いは、目に見えない力の風向きを知る、風向計とみなされるべきだが、風向計は船の針路を決定する道具ではないことを、常に念頭に置いておくべきだ。帆を調整する際の最適な角度を示してくれるだけなのだから」(完全版タロット辞典 アンソニー・ルイス著 朝日新聞社)

オカルト主義者ダイアン・フォーチュン(1890〜1946)は述べているように、やはり「占い」は「道具」であり、それを使うのは「本人」であって、道具に操られてはいけないと感じています。

 

 

それは「占者」も同じ。「使い方」を伝えるのが「役割」だと思うのです。そして、伝え方の違いが、「占い手の個性」つまり「ウリ」であり「オリジナル」になります。

 

 

「道具」に、良いように使われてしまって、振り回されないようにしなくてはいけない。

「気」を「理」として、感応してもらえるように、伝えていきたいと思っています。

 

 

山口県立美術館で開催中の「ヨーロッパ絵画美の400年 珠玉の東京富士美術館コレクション展」に展示中の

「シルクのソファー」 ミケーレ・ゴルディジャーニ

 

女の子の「ドヤ顔」に目が釘付けになりました。

 

 

うるさい「外野」なんか気にしない気にしない

だって、私、モデルですから!

どうよ!!!

 

その心意気が、彼女の「ドヤ顔」にしっかり出ているような気がするのです。

シルクは、昔から、女性の素肌をきれいに保ってくれる素材と言われ、女性の大好きな憧れの布です。クレオパトラも、好んで着用していたと言われています。

 

その貴重で高価なシルクをふんだんに使った、豪華なソファーに体を預け、堂々とした貫禄たっぷりの彼女の表情を見ていると

これからは、こんな顔ができる人が、「成功者」なんだろうなと、ふと思ったのです。

 

 

情報が溢れかえり、選択肢が無限にあり、その中から、頑張って「自分らしく」選んでみたものの、「どうよ!」と言い切る人は、実は、とても少ないのです。

それは「外野」がたくさんありすぎて、あっちこっちから「外野」の意見を聞かされたり、攻撃を受けるから。「自分らしく」がブレブレになります。

ご相談内容も、「ちゃんとやっている」にもかかわらず、「このままで良いのか。もっと頑張らないといけない気がする」そんな感じのものがとても多いのです。

 

 

でも、彼女のパパが、「肩なんか出したらだめだよ」と、ハラハラしながら注意したかもしれないし、ママが「もっと可愛らしく笑いなさい」と厳しく小言を言ったかもしれない。

それでも彼女は、「私、これでいきますから」と、二人を軽くあしらって、ポーズをとり続けた彼女の「勝ち誇った顔」は、「成功者の顔」。

 

 

「占い」をうまく使いこなし、「ドヤ顔」になってもらえるように、「気」を「理」として感応してもらえたら嬉しいなと思います。

 

 

 

タロットカード小アルカナ 「ペンタクル・2」

 

ペンタクルは、地のエレメントの象徴です。

安定した「財」の象徴です。

「仕事・お金・収入・立場・所有物」の「景色」を見せてくれます。

 

ペンタクル2は、二つの「財」が揺れ動いている状況です。

 

18世紀、占いをタロットと結びつけ、職業占い師として活躍した、エテイヤは、このカードについて、「予想外の邪魔ものが入って困惑している」と解釈をしていました。

 

その後、19世紀あたりからは、「娯楽・陽気に踊る」と、ポジティブな解釈もされるようになります。

 

時代背景の進化ともに、解釈も進化します。

「来年どうなっているのかわからない」ほどの、変化のスピードが速く、常識そのものに「疑い」の目が注ぎ込まれている「今」、このカードの解釈は、少しずつポジティブとなってきました。

 

 

複数の選択肢を天秤にかけて、臨機応変に対応する

変化を繰り返すことでこそ、安定を保っている

海外との交流が広がり、異文化を楽しむ

 

 

そして、もっとも大切なポイントは、「自分が操作している」ことです。そこには「他人」の姿はありません。

 

 

「邪魔が入っても、知らん顔して、楽しげに踊る私」

 

 

カードに題名をつけるとしたら、こんな感じだと思います。

 

 

私が「背中を押す人」は、「ペンタクル・2」の人

そんな人の特徴は、まず、手相がすっきりしていること。

ぐちゃぐちゃ余計な線がなく、とてもシンプルで、線に勢いが感じられます。

細かい線は、たくさんの思考や、気遣いの線です。

逆に、シンプルな線は、「私、これでいきますから」と言っているのです。

 

そして、もう一つ、将来の目標を、「楽しそうなイメージ」として、楽しそうに語れること。

先が見えなくなってきて、将来が不確実で不安定で、何が正解かわからない中で、「明確な形」の目標は、かえって「縛り」となる可能性があるからです。

「楽しそうなイメージ」の話を聞きながら、私が「楽しそう」と感じた瞬間に、「映像」が浮かんできて、「大丈夫、きっといける」と、私の「根拠のない自信」のスイッチがパチッと入ります。

 

その二つが見えた時に、私は、背中を思いっきり押します。

一つでも見えない時には、「現状維持」を勧めたり、または、とりあえず「今できる最適なこと」が何かを一緒に探していきます。

 

 

手相はどんどん変わるので、今、たくさん「気遣い」の線が出ていたとしても、消える可能性も十分にあります。

「楽しそうなイメージ」が、今浮かばないとしても、焦って探さないで欲しいと思います。焦って探すの時に浮かぶものは、「これを楽しいと思わないと皆んなに何か言われてしまうかも」と考えて無理やり浮かんだ可能性が大きいのです。

 

 

まず、自分の「コア」を感じてみる。

 

 

それは、日々の出来事を、ただ何となくやり過ごすのではなく、「それで自分はどう感じたか」、そこまで深く掘り下げてみる。

「コア」とは「思い」です。

なので、いつも自分の「思い」を確認していると、「結局、これが好きなんだ」「やっぱりこれがしたいんだな」と、ある時、ふっと気がつきます。

 

 

「コア」は見つけるものではなく、感じるもの。

形のないものは、目には見えません。