100%当たる「占い」とは:占いは「当たる」のではなく「当てに行く」もの:「解釈」に悩む時に私がいつも頼る「もの」
「占い」を受けたくなる時は、何かに悩んでいたり、この先に漠然とした不安を感じたり、二つの選択肢の間でどちらが良いのか決めかねていたりする時かもしれません。
それは、「正解」を出してスッキリとしたい。
なぜ、今の状況になっているのかの「原因」を見つけたり、それぞれの選択肢の「点数」を知るなど、明確な「言葉」というか、「単語」が欲しい時かもしれません。または、「良い」「悪い」をはっきりしたいときかもしれません。
「占い師」として、このまま仕事を続けて行っても良いのかどうかについても、同じです。
鑑定の結果が、果たして的確で当たっているかどうかの「点数」を確認できず不安になり、どちらかに決めてと問われても、「占い」で質問される内容は、そもそもはっきりと断言できない事柄ばかりなので、言葉に詰まって、曖昧な答えしか導き出せずに申し訳なく感じたり。
「占い」は、検査データーを見るわけではなく、統計学でもなく、科学でもなく、先人たちの「叡智」と「経験」から導き出された「考え方」なので、「答え」はいく通りもあり、それは、占い手によって、解釈が変わります。
人は、「安定」するために、「不安定」を均していこうとします。
答えが出せないからこそ、答えを求めて、彷徨いながら歩いていく。
その彷徨う揺らぎが、その人の、オーラというか彩りに繋がっているんだろうなと感じています。
占いを仕事にされた方から、時々、「本当に当たっているのか不安。どうやったら100パーセント当たる占いができるのか知りたい」と言われる事がありますが・・・・
そんな技があったら、私の方が教えて欲しい!笑
本当に当たっているのかどうかは、お客様の「その後」を追跡するわけにもいかず、たまたま「事後報告」をいただけて、「当たってました」と言われる事は、あるにはありますが、でも、実は、それは、ご本人が頑張って、自分を信じて進んだ結果、望んでいたものを掴み取っただけのこと。なので占いのお陰では、全くないのです。
しかも、望むものが手に入ったのが、占いを受けた直後の場合もありますが、何年も前に受けた占いで相談した事柄の場合あり、そうなると、もはや占いが当たったとは、幾ら何でも図々しくて言えない・・・と思います。
それでも、「当たってました!ありがとうございました!」と仰っていただけると、私の方が、「当たると評判の占い師からお墨付きをもらえた」気分になって、前向きなやる気スイッチをお客様から入れていただけるので、今まで何とか続けて来られたと思っています。
やはり、フィードバックは大切ですね。
占い師も「人」なので、時々「正解」を確認したくなります。
様々な仕事がある中、「形」のないものを提供する仕事は、評価の基準が曖昧で、とてもわかりにくくなります。
対人援助職においても、サービスを提供するのであれば、「満足度」が評価の基準になり、でも、何が「満足」に値するのかは、「その時その人がどう感じたのか」が全てとなるために、「対象」そのものが流動的です。
また、「高度な技と知識」を必要とする専門的な対人援助職になると、対象者の「満足度」よりも、「安全」や「安心」が求められる状況もあるわけなので、たとえ満足してもらえなくても、将来のために、今必要なことを推していくことも求められます。
「占い」についても、やはりそれは同じで、「満足」も大事であるけど、「安全」「安心」のための情報を提供する事が求められます。なので、話をただ聞いていれば良しとはいかないのです。
それでも、やっぱり、「大丈夫だよ」と、太鼓判を押してもらいたい。
そんな時は、「勉強」あるのみだと思います。
本を読むとか、知識を得るとか。たくさんの「意見」や「考え」や「解釈」に触れると、「そうそう、わたしも同じ考え」とか、「それは知らなかった!賢くなった」など。「勉強」する事で多くの「正解」に触れる事ができます。
「占いって、そもそも必要?」と悩んでしまった時、私がいつも読んで「正解」をもらっている本をご紹介しますね。
日本の精神分析の権威・河合隼雄先生の著書「ユング心理学入門」培風館 です。
なんと初版は1967年。2018年第六三刷発行。
どれほど多くの人に読まれているのか、想像もできないほど。
結婚式を目前にして、最愛のひとが交通事故で死んでしまったひとがある。
このひとは、「なぜ」と尋ねるに違いない。「なぜ、あのひとは死んでしまったのか」
これに対して、「頭部外傷により・・・云々」と医者は答えるであろう。
この答えは間違ってはいない。間違ってはいないが、このひとを満足させはしない。
なぜ、この正しい答えが、このひとを満足させないのか。
それは、この「なぜ」( Why)という問いを、「いかに」( How)の問いに変えて答えを出したからである。
(本文より抜粋P2,3)
私がいつも躓いて進めなくなる時は、「いかに」(How)に偏りすぎている時です。
それは、自分の事についても「いかに」ばかりに目が行ってしまっていて、それがそのまま鑑定の解釈にも出てしまいます。
先のことは、わからないし、わからないからこそ、可能性が広がっていて、その可能性を少しでもポジティブな視点で見る事ができるために、見たいと願うために、きっと、人は「占い」にその答えを求めるのでしょう。
これから先を「いかに」(How)ではなくて、少しでも「なぜ」(Why)に寄せていく事ができたら、きっと、「占い」的には結果が出た時だと思っています。
時には、「今、運が悪いからだめだったんだ」と、運のせいにして、諦める。でも、運気は変わるから、今月ダメでも3ヶ月後には、全く違う次の「気」の運気が巡っているから、その準備のために、動けない方が都合が良かったりするわけです。
どうしようもなく上手くいかない時、いっそのこと「運」のせいにしてしまいましょう。
だって、「運」が悪いから、上手くいくはずがない。
でも、「運」は常に流れて変わっているので、流れを観て上手にのると、今までが、まるで幻だったかのように、ガラッと潮目が変わります。
「占い」は、その潮目が変わる様を紐解いていきます。
一緒に悩みながら、紐解いていきましょう。