自分の感情に向き合うことは自分の「運気」に向き合っていること。なので「運」が良くなるのです:「卯月」「啓蟄」「蟄虫啓戸」:「木」の気を賢く利用する方法
東洋医学と西洋医学では、「病気」の捉え方が違います。
東洋思想は、まずは森を観る。それから木を。
西洋思想は、まずは木を観る。それから森を。
西洋医学では、病気の原因を、「見える形」として突き止めていき、ターゲットとなる「敵」を攻撃することで、病気を治療していきます。
一方東洋医学では、「病気」そのものではなく、「そもそも不調はどこからやってきた」のかを、観察し、どこにアプローチするのが、一番効率的なのかを、全体の「構造(巡り)」が整うように対応していきます。
ざっくりと言うと
西洋的には「切る」
東洋的には「整える」
つまり東洋のアプローチは、「全体」が、「全体」として、「全体」らしくあるために、「全体」を存在させていきます。
削除といった概念はありません。
多過ぎれば、抑える(瀉法)
少な過ぎれば、補う(補法)
これが東洋的「治療」の基本です。
東洋医学では、病気の原因は3つのことから推測していきます。
まず一つ目は
外からの「攻撃」に負けてしまった場合(外因)
花粉や細菌、また、ウイルスなどがこれにあたります。
また、季節の変化も外からやってくる「敵」となります。あまりにも、日々の気温差が激しかったり、風が強く吹き荒れたり、湿度が高すぎたり、逆に乾燥も。そのような全ての天候(自然現象)も「敵」です。
次に二つ目は
自ら感じる感情が、不安定に偏りすぎた場合(内因)
感情には「怒・喜・憂(思)・悲・恐(驚)」があります。
これら全ては、人として味わう、体験しなくてはいけない感情です。どれか一つだけが、異常に高まった時には、それ以外に感情が飲み込まれてしまい、体調にも変化を来してしまいます。
ストレスからくる心因症状や、自律神経系からくる不調がこれにあたります。
最後に三つ目は
身近な環境がある方向に偏りすぎた場合(不内外因)
劣悪な生活環境や、睡眠不足、働きすぎなや生活の乱れなどにより、体調を崩してしまった場合、これにあたります。
どれか一つだけ、と、決めつけられない場合も多いですが、この3つの偏りが、体の「気」の巡りを狂わせてしまうことにより、「病気」として症状が現れます。
一つ目の「外因」は、避けようと思っても、なかなか難しいかもしれません。それは目に見える「形」があるものではないからです。
でも、それ以外の二つ「内因」と「不内外因」は、知識を持って対策をすれば、しっかりとコントロールできるものです。
自分の機嫌を自分でとる人は、運が良い人
それは、「内因」がしっかりとコントロールできているから。
ネガティブな感情も、ポジティブな感情も、しっかりと向き合って、受け止める人。そして、ネガティブ過ぎずポジティブ過ぎず、「適材適所」で、自らの感情を表に出せる人。
こんな人は、「巡りの良い人」です。
「気」がさらさら巡っていると、不要なものは「切る」ことができるし、必要なものを必要なだけ、受け取ることができます。
だから、自動的に、「運気」の巡りも良くなって、結果、「運の良い人」が出来上がると言うわけなのです。
全てはものには「気」が宿っています。
「感情」も例外ではありません。
「恐・驚」は「水」の気です。
「水」の気の「景色」は、まるで河がさらさら流れているように、滝が轟々と落ちていくように、また、少しの隙間を見つけては、抜け目なくしたたかに攻め入ってくるように。
「恐・驚」の感情を「景色」として表現するならば、そのようになります。
また、「水」は、少しでも低いところがあると、そちらに流れていきます。決して、「高み」は目指しません。
簡単な方に、安易な方に、流れやすい方に向かって、一目散に流れて、どんどん下に落ちていきます。
それは、「気分」がどんより落ちていく様。
「気分」につられて、「体」もどんより落ちていく。
なので、なんとなく動きたくなくなってしまったり、動くことに対して「罪悪感」も感じてしまうかもしれません。
「恐れすぎる」と、落ちていってしまうのです。
「木・火・土・金・水」全ての「気」は、お互いに、持ちつ持たれつのバランスを取りながら、「全て」として存在します。
もしも「水」(恐・驚)が大きくなりすぎてしまったら。
「水」をコントロールする方法は2つあります。
それは、溢れそうな川を堰き止める土嚢のような「土」の気を使う。
そしてもう一つは、「水」を吸うことで、大きく育つ「木」の気を使う。
簡単な方法は、「土」を使う方です。
「土」の気は、体の中心に宿っていて「消化」を助けてくれます。そして、食べ物からのエネルギーを体に吸収できる「形」にしてくれるのです。
まずは、美味しいご飯を、味わって食べること
これは「土」の気を補って、「水」を止めてくれます。
ただ、あまりにも大きな「恐・驚」は、土嚢を超えて溢れ出してしまう「濁流」となっています。濁流となってしまった多すぎる「水」は「土」をも流し去ってしまう危険をはらんでいます。
そんな時には「木」の出番です。
「木」は「水」を吸えば吸うほど、大きく成長する気です。
どんどん枝葉を伸ばし、成長していく植物のように。
朝は「木」の気がいっぱいです。
植物の成長も「木」の気に溢れています。
爽やかな風も。酸っぱい味も。青色・緑色も。
また、「木」は「見る(視覚)」ことが大好きです。
それら全ては、「木」の気で溢れています。
心の中に「恐れ」が宿ってしまったら
朝起きて、窓を開け、木々の緑の鮮やかさを愛でる。
そうすると、きっと、心が軽くなってきますよ。
「暦」はいつも絶妙なタイミングで、「逃げ道」を準備してくれます。
3月5日 今日から二十四節気の「啓蟄」
「啓」は開く
「蟄」は土中に隠れる
「啓蟄」とは、土の中に閉じこもっていたものが、「上」が開けることで、むくむくと這い出てくる「季節」です。
また、さらに細かく、約5日ごとに区切った暦の七十二候では
「蟄虫啓戸」(すごもりのむしとをひらく)
意味はそのまま。戸を開いて、虫が顔を出す。
これから、どんどん「外」に出てくるのです。
植物の芽も、どんどん顔を出してきます。緑がどんどん増えていくのです。
芽吹くのは、良いこともそうではないことも。できれば、自ら出すものは「良い」ものであるように、感情の「気」をコントロールしたいところです。
3月5日から、月の「暦」も変わりました。
昨日までは、「戊寅」
「戊」は「土・陽」
それはまるで、大きな山のような「動かない」様
「寅」は「木・陽」
燻った「火」を持った「木」なので、「炎上」しやすい気
荒々しくて、コントロールするにはコツがいる気です。
そして今日からは「己卯」
「己」は「土・陰」
広い大地のように、穏やかで優しい気
大地はさまざまな「命」を育んで、そして育ててくれます。
「卯」は「木・陰」
若干頼りなさはあるものの、「木」そのものの気
なので、どこまでも、したたかに「水」を求めて伸びていきます。
2020年は「子」の気が巡っています。
「子」は「水」をたっぷりと含んだ気です。
だから、少しの「恐れ」も、「子」に見つかってしまったら、たちまち取り込まれてしまって、大きな「恐れ」になってしまいそう。
大きすぎる「水」には、たっぷりの「木」を。
土の中から顔を出した、新芽を見つけてみる。
観葉植物の成長を楽しんでみる。
綺麗な色とりどりに咲き誇る花を見て楽しむ。
また、朝日の中、木々が揺れるたびに感じる心地良い風を受けながら、お散歩してみる。
そうすると、「卯」と仲良くタッグを組めるので、「木」の気がどんどん育っていきます。
「暦」を利用して、「内因」「不内外因」を整えて。
健やかに「卯月」を過ごしましょう。