自分の「思い」は外に放つと「進化」する:日常のひとコマから感じたこと
俳句の世界は奥が深い。
昨年の桃の花の季節に、俳人の友人から、初めて俳句の手ほどきを受けました。
五七五の限られた文字の中に、季節と「思い」を封じ込める。
17文字の中に、詠み手の「景色」がギュッと詰まっています。
少しでも、油断をすると、あっという間に文字数が足りなくなったり、言いたいことが季節に結びつかず、無理やり「季語」をひっつけて、なんだか妙な句になったりと、悪戦苦闘をしました。
五七五の限られた文字の中に「景色」を落とし込む作業は、文字としっかり向き合って、まるで「格闘」するかのよう。
とても楽しかったので、季語辞典を買って、友人の勧めで投稿もしました。
その後、「一生の趣味にしたい」とあれだけ張り切っていたのもつかの間、仕事が忙しくなったこともあり(言い訳でしかないですが・・・)気がつけば、すっかりやめてしまいました。
初めての俳句体験は、「着物を着て俳句を楽しむ会」でした。
着付け教室の先生を、友人に引き合わせて、楽しいことをやりたい!
私の思いつきから、二人を巻き込み実現した企画です。
「お題」をいただき、参加者が思い思いの句を詠みます。
それを、披露して、みんなで解釈や感想を述べるというやり方です。
俳句はとてもシンプルです。
シンプルだからこそ、解釈がとても深く、幅広く、いろいろな捉え方があります。
「これが言いたいの」
詠み手が「思い」を込めて詠んだつもりでも、受け取る側によって、「違う思い」で捉えられることもあります。
それは、自分で気が付かなかった「もう一人の私」だったり、全然そんなつもりなかったのにと感じる「別人の私」だったり。
私から生まれた「五七五の文字」は、私から離れて、どんどん成長していく「子供」のようだと思いました。
お誕生日から導き出される「命式」も、とてもシンプルです。
八文字に全ての「私」がギュッと詰まっています。
自分の「命式」は、自分の「取り扱い説明書」です。
大切に向き合って、自分の中で愛おしく感じたいと思っています。
そうすることで、「自分」を丁寧に扱い、効率的に進んでいけます。
なので、私の講義は「自分で命式を出す」ことにこだわってカリキュラムを組んでいます。
でも、時には、「人の意見」も聞いてみると、「新しい自分」になるための「進化」の方向性を知ることができるかも。
「可愛い子」を、時には外に出してあげよう。
友人との語らいは、そんな思いを抱かせてくれました。
彼女が「五気調整術」のことを、楽しく素敵に紹介してくれました。
ぜひ、こちらもご覧くださいね。