歴史上の人物の解釈をすると「夢」が広がります:高杉晋作・功山寺:幕末動乱の最初の一歩はここから始まりました
下関市長府にある功山寺は曹洞宗のお寺です。
長府毛利家の菩提寺として有名ですが、もう一つ、高杉晋作が挙兵した寺としても知られています。
つまり、幕末の動乱の「最初の一歩」が踏み出された場所。
時代の流れが、次のステージに向かって動き出した「点」です。
ここから「点」が「線」となり、「線」が絡み合いながら広がっていき、一枚の「布」となり、大きな布が、ある瞬間に、時の風に煽られて、「全体」をすっぽりと覆い尽くして、飲み込んで、「今まで」が無くなっていく。
それはまるで、「水」になって、「水蒸気」になって、はかなく消えてなくなっていく様。
全ては「気」が集まって構成されています。
「気」は絶えず、進化のサイクルを巡ります。
それは、「木・命の芽」から始まって、「火・情熱」が広がり、「土・組織」となり、「金・完成/収穫」を迎えます。収穫が終わると、そこには何もなくなり「水」、そしてまた、新しい息吹が誕生します。
「木」は「点」です。
「火」が「線」が伸びていく様。
「土」は「線」が絡まって「布」になる様。
「金」は「布」が全体を包んだ様。この段階が「完成」です。
物事は「完成」を迎えた時に「終わり」に向かいます。
そして全て「水」になって、はかなく流れて消えていきます。
功山寺は「点」を感じる場所。
ここに立つと
「勇気を出して、小さな一歩を踏み出すこと。そこから全ては始まる。それがなくては、何も始まらない」
そんな気持ちにさせてくれる場所です。
1864年12月15日夜半、高杉晋作は挙兵しました。
その夜は、温暖な下関にしては珍しく、雪が降っていて、とても寒い夜だったと言われています。そして、空には「満月」が出ていたそうです。
大雪の日に、月がほんとに見えたのかなあとは思いますが・・・でも、挙兵の瞬間に、厚い雲の切間から、一筋の満月の光が差し込んで、これから始まる「動乱」が成功する事を予感させてくれるように、高杉晋作を照らしている。これ以上ないくらいの素敵な「演出」。だから、きっと、天には満月が輝いていたのだと思います。
1864年は「甲子」
暦の流れは「甲子」から始まります。つまり「甲子」は一番最初のスタートです。
甲は「木・陽」
それを下から支える「子」は、「水」をたっぷり含んでいます。
そして、その年の12月は「丙子」
丙は「火・陽」
丙は、陽の中の陽。つまり陽の盛りです。
それを下から支える「子」は「水」
「火」と「水」の相反するものが、互いにぶつかり合いながら、鬩ぎ合いながら「一つ」として存在します。
とても不安定ではあるけれど、でもとても「強い」力を持っています。
同じ「気」を宿した干支が重なる時、その干支の「気」が最高潮に発揮されると考えられています。
つまり、1864年12月は、「水」が最高潮に発揮されたということになります。
この年の「クライマックス」みたいな感じです。
高杉晋作は1839年9月27日に誕生しました。
四柱推命では、生まれた「日」の「気」がその人の「タイプ」であると判断します。
この日は「癸未」
「癸」は「水」
干支の中で、一番最後に登場するのが「癸」で、イメージは、「霧雨」です。
「癸」のタイプは、どちらかというと「か弱い」イメージで、どんな環境にもまるで「霧」のように馴染んで染まると言われています。
とても彼らしくない「タイプ」かもしれませんが。
実は、「癸」は、とてもしたたかで、七変化の干支です。
なので、周囲の干支(気)にとても影響を受けやすく、そのために「つかみどころのないミステリアスな人」「不思議ちゃん」とも言えるのです。
また、「命式」に同じ「癸」があると、大きな「水」となり、「水・陽」として解釈をする流派もあります。
彼の「月」の命式は「癸」です。
なので、二つ仲良く「癸」が並び、「水」の気が大きく影響をしていたということになります。
つまり、彼は「水」をたっぷり持っている人です。
巡る「気」が自分の持っている「気」と同じエネルギーである時、二つの「気」が共鳴して、動きます。
天の「水」と、彼の「水」が共鳴し、感応して、全てが「水」となった。
そして、彼は全てを水に流すために挙兵した。
そして完成の「満月」が、今からどんどん「削ぎ落とされて」いく過程を予言していた。
そんな感じで想像してみると、なんだかワクワクしてきますね。
「暦」にはまっている人は、歴史上の人物の「命式」や「ホロスコープ」を紐解いて、「何が彼を動かしたのか」とか、「どうして成功したのか」「なぜこの時期だったのか」など、解釈してはその話題で盛り上がります。というか、かなり盛り上がります。笑。
それはあくまでも「想像」の領域は超える事ができない解釈ではありますが、それでも「今後の参考資料」にはなります。
起きた出来事を解釈する時に、一つだけ、忘れてはいけない大切な事があります。
それは、「〇〇の運気だからこうなった」と決めつけた解釈をするのではなく、「こうなったのは〇〇をどのように感じて動いたのか」「その人の特徴はどんな流れが来た時にスムーズに出せるのか」
なぜならば、「暦」には意志はなく、感情はなく、ただ巡りの「瞬間」でしかないからです。
意志や感情は「人」だけが持っているものなのです。
歴史上の人物の「解釈」は、その人の「人生」を通して「これから」を教えてくれます。
それは、推命家にとって、とても楽しい、そして夢が広がる「作業」なのです。