新月の日に満月に出会った:「わたし」であり続けるたった一つの方法:「外のわたし」と「内のわたし」が一つになる
9月7日「乙女座新月」の日、「満月」に出会いました!
毎月変わる花手水が楽しい神社の、「9月のテーマ」はお月見。
まるでキャンパスに描かれているかのよう。可愛らしい満月とお団子が、清らかな水に浮かんでいました。
「新月」とは、夜空に浮かぶ月の光を、肉眼で見ることができない状態です。
だから、夜がいつもよりも暗くなります。
天体たちの位置から、運勢や出来事を観ていく占星術は、地球を中心として、それぞれの天体たちが交わる角度を調べていきます。そして、その角度から「運の質」を紐解いていきます。
「新月」は「太陽」と「月」の交わる角度が「0度」となった状態です。
これを「コンジャンクション」と言います。
「コンジャンクション」は、どんな「運の質」なのかと言うと
「ふたつの惑星のエネルギーが互いに融合し、強めあう作用をもたらします。アスペクト(交わる角度のこと)の中でも最も強力なものです」(「鏡リュウジの占星術の教科書・自分を知る編」鏡リュウジ著 原書房)
「月」は感情
「太陽」は行動
新月は、感情が行動的になり、行動が感情的になる。
自分の気持ちのままに、行動を起こしたくなり
自分が起こす行動は、自分の思いが詰まっている。
夜空は真っ暗でも、自分の内側には、明るい光が満ちる。
その光を、これから外に出していく。
この様な「運の質」を持っていると言えるのです。
だから、新月の日に、お願い事をすると叶うと言われているんでしょうね。
「まんまるお団子」がなんて可愛い!
「花より団子」でなくて「花が団子」ですね。
毎回、遊び心いっぱいの演出がとても楽しいんです。
思わず笑顔になってしまいますよね。
運気の流れを観ていく場合、占星術では天体の動きから読み解きます。12個ある星座の「部屋」に、天体が巡り移動していきます。
どの星座に入っているかで、どの様な影響を受けるのかを考えます。
移動する速さは天体によって異なります。
行動を示す「太陽」は、約1ヶ月毎に星座を一つずつ移動していきます。
一年かけて、一周巡ります。
「太陽」は、外に向かって自分を表現していくとも解釈できるために、「社会的な自分」として使います。
感情を示す「月」は、「太陽」よりもずっと速く、2〜3日毎に移動します。28日かけて一周巡ります。
「月」は、感情的に、内側にスポットが当てるので、「個人的な自分」として使います。
「太陽」は、何がしたいのか。
「月」は、どうしたいのか。
通常「私は魚座」と言うと「太陽星座」を指しています。
「わたしはどんな人?」と観る場合には「太陽星座」が中心となります。
四柱推命の命式では、生まれた日に巡っていた「月干支」を「月柱」と呼び、「社会的な自分」として観ます。
生まれた日に巡っていた「日干支」を「日柱」と呼び、「個人的な自分」として観ます。
「月柱」は1ヶ月毎に動き、「日柱」の五行は2日毎に五行が進みます。
という事は、「太陽」と「月柱」のサイクルが同じで、「月」と「日柱」のサイクルも若干のずれはあるけれども、ほぼ同じと言えます。
通常、「わたしはどんな人?」と観る場合には「日柱」を観ます。そして、どんな運気が巡るのかも「日柱」と巡る五行の関係性から解釈をします。
占星術では「社会」を基準にして、四柱推命では「個人」を基準にして、運気を観ていると言えますね。
「占い」は、時代とともに解釈が変わっていきます。
と言うよりも、その時代に合わせて求められるものを変えていかなければ、古臭くなってしまうから。だから、求められるものが提供できるよう、変わっていきます。
占星術では、太陽星座とともに、月星座も同じくらい重点をおいて観ている占者さんが増えているそうです。
四柱推命で観る場合でも、日干支ではなく月干支で捉えた方がしっくりくる事があります。20代後半からはこの傾向が顕著になっていく様な気がしています。
仕事についての流れを観る場合は、特にそれを感じています。
ただ、やはり日干支が「満足」する状態でなければ、スムーズとは言い難いです。
なので、働き盛りの年代の方については、日干支と月干支の両面から観ていきます。二つの間の関係性やギャップを紐解き、両者が良いバランスが取れる方法と時期を観ていきます。
「わたし」には二つの「わたし」がいて
「外のわたし」と「内のわたし」の両方ともが存在している。
と言うことは
「わたしらしく」とは、自分の気持ちが満足するだけでは足りなくて
周囲が「あなたらしいね」と認めてくれなければ満たす事ができないのかもしれません。
もしかしたら、自分の気持ちだけ満足しようとすると、それは自己満足でしかないのかもしれません。
だから、自分を満足させようとするほどに、周囲がその気持ちを、そっくりそのまま認めてくれないジレンマを感じてしまうのかもしれません。
大切に思っている人が、「良いね!」と応援してくれている限り、「わたし」は「わたし」であり続けられるのかもしれませんね。