人は「不安」を解消するために「行動」する:「運が良い人」きっとこんな感じ
「嫌なことばかり続くから、これから先の運気が気になって、心配です。」
「今年は殺界だけど、お引越ししなくてはいけなくなったから、どうすれば良いですか。」
不安を感じる時に、すがりたくなるのが「占い」です。
コンピュータ手相鑑定は、ワンコインで気軽に運気を知る事が出来るので、「ちょっとした不安」を解消するために、お越しくださるお客様も多いです。
そんな時には
「良いことも、嫌なことも、全部半分半分なんですよ」と、「暦の景色」を両面からお伝えをしています。
人の本質は「ネガティブ思考」です。
慎重に考えて、無謀な冒険をしなかったから、「人」は、様々な時代に対応して、生き延びて来られました。
臨死体験をした知人が、とても面白い話を聞かせてくれました。
事故を起こしてしまい、意識が薄れていく中で、とても「不思議な体験」をしたそうです。
まるで「虹色の毛布」に包まれたかのような、とても温かく柔らかい、「光」に包まれたそうです。
痛みも、恐怖も、何も感じない。
感じるのは「穏やか」な感覚だけ。
しばらくすると、彼のおばあさんが登場し、スパッと「毛布」を剥ぎ取ってしまいました。
「毛布」が剥ぎ取られた瞬間から、身体が激痛を感じ始め、それから「生きてたんだ」と、我に返ったそうです。
もしかしたら、「あの世」に一歩踏み込んでいて、それを見たおばあさんが、「まだこっちに来るには早いでしょ!」と、エンマ様に見つからないうちに、突き返してくれたのかもしれません。
もしかしたら、あまりにも大きな、自分では抱えきれないほどの「不安」を、脳が察知して、耐えられるように「夢」を見させてくれたのかもしれません。
脳の機能は、科学が解明できない部分がたくさんあって、なぜそのように感じるのか、全くわからないベールに包まれた領域です。
なぜ「虹色の毛布」だったのかは、さておき、「終わる時って、案外穏やかなんじゃないかなあ」と、最後に彼が、私に、ぽそっと言いました。
その言葉は、私の中に「すとん」と落ちました。
いろんな事があったとしても、結局は、終わる時って、「美しい虹色」の光が包んでくれて、日々のゴタゴタも、過ぎてしまえば、全部がとてもキラキラした「光」になってくれるんじゃないだろうか。
その言葉は、私に、「勇気」と「元気」をくれたのです。
「死後の世界」はあるのか、ないのか。
私は、「ある」と思っています。
「ある」というよりも、「ある」と信じていいた方が、「お得」だと考えています。
「この世」は、いろいろな事を「体験」して、「成長」するためにあるそうです。
「テーマ」を決めて、その「テーマ」を達成するために「試練」があり、「試練」を乗り越えて、「バージョンアップ」して「あの世」に帰ります。
「あの世」には、格が高い「師匠」がいて、「あの世」に戻って「師匠」にどれだけ頑張って、「試練」を克服したのかを報告します。
飯田史彦著「生きがいの創造」PHP出版には、この事が詳しく書かれています。
私も含め、「あの世」を実際に見た人とは、直接話した事がないので、真偽のほどは定かではありまでんが、起きる出来事が「超えられない壁」ではなく、「自分で乗り越えたいと思っている壁」だと考える事ができたら、諦めずに乗り越えようと、「行動」する事が出来ると思います。
では、どうして、「あの世」があると信じた方が得なのかというと
もしも「あの世」がなかったとしても、ないのでその時点で「自分」は終了します。だから、「ない」ので「なかった」と考えることはありません。
もしあったとしたら。「ほら、やっぱりあった!」と、思った通りになりますが、「ない」と思って「あの世」に行ってしまったら、「こんなはずじゃなかった」と、ちょっと悔しくなってしまいます。
ただ、それだけの理由です。
人は「不安」を解消するために「行動」します。
「このままじゃダメだ。」
「もっと良くしたい。」
「良くするために変わりたい。」
特に「不安」に思うのは、「健康」「お金」「人間関係」です。
「そのまま変わらず持っていたい」と思うから、将来失ってしまうのではないかと「不安」を感じます。
「不安」」を解消するために、「時間」と「エネルギー(お金)」を使います。
「不安」があまりにも大きくなりすぎると、つい、使う「エネルギー」も多くなってしまいます。それは「エネルギー」の無駄使いです。
振り回されず、冷静に、必要な大きさだけの「エネルギー」を使う事が大切です。
だから、「不安を煽る」ことは、何があっても、してはいけない事だと考えています。
結局は、最後はとてもキラキラした「光」が祝福してくれるので、目の前のことにしっかりと向き合って、「壁」を乗り越えていきたい。
そして、「あの世」の「師匠」に
「皆んなを驚かせたりもしたけど、私、頑張ったでしょ!」
と、ドヤ顔で、報告をしたい。
そんな感じで日々過ごせたら、なんだか楽しそうだと思います。