まるで呼吸をするように「運」も動いています:どんな時でも「退路」は自ら閉ざさないこと。
元気が出る花といえば、なんと言ってもやっぱり「向日葵」
黄色い花びらを、360度全開にして、なんの躊躇なく咲いている向日葵を見ると、迷いが吹き飛んでくれる気がしてくる。
太陽が降り注ぐ「夏」にぴったりの花ですね。
今日は「一粒万倍日」そして、「満(みつ)」の日
おめでたい「巡り」が重なった日となりました。
何かを始める時、時間的余裕がある時には、「良い日」を選ぶのはおすすめですが、「良い日」はあくまでも「良い日」であって、「全て良い」ということではありません。
なので、例え「良い日」に始めたからと言って、必ず「良い」結果に結び付くのかは、全く別の次元の問題です。
「一粒万倍日」とは、「一粒のモミから、万倍ものモミに育っていく」と言う意味で、「出発」にはおすすめです。ただし、お金を借りると、借りたお金もモミのように何万倍にも増える・・・・かもしれない、後々その事で頭を悩ますことにもなるかも、と解釈することができるのです。
また、何をやって達成できないとされると言われる日もあります。それは、「不成就日」です。
物事を起こしても、成就しないとされてはいますが、ひと月辺り4回程度もあり、結構たびたび登場します。
しかも、事もあろうに、「一粒万倍日」と重なることもあって、この日は一体良いの?悪いの?と、考え始めたら迷路に迷い込んでしまいます。
一方、「満」とは、12個の言葉の並びで「吉」「凶」を占う「十二直」も、昔から、親しまれて使われることが多いです。
十二直は、「建(たつ)」「除(のぞく)」「満(みつ)」「平(たいら)」「定(さだん)」「執(とる)」「破(やぶる)」「危(あやう)」「成(なる)」「納(おさん)」「開(ひらく)」「閉(とず)」の十二語を毎日当てはめていきます。
ちなみに「満」とは、「万象万物が満ちていく」と言う意味です。
何が満ちていくのかは別として、とりあえず全て満ちていく。と言うことは、一応「吉日」とはされていますが、自分で「良し」とするものが満ちていくようにしていかなければ、良いも悪いも満ちていく可能性がある・・・。
暦を深く解釈をしていくと、結局、何が良いのかわからなくなりますが、それは、自分で「良い」と決めたことが、その人にとって「良い」とされことであって、もしかしたら他の人から見た時には、必ずしも「良い」ではなく、残念ながら「凶」の場合もあることになります。
ちなみに「不成就日」に関しては、「不幸を呼ぶ日」ではないので、あまり気にしなくて良いと思っています。
ただし、すごく気になる場合は、避けた方が良いかもしれませんね。
何故なら、「不成就日に始めたから、上手くいく分けない」と思いながら始めても、上手くいかない原因を、全て「不成就日」のせいにして、上手くいくものもいかなくなります。
何事も、思った通りの「方向」にしか、進まないからです。
思った通りの「方向」でも、思った通りの「地点」に到達できるかは、別の話で、なので、試行錯誤できるかが試され、「トライアンドエラー」が大事だと言われ、「失敗は成功の母」とも言われる。
上手く行かない時とは、「地点」に辿りつくための「退路」が閉ざされた時です。
「退路」が閉ざされるのは、自分のせいではない場合が多く、「たまたま起きた」自分とは関係のない、一見かけ離れた所で起こった出来事から派生することが多いです。
でも、それは「流れ」の一部分であり、「流れ」は変わるので、「退路」の先を、諦めずに凝視していたら、ある時突然、パカっと「隙間」ができて、「退路」の先への道が広がることがあります。
閉ざす事に繋がってしまった「出来事」も、そんなつもりは全くないので、「固執」はしていません。
なので、「出来事」そのものは、マイペースに「進化」をし、いずれ形が変わります。
それはいつ頃やってくるのか、もしかしたらやって来ないかもしれないけど、絶対にやって来ないとも限らない。
「運の良い人」は、焦らずに腐らずに、目の前の出来ることを黙々としていて、常に「スタンバイオッケー」の状態なので、パカっと隙間が開いてからの行動がとても早い。
「待ってました!」とばかりに、動けるのは、いつも準備をしているから。
自然発生する「流れ」は、時としてとても厳しくはありますが、同じ状態に「固執」しないのが特徴です。
だから、何があっても、必ずなんとかなる、と思います。
ただ、もう一つ、とても厄介な「退路」を閉ざす「気」があります。
それは「人工」の気。
「人」によって閉ざされた場合は、「流れ」ではないために、徹底的に「退路」に集中砲火する。それは本当に容赦ない攻撃。
「閉ざす」ことを「目的」としているために、「目的」を達成するため、どんどん「進化」していく。
自然に生まれたものは、いずれ自然に帰っていくけど、人工的に生み出されたものは、人が「削除」しない限り、無くなることはない。
暦は、ただ巡っているだけで、それに意味をつけるのは「人」です。
19日、60個の干支の巡りが終了し(八専終わり)、20日には、また、新しい60日サイクルが始まります。(甲子の日)
21日には「新月」になり、「月」も「これから」に向かって満ちていきます。
29日には、「一粒万倍日」と「満」の日となり、様々なものが「拡大」していきます。
「森羅万象」は常に、萎んでは満ちていく。その繰り返し。
閉ざされて、広がって、また、閉ざされて広がる。
「退路」を断つことは、満ちていく過程を閉ざしてしまうことです。
だから、呼吸をするように、「気」も満ち欠けを繰り返していきましょう。
自分を攻めるのは、自ら「退路」を閉ざすことです。
とってももったいないこと。
それだけはしないで欲しいなと思っています。