「干支」が混じり合う時「想定外」が生まれる瞬間があります:「干合」:真逆の気が重なり合う時、大きく偏った時、大いなる力が生まれます
命式の中で、「見える形」の気を表現する10個の「干支」は、一つの気を持っています。それに対して「十二支」は、複雑に色々な気を持っているために、解釈が複雑になります。
ただし、それは、あくまでも、「単体」で観た場合にだけ言えることです。
生年月日と生まれた時刻・場所を基準にして、暦に当てはめて作り上げる命式は、4つのパーツがあり、その4つは「ワンセット」として硬く手を結びつけています。
なので、その結びつき具合を観ていく場合には、「単体」での解釈と同時に、結びつき合う事によって生まれるであろうイメージも、合わせて観ていかなくてはいけません。
この解釈は、とても抽象的であるために、なぜそうなるのかを突き詰めていくと・・・・結局どういう事?となってしまって、迷宮のお城に迷い込んだ気持ちになっていきます。
ただ、「占い」に求められる解釈は、抽象的で、かつ、具体的であることが求めらます。
いかにシンプルに観ていくのか、いかにイメージを想像して抽象度を増していくのか、その両方からの「視点」のせめぎ合いから、「言葉」が生まれてきます。
その「言葉」は、聞いた人にとっては、「なぜ分かるんですか?」「言い当てられて怖いくらい!」と、驚かれます。
なので、疑問を持ちながら、その答えを探し続けることは、とても大事ですね。
それでは、10個の「干支」の、「具体的」と「抽象的」な部分とは一体どんなものなのでしょう。
まずは、「具体的」に。
「気」は五の種類があります。
「木」「火」「土」「金」「水」です。
それぞれには「陰」と「陽」があります。つまり、五つの気は、全部で「10個」あることになります。
「木」は「甲・乙」
「火」は「丙・丁」
「土」は「戊・己」
「金」は「庚・辛」
「水」は「壬・癸」
です。
そして、巡りは「陽」から「陰」の順番に動きます。
木・「甲→乙」→火・「丙→丁」→土「戊→己」→金・「庚・辛」→水・「壬・癸」
そして、水から木へと、次のサイクルのバトンが手渡されて、バトンは永遠に繋がっていきます。
実際の占いでは、巡ってくる「気」を、自分の「気」がそのように受け止めるのかを解釈していき、それが「運気」の流れとなります。
あくまでも、「木」は「木」として、「水」は「水」として、その象徴を運気に当てはめていきます。
「抽象度」を上げていくとは、結び付いた先をイメージするのです。
命式の中で、隣り合わせにある干支同士は、とても強い絆で結ばれています。
もしも、その二つが「真逆」のタイプだったとしたら、強く結ばれているために、そのままの「気」ではいられなくなると解釈をするのです。
この関係を「干合」の関係と言い、補い合う様にピッタリと結びつきます。
通常は、「陽」の干支が「陰」の干支を抑え込む形となり、「陽」の干支の「気」が前面に押し出されるため強くなります。
ただし、ある条件が成り立った場合は、「例外」も起こります。
ある条件とは、「※」の場合です。
「甲と己」→「土」 万物を成育する(中正の合)
「乙と庚」→「金」 勇敢の命あり(仁義の合)
「丙と辛」→「水」 威厳あれども偏屈(威制の合)
「丁と壬」→「木」 情に脆く柔弱(淫泆の合)
「戊と癸」→「火」 品行方正にして美麗(無情の合)
※「甲と己」→「土」 命式に「土」の五行が強い場合
「乙と庚」→「金」 命式に「金」の五行が強い場合
「丙と辛」→「水」 命式に「水」の五行が強い場合
「丁と壬」→「木」 命式に「木」の五行が強い場合
「戊と癸」→「火」 命式に「火」の五行が強い場合
※・二つの干が結合して変化する五行が、月支から相生か、月支と比和の関係である
・命式に干合する五行や相剋する十干十二支を持っていない
「※」のうちのどちらかを満たしている場合に「例外」が起こると解釈をします。
「月支」とは生まれた「月」の十二支です。
「相生」とは二つの「気」の関係が「生み出す」力を持つ場合です。
<例>「金」と「水」
「相剋」とは「気」の関係が「抑圧する」力を持つ場合です。
<例>「金」と「木」
ちょっとややこしいと感じておられると思います。
私も、ややこしいなと、いつも思っています。
二つの気が混じり合った時、他の気に影響を及ぼしていきます。この関係は、その他も含めて考えているのです。
例えば
「丙と辛」で、周囲に「水」がたくさんあった場合
「丙・火」にとって、「水」は敵です。攻撃を受けます。だから「丙」はとても弱っていきます。通常は、「辛・金」は、「丙・火」から攻撃を受けるために弱くなるはずが、「丙・火」が始めから弱くなっているので、力関係が「逆転」できます。つまり「丙・火」をやっつけることができるのです。
そうすると、「水」はますます喜びます。「金」は「水」を育てていく「母」でもあるために、「水」にとっては願ってもない「環境」になります。
そして、「水」が元気に大きくなっていきます。
この「環境」は、「水」にとっては、「棚からぼたもち」的ですね。
もう一つ、「行き過ぎてしまった先の変化」もご紹介しますね。
一般的には、同じ干支同士が並ぶと、その干支が強くなると解釈をします。
ただし、あまりにもそれが強くなりすぎた場合には、やはり「反動」がきてしまいます。
個人的な「気」は、命式とともに、10年ごとに巡ってくる「大運」があります。
「大運」は、個人の運気の6割を占めると考えられているくらい、とても影響力が高まります。
つまり、命式の干支と、大運の干支が同じ場合、全く逆の干支となる場合もあると考えられているのです。
「甲と甲(木・陽)」→「己(土・陰)」
「乙と乙(木・陰)」→「庚(金・陽)」
「丙と丙(火・陽)」→「辛(金・陰)」
「丁と丁(火・陰)」→「壬(水・陽)」
「戊と戊(土・陽)」→「癸(水・陰)」
「己と己(土・陰)」→「甲(木・陽)」
「庚と庚(金・陽)」→「乙(木・陰)」
「辛と辛(金・陰)」→「丙(火・陽)」
「壬と壬(水・陽)」→「丁(火・陰)」
「癸と癸(水・陰)」→「戊(土・陽)」
変化する「気」は、真逆な立ち位置にある「気」です。
つまり、くるっとひっくり返るのです。
あまりにも行き過ぎた「偏り」は、バランスをとろうとするあまり、想定外の大きな力が働いて、全てを反転させてしまうほどの力が湧き上がります。
「干支」の組み合わせによるイレギュラーな「景色」は、大いなる変化なので、その人によって、現れ方が違ってきます。
自分の「運気」に当てはめてみて、ぜひ、ダイナミックな気の「景色」を体感してみてくださいね。
話し合いを繰り返しても、折り合いがつかない時、それでも繰り返し話をわかってもらおうと努力する時間は、ある意味「無駄な時間」なのかもしれません。
立場や、考え方や、生き様は、皆んなそれぞれ違っていて、その違いが「個性」です。
なので、それを曲げたり、曲げさせるのは、「個性」を否定し潰してしまうことでもあるからです。
触れ合った時に、嫌な気分になってしまうとか、心がざわついてしまうとか、得体のしれない見えない箱の中に閉じ込められそうな気持ちになってしまう場合には、結界を引いて触れ合いを絶ってしまう方が良いと思います。
そして、できれば、触れ合った時、心地良さを感じるものとだけ、触れ合っていきたい。
「好きなことを生きていく」「自分らしく生きていく」とは、心地良さを求めていくことです。
でも、それは、ある意味、「分断」を極めていくことでもあります。
干支同士が混じり合うと「想定外」の気を生み出す様に、人の運気も「想定外」が起こります。
人は一人では生きられない様に、運気も一人で作り上げているわけではなく、「想定外」こそが、自分の枠を越えていく「架け橋」となってくれます。
2021年は「辛」が巡ります。
「水」をたくさん持っている「丙」さんは、たくさんの「恵の水」が湧き出てくるかもしれませんね。