
「占い」に頼りたくなるときの「運」の状態:しなやかな「運」を持っている人の特徴を知り、「占いジプシー」とおさらばしよう!
無性に「占い」に頼りたくなるときはありませんか?
そのように感じるときは、将来が不安で仕方ないとき。
不安で仕方ないから、誰かに上手くいくから大丈夫だよと、なんでも良いから言ってもらいたいのです。
限りなく不安が広がっていくのを、押しとどめて欲しい。
だから、「占い」に頼りたくなる。
占って「答え」をもらいたい。
もちろん、それは解決の手助けにはなると思います。
でも、不安な気持ちが強すぎると、せっかく解決しようと行動したにもかかわらず、ちょっと困った事態に陥るのです。
「占い」で言われた「答え」が、頭から離れなくなってしまう。
それから、その「答え」の意味を深堀しすぎて、ますます不安になってしまう。
「答え」はバラバラに分解されて、まるで機械を分解して訳が分からなくなってしまったみたいに、結局どう言うことなのか、分からなくなってしまう。
そして、何度も繰り返し「答え」を取りに「占い」を受ける。
これはいわゆる、「占いジプシー」状態。
「絶対大丈夫だからね」と言われた場合、自分が想像していた「大丈夫」と、現実が異なると、それを受け入れたくない。こんなはずじゃないと思う。
占いで大丈夫だと言われたのに、これは違う。認めたくない。
また、嫌な言葉が頭に張り付いてしまっていると、なんとかなっていても「その内とんでも無い事が起こるんじゃないかな」と不安で仕方ない。
たとえ今、大変なことがないとしても。
占いで運が悪いと言われたから。そうなるに違いない。
で、再び占いを受ける。大丈夫だよと言われて安心したい。
もちろん、「占い」は、将来のことが分かります。
それは、大きな「サイクル」の中での、自分の立ち位置が分かるのです。
なので、今から上がるのか下がるのか、圧力が増すのか解放されるのか、予想するのは可能です。
暦の進み方や、天体たちの動きから、サイクルを読み解き、それを「個人」に落とし込みます。
だから、個人的な「予言」ではありません。
「宇宙」も「人」も「同一」であると、太古の昔から考えられているのです。
昔々の人々は、「個人」は「大局」の中の一部であると捉えていたのです。
なので、暦のサイクルを、「個人」のサイクルとして落とし込むことが可能だと言えるのです。
「占いジプシー」状態となってしまった人を観察すると、二つのタイプがあることが見えてきます。
一つは、「全て自分で解決する」ことにこだわるタイプ。
この場合、人に迷惑をかけてはいけないと思っている。
なので、どこにいても迷惑をかけてしまう。。。ような気がする。
なんてダメな人間なんだろう・・・と悩みます。そして、これからもどんな迷惑をかけてしまうか心配で、怖くて何も挑戦できない。
だから、占いで「ありのままの自分で大丈夫だよ」と言われると、一時的にホッとできる。
でも、一歩外に踏み出すと、また迷惑をかけそうになって、落ち込む。
もう一つは、「全て周囲が解決する」ことにこだわるタイプ。
この場合、精一杯やっているにもかかわらず、周囲はいちいちクレームを言ってくる。。。。ような気がする。
自分なりに頑張っているのに、周囲は、その気持ちを分かろうともしてくれない。
なので、どんどん居場所がなくなり孤立していく。
だから、占いで「ありのままの自分で大丈夫だよ」と言われると、一時的にホッとできる。
でも、一歩外に踏み出すと、また嫌なことを言われて、孤立する。
では、なぜ、せっかく占いを受けてホッとできたのに、堂々巡りになってしまうのでしょうか。
それは、「ありのままの自分」の捉え方が、「自己都合」のみで考えてしまっているからかもしれません。
四柱推命では、この世に生まれ落ちた瞬間に巡っていた気(景色)は、その人の気(景色)であると考えます。
なので、占い的に「自分らしい」とは、その瞬間の気(景色)らしいとします。そこには、「成功する景色」とか、「人気者の景色」とかではなくて、単なる「景色」です。
例えば、「木」気の勢いが強い命式の場合は、「好奇心強い頑張り屋さん」の景色。
「火」気の勢いが強い命式の場合は、「愛情いっぱい明るく情熱的」な景色。
その景色らしいのが「自分らしい」。
とても抽象的です。
だから、人によって浮かぶ景色が違います。
それから、忘れてはいけないのは、「景色」はひとつではないこと。自分の景色と周囲の景色があること。
そして、目の前の景色は、その二つが合わさったものであること。
巡ってくる気は、自分の気を包み込み、混じり合おうとします。
一緒に過ごす人の気も、合わさります。
過ごす場所、食べるもの、手に触れるもの、それら全ての気も合わさります。
そして、化学反応が起こり、想定外の景色が発生します。
運とは、自分だけでは完成しなくて
周囲と自分が合わさったときに、初めて生まれるものです。
いかに自分にとって、適切な場所を陣どるか。その都度選択できるか。
いかに、今立っている場所と仲良くできるか、折り合いをつけることができるか。
妥協できるか。。。。。
選択や妥協が適切であれば、自分らしくいられて、自分らしい動きができます。
そこで、命式を読み、適切な選択ができるのはいつなのか、どの方向やタイミングなのかを探っていきます。
また、命式が過度に疲弊している場合は、気を補う行動をしたり、強すぎるときには抑えたりして調整をします。
一度調整できたから、もう大丈夫なのかというと、そうではありません。
なぜなら、気が常に巡っていて、常に自分の景色を混じり合っているから。
いつも気を配って「メンテナンス」をしなくてはいけないのです。
なので、これさえやれば大丈夫、なんてことは、残念ながらありません。
つまり、固定した型の「正答」はない。
それでは、「占いジプシー」脱却法を考えていきましょうね!
その前に、なぜジプシー化してしまったか考えてみましょう。
それには、二つのタイプの「運」の状態を知ることから。
まずは、「全て自分で解決する」ことにこだわるタイプ。
これは、自分の景色のみで進もうとしている状態。
つまり、周囲の景色を拒絶している。
まるで無人島で、たった一人サバイバル生活をしているかのよう。
これは辛い・・・・・。
もう一つの「全て周囲が解決する」ことにこだわるタイプ。
これは、自分の景色がない状態。
なので周囲の言いなりになるしかない。振り回されてばかり。
これも辛い・・・・。
この二つには共通点があります。
二つとも、一つの「景色」しか見えていない点です。
「自分で解決」タイプは、「周囲の景色」しか見えていない。
「周囲が解決」タイプは、「自分の景色」しか見えていない。
ここでもう一度、「運」と何かを振り返ってみると
「運は、自分の運(景色)と周囲の運(景色)が合わさったもの」である。
つまり、たった一つだけの「景色」では成立しない。
なので、二つのタイプでは、そもそも「運」でなく、なので、「運気」が発生していない。
なので、気を発生させようとしても、その場で堂々巡りをしている。。。。。
潤滑油を刺さずに、車輪を回そうとしているみたいな感じですね。
それは辛い・・・・・。
では、いよいよ脱却法を。
それは、「自分軸を変える」しかありません。
やり方を変える、視点を変える、時期を変える、言い方を変える、道具を変える、などなど、「今まで」を変えるしかありません。
車輪に潤滑油をさすように、「異質」を受け入れ「異質」の力を利用する。
ここで間違えてはいけないのは、「異質」の言いなりになるのではなく、あくまでも利用する。
そして、試行錯誤を繰り返して、最も良い感じの状態を見つける。
この作業は、自分しかできません。
だから、占いを何度受けたとしても、占いは代わりにはやってくれない。
いつも「輝いているな」と思う人は、必ず大きな「転換期」を乗り越えておられます。
そして、「転換期」が起こる前には、必ず想定外の「大変なこと」が起こっています。
これは、本当にそう。
「大変なこと」は、「自分軸強制リセット」で、そこで諦めず、軸をまた作った。
不思議なことに、再建築すればするほど、軸はしなやかになるようです。
しなやかな軸は、強度を増していき、大抵なことは平気になる。
普段から、現状を俯瞰して洞察する目を使い
普段から、自分できることには責任を持って取り組み
普段から、自分にはできないことについてはやらず
普段から、心が受け入れられることは取り入れ
普段から、心が受け入れられないことは排除し
普段から、無駄に戦わず
普段から、必要な瞬間に、ピンポイントで「軸」を武器にして戦う
しなやかな軸は、このような共通点があります。
なので、これを意識して真似してみたら、少しずつ、しなやかな軸に近づけると思います。
そうすると、気がつかないうちに「占いジプシー」から抜け出しているはずです。
ちょっと時間がかかるから
諦めずに取り組んでみてくださいね!
諦めそうになったら、ぜひ占いを利用してください。
二つの「景色」がどのように絡めていくのがおすすめなのかを、お伝えしたいと思っています。

