「仲良しこよし」でいられる人とは:「凪のお暇」:二人の「彼」との付き合い方
「感受性が豊かですね」と言われたら、それは大抵は、「ほめ言葉」として受けとって構わないと思います。
それは、「感受性が豊かな人」は、いわゆる「モテる人」だからです。
「感受性」とは、人間関係で言うならば、「感情を受ける人」です。
お互いに、感情のサイクルがスムーズに巡るので、感受性が豊かな人と一緒に過ごすと、感情が動きます。
楽しいとか、癒されるとか、テンションが上がるとか、やる気ができるとか。感情が動き、心が「揺さぶられる」ので、まるで「恋をした」ような錯覚を感じます。
だから、「感受性が豊かな人」はモテます。
「人の顔」は3層構造です。
まず、一番内側は、「自分の中の自分」です。
これは、奥底にひっそりと、閉じ込められた自分です。他人が見ることはなかなかできません。自分でさえも「気がつかない」表情を持っています。本当に親密な関係になれた「選ばれし人」のみ見ることができる「自分」です。
その周囲には、「社会と自分とのミックスの自分」です。
人は社会的動物です。なので、常に「社会」の中で過ごします。
「社会での自分」と「自分の中の自分」の両方をすり合わせ、「最も適した表情」をしています。この表情は、「移ろいやすい」のが特徴で、周囲の環境によって上手に使い分けができる人が、俗に言う「世渡り上手」な人です。
一番外側は、「社会の自分」です。
これは、建前の自分。外に対して一番「喜ばれる」表情をします。なので、外に対して、いつでも変更可能です。環境によって、使い分けるけど、そこには「自分」はありません。
誰でもこの3つの「自分」を使い分けながら、人間関係を構築していきます。
このバランスを、ストレスなく、摘採適所で発揮できる人は、人間関係での悩みを抱えることはありません。
でも、そんな芸当ができるのは、ほんの一握りの「スーパーマン」のような人です。
人間関係の悩みは、大抵は、このバランスが適材適所にできずに、「不具合」を生じた時に起きます。
それでは、「感受性の豊かな人」とは、一体どんな3層構造の人のことなのか。
それは、2つのタイプがあります。
まず1つ目は、「自分の中の自分」が発達していて、外との境界線がない人です。「自分」と「社会」の間に、垣根がないために、他人の感情も、まるで自分の感情のように感じます。
例えて言うならば、「カラを脱ぎ捨てたカタツムリ」みたいな人。
外からの「刺激」を、ダイレクトにそのまま受けます。
だから、「悲しい人」と一緒に過ごすと、「わかるよ、ほんとに悲しいね」と、自分のことのように悲しみます。
「嬉しい人」と一緒に過ごすと、「わかるよ、ほんとに嬉しいね」と、自分のことのように喜びます。
人は、感情を共有できる人に心を寄せるので、「カタツムリくん」と一緒に過ごすと、悲しみを代わりに背負ってもらい、嬉しさは2倍になるので、もっと一緒にいたいと感じます。
対外的には、「すごくいい人」
ただし、「カタツムリくん」は、境界線がないので、「社会」によって、七変化できます。だから、どこに行っても、誰と一緒にいても、「わかるよ、ほんとに悲しいね」とか、「わかるよ、ほんとに嬉しいね」と言うのです。
でも、それには「嘘」がありません。なぜなら「カラ」がないから、自分と他人との垣根がありません。いつも「本心」で語ります。
だから「ハマって」しまいます。
もう1つのタイプは、「社会の自分」が発達した人です。
「社会」に合わせていくらでも、変わることができます。「社会」が喜ぶように振る舞うし、「社会」が困っていたら、オタスケマンとして颯爽と登場し、問題を見事に解決します。全く隙がないので、「本当は何を考えているのか」は誰にも悟られることはありません。
例えて言うならば、「可愛らしいハリネズ」のような人です。
どんな時でも、みんなが喜ぶように、クルクルと思考をめぐらし行動してくれます。だから、少しくらい大変でも、みんなの笑顔のために人肌脱ぐことも厭わないのです。なので、一緒に過ごすと、「得する」ので、もっと一緒にいたいと感じます。
みんなの人気者です。
対外的には、「すごくいい人」
ただし、「ハリネズミくん」には、鋭い針を持っています。「ハリネズミくん」は、外からの「刺激」をいつも受けるので、「自分の中の自分」はいつも「怖がって」います。少しでも外に出ようものなら、傷つけられてしまうので、頑丈な鋭い針がいつでも守っているのです。
少しでも人が「至近距離」にすり寄って来ようものなら、すかさず「針」で攻撃をします。「ここまでは良いけど、ここからは絶対にダメ」と、態度が急変することもあります。
でも、それには「嘘」がありません。
なぜなら、「外」の顔はとても立派な「仮面」なので、自分でも「誇り」に思っています。一生懸命頑張って、立派な「仮面」を作ったのは、紛れもなく自分だからです。内側の自分を守るため、一生懸命頑張ったのです。攻撃をするのは、守るため。だから「悪気」はありません。
一緒にいると、「距離」さえ間違えなければ、「ヒーロー」でいてくれます。「針」は、普段は隠しています。たまに「針」の攻撃を受けても、「それは、たまたま。本当はヒーローだから」。「針」の攻撃は「距離」を間違えた方が悪いから、「私が悪かったから、ごめんね」と、そんな気持ちになってしまいます。
だから「ハマって」しまいます。
「カタツムリくん」と「ハリネズミくん」は、偏りすぎた感受性の両極端なタイプです。
毎週金曜日午後10時から、TBS系列で放送中の「凪のお暇」にはまっています。
主人公の女の子、凪(なぎ)は、二人の男性の間で、気持ちがゆらゆら揺らぐのです。
元彼の慎二(しんじ)は、「ハリネズミくん」
隣人のゴンは、「カタツムリくん」
最終的に彼女がどちらを選ぶのか、それともどちらも選ばないのかは、まだまだ物語の途中なのでわかりませんが、いつもハラハラ、イライラしながら観ています。
できれば、二人を足して二で割ったような、別人の「彼」が登場してくれたら、どんなにスッキリ解決するだろうと思ったりもしています。
なぜなら、二人とも、かなりの強者なので、仲良くするには「コツ」がいるからです。
「カタツムリくん」と仲良くするためには、「カラ」を作らなくてはいけません。
「あなたはどう思うの?」
「あなたはどうしたいの?」
それをきちんと確認して、「あなた」と「自分」の違いをしっかりと知るのです。
そうすることで、「自分の中の自分」と、「カタツムリくん」は「別の人」なので、「ここからは入ってこないでね」と自信を持って断ることができます。
「ハリネズミくん」と仲良くするには、「針」を除去してもらわなくてはいけません。
「私は、こう思う」
「私は、こうしたい」
それをしっかりと主張することです。特に大切なのは、「嫌なこと」をきっぱりと言い切ること。それには妥協は禁物です。ちょっとの隙間を「針」が見つけて攻撃してくるからです。
どちらにも共通して言えることは、「自分の中の自分」をしっかりと守ること。
これは、恋愛だけでなく、全ての人間関係において、譲れない「ポイント」です。
なので、「自分の中の自分」を、まるで「自分」のことのように、大切に、愛おしく、守ってくれる人とは、仲良しこよしでいられます。
「凪のお暇」の登場人物は、ある意味みんな、「偏った人」ばかりです。みんな、生きずらさを感じながらも、「自分らしく」進んでいます。
みんな、幸せを掴んで欲しいなあ。